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偉人のミュージアムはなぜ閉館してしまうのか

みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


音楽・芸術や芸能などで偉人、スターはいますが、その人達を記念したミュージアムが日本には各地にありますが、惜しまれつつ閉館することがよくあります。

今日はどうして続かないのか、続かせるにはどうすればいいのか探っていきます。



偉人の博物館、美術館、記念館はリピート客を呼び込むのが難しい

立地としては、観光地にあったり、その偉人のゆかりの地に多くあったりします。そこでしか見れない貴重なものが展示されていたりして話題にもなるので、ファンは訪れたくなります。そこに更新がないと同一客がリピートしたいとはなかなか思えないというのがあります。


集客が継続できずに閉館に追い込まれる

施設が営利目的である場合、来場者が減少すると惜しまれつつも閉館となるケースがあります。いくつか事例を紹介します。

ジョン・レノン・ミュージアム

ジョン・レノン・ミュージアム は、かつて2000年から2010年まで、さいたま市に存在していたジョン・レノンをテーマとした展示施設

石原裕次郎記念館

海運会社に勤めていた父親の転勤によって3歳から9歳までを小樽で過ごした昭和の大スター・石原裕次郎ゆかりの品を展示しており、テレビドラマ『西部警察』で使用した車両や映画『黒部の太陽』のセット、石原裕次郎が実際に使用していた愛車やアクセサリー・衣装・洋服などがあった。

1991年に開館し、2017年に閉館したのだそうです。

閉館の大きな理由は建物施設の老朽化。記念館のすぐそばは海で、塩気を含んだ海風は建物の老朽化を早めた。

実はボクも出張で小樽にいったときに隣のショッピングモールで昼食をとり、中には入りませんでしたが、建物の外観を眺めたことがあります。その後閉館してしまったので、入れずじまいなのですが。


新作もないので生前の作品や記憶に思いのある人がどんどん高齢化してしまう

ジョン・レノンは1980年に、石原裕次郎さんは1987年に亡くなっており、誰が頑張ろうといくらお金をかけようと新作は作れません。過去の未リリースだったものを掘り出してきて、リリースするくらいで、作品が増えない為、ファンは飽きてしまいます。さらに生前をよく知るファンのほうが思い入れは強いですが、時間が経つにつれファンも歳をとるので、若い人達にあらたにファンになってもらえない限り自然減となっていきます。


次世代の偉人を育成するプロジェクトを行うことで、活性化していく

一方で工夫を凝らしてうまく運営をされて、しっかりと続いているところもあります。

岡本太郎美術館

企画展示室 - 岡本太郎の作品や資料の展示だけでなく、新人作家の紹介と作品、幅広い現代美術、参加型の展覧会などの展示空間が可能となっている。
岡本太郎美術館では、さまざまな学校団体向けプログラムを行うことができます。川崎市生まれの岡本太郎の作品は「何だこれは!」と思わず叫んでしまうような不思議なものばかり。あざやかな色や奇妙な形だけでなく、太郎の独特で創造的な価値観は、子どもたちの感性をおおいに刺激することでしょう。気軽に利用できる地域の美術館

学校など団体の作品鑑賞ツアー、教材貸出、職場体験プログラム等あるようです。

新人作家作品を展示するだけでなく、学生に体験させたりして興味を持たせる取り組みをしています。単に「岡本太郎の作品を観る」だけにとどまっていないですね。


上述のジョン・レノン・ミュージアムは常設展だけでなく、若手ミュージシャンにコンクールをして賞を与えるとか、その大会をさいたまスーパーアリーナの小ホールでやるとか、ライブをするとかしていれば、音楽でプロになりたい、スターになりたい若者にも受け入れられたのではないでしょうか。

石原裕次郎記念館も建物の老朽化があったにせよ来場者の減少があったのですから、次世代の劇団員や歌手のライブをホールを作ってやっていれば、裕次郎さんを知らない若い人達も小樽を聖地に思って必死に頑張ったり、それを観に若いファンも来たりしてまた違って展開になっていたのではないでしょうか。

岡本太郎美術館のようなその分野の若手にチャンスを与えるとか、学生に興味を持ってもらうような取り組みというのは、とても大事で、その為には個人の運営ではなく、地域全体で取り組むことが必要なのだと思います。

偉人はいつまでたっても偉人なので、語り継げるように、次世代の偉人がでてくるような施設が多くあってほしいと思います。


それではまた。

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