一首鑑賞2020年大晦日

今年手にした歌集はほんの2冊、同人誌も3冊くらいで、地元に帰ってきてみれば本屋に歌集なんか置いてもいない。そんななかでとても楽しみにしていたのが『Lilith』でした。年の終わりなので、素直に好きだと思って感嘆した一首について書きます。


死ののちもそを閉ざしやる手はなくて竜のまなこは空となりにし
川野芽生(2020)『Lilith』書肆侃侃房

竜の死骸に開かれたままの目は空を映す物体として朽ちてゆくのだろう。
死者の目を閉じてやるのはおそらく人に特有の行動だ。人は多く死者の目を閉じ、身なりを整え、安らかな眠りを祈る。竜たちにはそれがない。
竜とは孤独な存在なのだろうか。様々な物語を思い起こせば一頭で現れる竜もおり、仲間とともにある竜もいる。竜の暮らしぶりはあまり重要ではなさそうだ。
はっきりしているのは、竜は死者を、人間と同じようには悼まないということだ。そもそも死を悼まないのかもしれないし、別の文化を持つのかもしれない。竜の手は死者の目を閉じてやる手ではないことだけが描かれる。それでも竜の手はなにかをするのだろうけど。
目を閉じるという人の営みを下敷きに読ませる作品ではあるけれど、この作品の裏にある人の営みはあくまで常識を元に読ませるための補足であって、この作品の内容ではない。
この作品から読みたいのは、そういうのが竜の在り方であるということ。人の価値観に依る悲しさなども差し挟まず、やがて空になってしまう竜の死に様は美しくすらある。
死と美を結びつける考え方はいろいろあるだろうが、「まなこ」を空とするのは、ストレートに死骸を美しいものに変換する行為だと言える。私が好感を持ってこの一首を読めているのは、その美しい変換が死の「意味」に関わるものではなく、ただ死骸が自然の物体に変わる様を端正に、飛躍を付けて表したにすぎないものだからだ。
裏読みをすれば人の姿も見えてくるけれども、ただ十分に竜の死を描き出した幻視の至りである。
直接描かれていない人間社会の話を読み取ることもできるのかもしれないし、「竜」がトカゲや恐竜である可能性もあるし、寥々としたファンタジーの光景ではなく地に足の着いた読みを展開できるのかもしれないけれど、そこまでしなくとも精細な解像度で立ち上がる一首だと思う。

現実や事実や人間に拠らずとも言葉は鋭利になりうる。それはとても強い希望だと思う。

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