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【短編小説】柘榴と白い邸宅

「柘榴とペルセウスと桃」の続きです。

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個人的に「喫茶柘榴」が一番似合う季節は秋だと思っている。それが「柘榴」という果実の旬がこの季節だからなのか、飴色の店内がそう思わせるのか、それとも濃い茶のスーツに柿渋色のシャツと黒いネクタイという、なんとも秋めいた服装の彼がいつもの席で美味しそうにコーヒーを啜っているせいなのかはわからない。
「今日はずいぶんお洒落ですね」
店に入るなりわたしは彼にそう話しかけると、テーブル席に向かった。彼は「隣に座りなよ」と椅子を指差してわたしを呼ぶ。あんまり近寄りたくないなぁと思いながら渋々彼の隣に行った。こんな風に服装が決まっている時は、必ず女性が絡んでいるからだ。マスターもそれを察しているのか、ドアの方をずっと見ている。

「誰も来ませんよ」
そんなマスターを見て彼はそう笑うと、少し窮屈なのかネクタイを緩めた。
「で、そんなお洒落して本当はどうしたんです?」
わたしが改めて聞くと
「これ?友だちの個展があるからちょっとちゃんとしてみた」
そう言ってまたネクタイを締め直した。
「どうせ緩めるんだから、締め直さなくていいのに」とわたしが言うと「バレてら」と小さく舌を出してまたネクタイを緩める。自分のそういう仕草が、わたしの胸を締め付けていることをこの人はわかってやっているのだろうか。マスターがわたしの前にコーヒーカップを置きながら「相変わらず仲がいいね」とボソッと言った。
「仲が良いとかじゃないです」と慌ててわたしが訂正すると、彼が「桃をあーんした仲なのになんだよ」と膨れた。いや、桃をあーんした仲、という言い方はなんなのか。というかだいぶ酔っていると思ったけれどちゃんと覚えていたんだ。何も見えなかったペルセウス流星群の夜のこと。

「良かったら、この後一緒に行かない?個展」
コーヒーを飲みながら彼がわたしをチラッと見て言った。
「ドレスコードあるんですよね?」
「ないよ、これはちょっとその後に用事があるだけだから」
「じゃあ、行きます!」
わたしは自分の服装(まだ夏の名残のあるワンピース)には目を瞑って即答した。もうやりたいことや、行きたい場所、そういうものに自分に何かが足りないからって言い訳をして躊躇することをやめよう、そう決めたのだ。
「良いお返事です」
彼はにっこりと笑って言った。

コーヒーを飲み終え店を出ると、わたしたちは大通りへ出てタクシーを拾った。
「日が暮れるのがずいぶん早くなったな」
タクシーに乗り込んで目的地を告げると、彼は誰にでもなくそう呟いた。わたしは車窓に映る東京の街を、彼の横顔越しに見ていた。
「何、なんでこっち見てんの」
ちょっと怪訝な顔をする。
「そっち側の景色が見たいだけです」
「屁理屈だなぁ」
彼はそう言うと照れたように耳たぶを触った。

目的地は少し小高い場所にある一軒のギャラリーだった。一見ただの白い邸宅のように見えるが、門にギャラリーであることを示す銅板のレリーフが掲げてあった。門から玄関までの石畳を歩く。光に輝くそのギャラリーはまるでギャッツビーの邸宅を見ているようだった。自分の場違い感に一瞬足がすくんで立ち止まると、彼が振り返って「んもう」と言う顔をして、わたしの手を取って歩き出した。入り口で迎えてくれたのは、あの海のアトリエで料理をたくさん作ってくれた太陽みたいな笑顔の女性だった。今日はシックな青いワンピースを着て小さな三日月のネックレスをしている。
「あ、あれ?」とわたしがほっとして言うと「ようこそ、いらっしゃい、ゆっくり見ていってね」とあの笑顔で言った。
「こんばんはー」と彼が小さく会釈する。わたしは繋いだままだった手を振り解こうとしたが、なぜか彼が離さないので、そのまま展示室に入った。展示室は少し薄暗くなっており、壁にかかった絵が一番美しく見える角度でライトアップされている。

「あの柘榴の絵を書いてくれた女性の個展ですか?」
わたしが小声で聞くと
「違うよ、ベランダで燻製作ってたやついたじゃん?彼の」
彼もまた小声で返事をする。そしてずっとわたしの手を握っていたことを急に思い出したのか、そーっと手を離すと、じゃあ後ほど、と言ってどこかへ居なくなってしまった。

てっきりそのまま一緒に見ると思っていたのに拍子抜けだ。でも、元々絵はひとりで見る方が好きだ。美術に詳しくもないし、その感覚があっているかは分からないけれど、絵はそれを描いた人との対話でもある気がしている。緻密なその絵を見つめながら、わたしは寡黙に燻製を作っていたあの人のことがほんの少しだけわかったような気がした。孤独とそれを凌駕するくらいの深い愛。

全ての展示を見終わり彼の姿を探していると、関係者以外立ち入り禁止の廊下の向こうから、彼の楽しげな笑い声とカメラのシャッター音が聞こえた。関係者のみと書かれたポールの前で待っていると、部屋から彼がひょっこり顔を出して(ごめん、もうちょっと待ってて)と声を出さずに言った。わたしはホールに戻って、置かれた椅子に腰掛けた。白い大理石の床が冷たくも暖かい光を帯びている。少しだけ眠い。絵に圧倒されてしまったんだろうか。

どれくらいの時間が経過したのだろう、気づくと彼が目の前にしゃがんで「起きろー」と声をかけていた。隣には絵描きの彼と青いワンピースの女性も一緒だ。二人はちょっと笑っている。わたしはよだれでもたらしていたかと口元を拭いながら「し、失礼しました」と言って立ち上がると「大丈夫だよ、待たせちゃったね」と絵描きの彼が言って微笑んだ。
「じゃあ、俺ら帰るね」
二人に挨拶をすると私たちは玄関を出た。行きには気づかなかったがギャラリーの中庭は芝生が敷き詰められていて、少し遠くに東京タワーが見えた。振り返ると二人が手を振って見送ってくれている。
「さっき、写真でも撮ってたんですか?」
「そう、半分仕事。ごめんね待たせちゃって」
彼はそう言ってネクタイをスルスルと解くとポケットにしまい、ジャケットも脱いで腕にかけた。
「さて、なに食べたい?付き合ってもらったお礼に何か奢ってあげよう」
「うーん、そうですね、燻製料理?」
「なんだよ、それ。変なところで影響されすぎ」
そう言うと、彼は今日一番の笑顔で笑った。

もしも彼が絵を描く人ならどんな絵を描くのだろう。本人が真っ白なキャンバスみたいな人だから、そのまま、白いまんまなんじゃないだろうか、わたしはそんなことを思いながら、彼と一緒に坂道を歩いた。


(つづく)

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