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メンタルヘルスと2023年のポップカルチャー②支配と名前、否認とファンダム

一端の若手精神科医が2023年を生きる中で感じたことを2023年に摂取したポップカルチャーの話を通し書き残していく文章のシリーズです(全3回予定)。

2023年のポップカルチャーを語る上で旧ジャニーズ事務所の問題は避けて通れない。大きなファンダムがあり、そのブランド力も桁違いであり、多くの人々が心の拠り所だったジャニーズが、その名づけ親であるジャニー喜多川氏の性加害問題によって社名変更、全タレントの移籍という事態に陥った。

性加害者の名前を冠した会社名が変わるということはそうなるべきと頭では理解していたが、いざそうなってみた時の驚きが確かにあり、そしてファンの人々の困惑や拒絶も当然だと思った。本稿ではファンダムの心をも混乱させるその支配力について、幾つかの作品への言及をまじえて考えてみたい。



支配する力

この問題が取り扱われている期間に観ていたドラマ「サクセッション(邦題:「メディア王〜華麗なる一族〜」」の内容がジャニーズ問題と妙に重なった。一代で築いた巨大エンタメ企業、その内情と後継を巡るドラマであったらからだ。2023年のシーズン4をもって完結を迎えた本作だが、この作品が胸に残したざわつきがほぼリアルタイムで現実に並走していたように思う。

「サクセッション」で強烈なのは創始者ローガン・ロイの支配力である。彼の場合は子どもたちに対してのものだ。誰に対しても後継の可能性を示し、いざとなれば決定的なことを言わず争いを生む。しかし絶対的な庇護力を持つため、誰もそこから抜け出せない。強い緊張感と終わりない温もりによって作られた地獄そっくりの楽園が「サクセッション」の舞台を形成する。

圧倒的な権力者はこの世を去ったとしてもその影響力が変わりないことを「サクセッション」は示す。断ち切られたはずの思念はいつまでも絶え間なく関係してきた人々の間で渦巻くし、多くの人々に植え付けてきた恨みも終わることなく、むしろ噴出する。ジャニーズ問題の根深さはこの圧倒的な支配力が親類や関係者のみならず、ファンダムへも強く及んだことであろう。

「サクセッション」は1メディアの話であるが、ジャニーズはアイドルというファンダムありきのビジネスだったことがその支配力を増強させていた。アイドルを人質に取ることで、問題を公然の秘密に仕立て、ファンダムの口を噤ませる。次項では、"名前"と"場"という観点からその支配が生んでしまう、ファンダムの間に横たわるようになった大きな分断について書く。


名前と場

つくづくジャニーズという名前を様々なプロジェクトに散りばめてきたことの影響力は凄まじい。そのグループのファンにとってジャニーズや"ジャニ"といった言葉は所属事務所の創業者の名前という意味以上の遥かに強い意味を持っている。もはやそのグループを象徴する言葉となっているわけだが、今回の問題ではそうした思い入れを問わず容赦なく変更され尽くした。

ジャニーと付く名前を変えることへの抵抗とジャニー氏の性加害を糾弾する行為は同居し得る。しかしファンダム以外から見るとなかなかその気持ちは理解されず、ダブルスタンダードとみなされてしまう。ジャニー氏を全面的に擁護するスタンスを取るファンダムは、ひょっとすると自分の振る舞いがダブスタと呼ばれることを忌避しているのではないかと思ってしまう。

人間の精神にはストレスへの防衛規制として"否認"が備わっている。直面している不満や不安について見ないように無意識が働かせるのだ。その上で何と向き合い、何を拒否するかと意識して動いていくのが冷静な判断力と言えるだろう。しかしここで葛藤を抱えきれずに投げ出しまうとなれば、今回で言えば事務所を擁護したり、問題をないものにしようとする態度に繋がる。

愛着のある"名前"への想いと、自分にとって大切なアイドルを育て見せてくれた事務所という"場"への想い。ファンそれぞれがこの2つの想いへの葛藤を背負いながら、それぞれの価値観によって反応をくだしていたこの数か月。大切な"名前"や、信頼していた“場”を自分の身から引き離す不安感は計り知れない。慣れ親しんだ"名前"と"場"に、迷いなく抗うことは難しいのだ。


7月期に放送された日曜劇場ドラマ「VIVANT」も思えば「“場”には抗えない」ということを描いた作品だったように思う。主人公の乃木憂介(堺雅人)は自分の気持ちを捨て”日本国“を守ることに執心している。そして自分を育ててくれた“場”に支配されているのにも関わらず、その展開は最終回で感動すら呼ぶ。自分の心を捨て、役割を真っ当することはドラマになり得てしまうのだ。事務所への恩義を重要視する現実世界と地続きな感動の誘い方だ。



外傷的絆を利用される

ジャニーズ問題を擁護するファンダムの一部において、陰謀論的な動きが生まれたことも注目すべき点だろう。大事な存在が突発的な出来事によって踏み荒らされたことによる強い心的外傷は本来は事務所の隠蔽体質が原因のはずだ。しかし事務所を擁護するような(主に政治思想に由来する)陰謀論を媒介にしてまで前項で述べたような事務所への支持が一部で続いているのだ。

それはまるで虐待の加害者と被害者の間で生まれる「外傷的絆」のような結びつきを思わせる。どれだけ事務所に心を傷つけられようとも、"推し"が身を置き頑張っているという事実で事務所への感情的な愛着を形成しているように見えるのだ。その結びつきを肯定するために、根も葉もない陰謀論さえも持ち出して問題に蓋をしてしまうようなファンダムもいるのであろう。


時にファンダムカルチャーは極端な発想が先導し、暴走し得る可能性がある。Amazon Prime Videoで配信されているドラマ「キラー・ビー」は歌姫を信奉するファンの"推し"への想いが凶行を駆り立てる様が描かれていた。"推しに沼る"ことが推奨され続ける昨今、米国ではカルチャー側が既にこうした形で警鐘を鳴らしていることについて目を向ける必要があるかもしれない。



私はジャニーズアイドルに対して強く思い入れがあるわけではなく、問題を静観することも出来なくはなかった。しかしこれまで診療現場で出会ってきた人の中にはアイドルを推すことが生き甲斐で、それが精神の安寧に繋がっている方も沢山いた。こうした問題によってアイドルを支持すること自体がキャンセルされるようなことがあってはならないと思いこの文章を書いた。

企業やテレビ局のご都合主義な態度であったり、思想を利用され得る陰謀論の忍び寄りであったり、純粋にアイドルを想う態度を翻弄するようなものはとても多い。そんな環境から心を守るにはやはり自分の"好き"を信じることしかないだろう。誰とも共有されない"好き"を大事にすることは前回の結論にも通じる。最後に信じられるのは己の内側が反応するものだけなのだ。


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