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2000と23年と12月と31日

なんだか今年をまとめてみないとぬるっと年を越してしまいそうであわててnoteを開いてみた。

2023年はどんな1年だっただろうか。

現実に(精神世界よりも地に足をつけてという意味。)生きているようで実は変化の多い1年だった気がする。

大きな変化にカウントされないような些細なものも。変化に付随した変化も。

ひとつ言うとしたら、とっても楽しかった。

路頭に迷うような環境から、まわりの助けをかりつつ社会との関わりを持てるような土台を造れた1年。
心と向き合う段階を経て、うまく折り合いをつけて今を生きることができるようになったと思う。


少なくとも年始に立てた目標というか指標、①BE CREATIVE ②BE COLORFUL ③BE FREEDOMについては体現できていた気がする。
今のマイ・クリエイティブブームは編み物。(ヘッダーのそれも。)
この1年だと共同で個展を開いたり、デジタルで絵を描いたり、ネイルデザインを考えて施したり、映像をつくったり。多分見返したらもっとある。もちろん文章を発することも含む。


わたしにとって何かを創造することは、伝えたい何かを形にする手段だったり、脳内の喧騒から暫し逃れるための手段であったり、産物も勿論だが過程において特に多様で大きな意味を持つ。

また生まれたものを残すことも、生きた証を残すものとして大きな役割を果たす。


少し話は逸れるのだが、今年言われて1番と言って良いほど驚いた話がある。
お年を召した方と話す機会があり、若い人はまだ未来が明るいからという話の筋。
「若いから死ぬことなんてまだ考えたり想定していないと思うけど、」
驚いたが否定する訳にもいかず平然を装った。(案の定この後に続く話は忘れている)

私は毎日死ぬことまで仮定において行動している。また、"死"について考えている。
ここ歩くと車にぶつかって死にそうだな、なんて軽いものからこの痛みは重大な病気でもうすぐに大切な人に会えなくなってしまう、わたしより長く生きるあの人には悔いのないように良い言葉を伝えたい、なんてものまで。
死んだらどうなるのか。死とは何か。これらは常に脳内の議題に上がるものだ。
このようなことを考えたところで少なくとも生きているうちに結論を手にできるわけではないし、あまりプラスになるものではないかもしれない。
しかしそれでもなおこれを考えるのが私なのだと25年生きて受け入れた。一種諦めに近い部類の。
死を意識して生きる、少し重いように聞こえるかもしれないがいくらかは良い方に作用することもあるし、だからこそわたしは自由に生きるのだ。突然死んで後悔したくないからね。

まあこのような人間もいるんだよ、ということを知って、ふーんなんて思ってくれたら幸いです。
わたしもこれからも色んな人間に触れたいし、色んな考えを知りたいしそれでいて豊かな人間でありたい。大切な人に寄り添える人でありたい。

年終わりをいいことに頭の片隅に留まっていたものを大掃除のように出してみましたが、年を跨いだところで変わらず日々脳内は忙しいはずです。


みなさんと私の2024年中の幸せを願いながら、来年のことはまた必要になったときに考えます。
それでは、よいお年を。

2023/12/31 She know.

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