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「そのままでいい」わけない。

先日、とある宴会に参加した時のこと。
ある女性に「あなた無理して変になろうとしてない?」と言われました。

それを聞いていた隣の女性も「そうそう!」と同調し、結局2人から「そのままでいいのよ」「普通の何がいけないの」と金言をいただくのでした。

とても為になるアドバイスで、私の人生を、生き方そのものを見つめ直し、ありのままの自分を受け入れられ、瞬間的に濃霧がかかっていた視界がパッと開け、終の住処で人生を振り返った時に「あの言葉があったから」と感慨深く孫に呟けるような一言にはなりませんでした

ちょっと待ってください。
勘弁してください。

「そのままでいい」わけないでしょう。

定職もなく、実績も実力も体力も地力も財力もない。
そんな私の一体どこをどう捉えれば「そのままでいい」なんて思えるのでしょうか?

もしも、ピアノが弾けたなら、思いの全てを歌にしてニコ動とYouTubeにアップして、テンポ良くテロップつけてTwitterにアップして、それがバズって人気が出てフォロワーが増えて、ニコ超に呼ばれて、家がバレて、また人気が出て、人気AV女優を家に招いてデュエットできたら、その時は「そのままでいい」と思たでしょう。

だけど私には、ピアノの腕どころか、ピアノを置く場所も、買う金もない。そもそもいい歳して実家暮らしで、ロクに親孝行もせず、80を超えた祖母に「頼むからマトモに働いてくれ」と言われても耳をかさず「みうらじゅんになんねん」の一点張りなボンクラ孫です。
ピアノなんて買おうものなら、かろうじて与えられた小さな部屋も、最後の手段で連帯保証人になり得る親からの信頼も決定的に失うことになるでしょう。

こんな私が「そのまま」のどこに納得すればいいのでしょうか。

そもそも言ってきた女性2人のうち1人は髪を真っ青に染め、もう1人は真ピンク。そして過去の経歴や、現状の実績などを踏まえてもキャラのセレクトショップみたいなお方です。アイデンティティで着飾ったようなその出で立ちであれば、さらに「変になろう」なんて気はおきないでしょう。

この構図は、国民が飢えに苦しんでいるさながら、自分たちだけは何不自由なく生活している貴族が「パンがなければケーキを食べればいい」と宣ったことと通じる部分があります。「キャラがなければ、普通でいればいい」んでしょう?

僭越ながら、斜に構えたキャラの薄い小僧の戯言を1つばかり申し上げさせていただきますと、どうも「そのままでいい」とか「ありのままの姿見せるのよ」といった風潮には、いささか“ズルさ”のようなものがある気がしてなりません。

「そのままでいい」という言葉は、一見すると今の(嫌っている)自分を受け入れるという平和的解決です。慈愛に満ちた非常に崇高で、文明的な、誰もが両手離しに喜ばねばならないような大義名分を含んでいる。

が、しかし。

見方を変えてみると「お前なんてどうあがいても無駄だから、そのまま現状維持で満足していなさい」と言われているような気がしてなりません。人の健全な欲望をへし折ってグリグリと踏みにじるような。

そもそも「それでいい」の「いい」「悪い」を他人がどうして判断できるのでしょうか。頼んでもいないのに、今から自分なりに描こうとしていたキャンバスに向かって、勝手に赤ペンで上から大きく丸を書いて「合格」と採点されてしまうような感覚。こちらまだ未完成でしたのに。

そんな極悪非道な言動にも関わらず、とてつもなく大きな大義名分を背中に背負っている。ズルくないですか?

もう出張赤ペン先生は結構ですので、みうらじゅんになりたいと哀れにもがく若輩者の姿を、ぜひ高みの見物で見下し、見守ってやってくれませんでしょうか。

そんな愚かな若輩者は、実は近日「入社試験」を控えておるのです。
かの有名な「面白くて 変なことを 考えている」をモットーとした株式会社人間が、私に正社員になるチャンスをくださいました。要するに「変になるチャンス」でございます。

試験の内容は至ってシンプル。

「10日間で企画を1000個作る」


本当に、12月20日から佐渡島に島流しされ、企画を1000個作るまで帰らないという入社試験に挑戦します。変になりたいからです。企画1000個作ったら、まだちょっと“変”だと威張れるじゃありませんか。

ただ、過酷な試験であることは重々承知しております。
そこで皆様から「企画のお題」を募集しております。

サイト内の一番下にお題を投稿するフォームがございますので、よければ「斬新なこたつを考えて」とか「ブッシュが再選するための政策を考えて」みたいな、半分大喜利でも構いません。考えるタネが欲しいのです。

どうか、私を立派な変な人間にしてください。
そのままじゃダメなんです。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。