一首鑑賞(道券はな)

性欲と呼べばいいのか潮風が頬切るようなこのかなしさを
道券はな『嵌めてください』(角川『短歌』2020年11月号)

最初よくわからなかった。「潮風が頬切るような」が「かなしさ」をうまく説明してくれない。(……ような気がしたが、思えば自分がそういう経験を持たないだけだった。)
冷たい、厳しい風にさらされている姿を思った。この連作で「あなた」が水に関係しがちであることも拾っておいて良いか。この風は「あなた」からの攻撃性を含んでいるのかもしれない。向けられて惹起された性欲なのか元々自分の中にある性欲なのかがはっきり判別できなかった。
「性欲」とは、感情のことではない。食欲や睡眠欲が感情ではないように、感情にかかわらず引き起こされてしまう欲求だ。だから「性欲」と「かなしさ」とは常識的にイコールには多分できないものなんだけれど、性欲と同視できるほど近いところにあるのが「かなしさ」であるというのがこの歌の独特なところだ。もちろん一読してそういう歌だ。
「性欲はかなしいものだ」という歌ではないし、「だから捨て去りたい」とかいう歌でもないところに注意したい。「性欲とはこのかなしさか」「このかなしさが性欲だったのか」という気付きを得ているだけなのだ。「かなしさ」は人間的な感情であり、「性欲」はより獣に寄ったものだと思う。人形などの無機物や人間、獣といったあり方の違うモチーフが登場する連作だが、人間をやめて無機物になりたいとかいった欲求はあまり感じなかった(「生まれたかった」と「なりたい」は違う)。この歌もその根拠になっている一首かもしれない。獣も持ち合わせているであろう「性欲」を自分の感情で捉え直す。「かなしさ」の存在は否定せずそういうものとして受け止めているところに心の強さを感じる。


全体について、都合よく引用してしまいそうなのであえて漠然と言う。
客体として生まれ客体として扱われたいという欲求が見えるような気がした。
「あなた」を客体としてなんらかの行為を希求する作品もあり、主体と客体を行き来しやすくしたがっている印象がある。主体として侵されない強さを求めるわけではないのだと思う。
度々登場する「あなた」の人格についてあまり描写がない。「あなた」を描写したいのではなく、「あなた」について見えるところを描写しようとしたに過ぎないのかと思う。すると自分自身のことも語りたがっているわけではないのだろうか……。欲求や感覚についてはよく書かれているけれども、私やあなたがどういう人物かを描こうとした作品ではないのだと思う。
引用歌も自分自身の感覚を書いたものではあるが、つまり私はそういう人間だ、と言いたいのではなく、もっと一般的な話をしようとしているのかもしれない。
主体たるべき者が主体性や人格を無視して客体化されることへの反発を歌う作品は少なくないが、そういった方向とは一線を画す。

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