一首鑑賞×3

いつ死にていつ生まれしやわが部屋にときどき跳ねる蠅捕り蜘蛛は/吉川宏志「眼状紋」(角川『短歌』2020年11月号)

順序が逆に見えて音まできっちり合っていると事実をねじ曲げて作ったように見えることもある。ここではクモが知らず短いスパンで世代交代しているのだろう、という把握まで表す。
「ときどき」姿を見かけるのだけど、前の蜘蛛はいつの間にか死んでいて、この蜘蛛はいつの間にか生まれていた。そしていつの間にか死んで次の子が生まれて……。


夭折に焦がれるあどけなさゆえに光をはじくペーパーナイフ/帷子つらね「冬の交差路」(『歌壇』2021年3月号)

「焦がれる」で切れか。
鋭くも丸みのある輪郭、ペーパーナイフは刃物として未成熟な姿にも思われる。
「夭折に焦がれる」のも若さゆえかもしれず、下までかかるような雰囲気もある。
連体形と終止形は意味で読み分けるしかないかもしれないところですが、連体形とすれば「あどけなさ」に独特の修飾が乗り、終止形とすれば「あどけなさ」が唯一の理由としてものすごく立つんですよね。どちらにしてもかなり力がかかる。


はをすべてふるいおとしし大銀杏すっきりとたつかどをまがれり/佐佐木幸綱「おれせんぐらふ」(『歌壇』2021年3月号)

落葉しきった大きな銀杏の木が歯をなくした老人のようにも見える。
発音コストの高い上句といかにもずっしりした「大銀杏」に「すっきり」は意外な質感だったけど違和感がない!
「大銀杏」だけ漢字になっているのもすごい屹立しているし、意味より音と字面に振り切るとこうなるんですね……。(力士が立っているようにも見えるんですけど……)

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