一首評(02/11)

一匹のイヌの背中をさすりながらここまで風がながれてくるよ/井辻朱美「あかつきの星のメアリー」(2001年『井辻朱美歌集』沖積舎)

歌集『コリオリの風』から再録。

 落ち着いて爽やかでやや地味な印象さえ受けるが、その実とても広い視野を以て書かれた一首ではないかと思う。
 派手な言葉遣いではなく、登場人物も「イヌ」、観測者たる〈私〉のみというコンパクトなものである。しかし、「風」の描写によってこの歌は一気に壮大なスケールを獲得する。
 「一匹のイヌ」が視界に捉えられているのか、どこか別のところにいるのかはさておき、「イヌ」のいる〈そこ〉と〈私〉のいる「ここ」には同じ風が吹き渡る。世界の誰しもが同じ月を見上げるように、〈そこ〉にも「ここ」にも同じ風が吹く。
 思えば風は不可分のものかもしれない。自分が感じている風と、10メートル離れた地点に立つ誰かが感じている風は、同じだろうか別物だろうか。自分をなでるこの風は、どの地点からどの地点までのものだろうか。
 「一匹のイヌの背中」という極めて小さな点を「さすりながら」、同時に〈私〉のところまで「ながれてくる」風の在り方は納得を含みつつ衝撃的だ。
 風とはつまるところ空気の流れであり、この星を満たす空気をどこかで区切るというのはナンセンス。ある地点に吹いている風は同時にまたある地点にも吹いている風なのだ。
 だからこの歌において「一匹のイヌ」が視界の内にいるのか外にいるのかなんてどちらでもよく、小さな小さな点に吹く風を「イヌ」も〈私〉も読者である私さえも同時に共有しているという事実が差し出される。
 風とはかくも大きく、ともすればこの星全体をただひとつの風が包み込んでいるとさえ言える。一匹の蝶の羽ばたきが地球の裏側で嵐を起こす……ではないが、世界はひとつの風を介してつながっている。大きなものに抱かれる安心感と、「風」という軽やかなモチーフによる爽快感がある。身の回りの、生活の中で何気なく遭遇する場面を手がかりに世界観を示してみせた一首である。
 〈私〉が感じられる風は結局〈私〉に吹き付けるピンポイントの風にすぎないのだが、「ながれて」きた風は大きなひとつの流れとして遍く吹き抜けてゆくのだろう。

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