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要介護の祖母に思いを巡らす

どうも、いわみです。

最近、介護老人保健施設に入居している祖母の所に会いに行ってきました。
祖母は、もうすぐ79歳になります。

祖母は、脳の機能や筋力が低下しおり、寝たきりでほとんど体を動かすことや喋ることが出来ません。
食事は胃ろうです。
それでも、耳は聴こえ、目も見えるのでアイコンタクトでコミュニケーションをとります。たまに、鼻で笑ったような声を出します(笑)

祖母は、昨日までの約79年間と今を生きています。

そんな祖母との関わり方について気になったことがありました。

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先日、祖父と大叔母と祖母に会いに行きました。
そこで、2人のコミュニケーションのとり方に違和感を覚えたのです。

まず、祖父、とにかく祖母を触ります。
頭や顔をなでる、腕をさする、手を無理やり握ろうとする。
祖母は身体機能上、抵抗することができませんし、拒否の意思を示すこともできません。
祖母の身体の自由は、祖母にあるはずなのに、執拗に触っても良いのだろうか少し不安に思いました。
確かに、祖母と祖父は長年の夫婦関係があります。それは私には到底知りえないような長くて深いものだと思います。
だから、あまりあーだこーだ言えないのかもしれないけれど。

そして、一番ムカつくのが
「ここで返事してくれればいいんだけどなあ」というセリフを祖母の目の前で言う事。いつもこの発言に幻滅します。

ある日突然コミュニケーションをとることが出来なくなってしまったことの辛さをどうこうしろとは言えないけれど、
喋ることができない祖母の気持ちに配慮できないのか、
祖父自身が今の状態を受け入れることはできないのか、
それがとても難しい事なのはわかっているけど、厳しく考えたりもします。

そして、大叔母、話し方が子供に向けたそれでした。
所謂、子ども扱いです。

まるで幼子の相手をするかのように、優しく丁寧に話しかける様に違和感を覚えました。しかも、そんなに耳も遠くないはずなのに、大きな声で

「おねえさん、きょうはあついね~。」

「きょうのふく、にあってるね~。」

そのコミュニケーションのとり方で、本当に大丈夫かしら、と横でヒヤヒヤしながら聞いていました。

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祖母は、確かに介護を必要としていますが、それ以前に約79年間生きてきた立派な人です。

大叔母は笑って言いました、
「人間って、生まれて大人になって、そして年取ると赤ちゃんに逆戻りするの。」

だからって、向こうにリスペクト無しに「世話してやっている」を感じてしまうコミュニケーションのとり方でよいのだろうか。

祖母の状態は決して良好とは言えないけれど、79年間という歳月を生きている人であることを忘れたくない。忘れてほしくない。

私は介護周りのことに全く明るくないのだけれど、
人はお互いを必要として、頼り頼られ、そこに感謝が交わされることで幸せに生きていけることを知っています。

「今日も話してくれてありがとう。」
私は、祖母の部屋を出る際には、この言葉を忘れないようにしています。

これが、祖母にとって嬉しいのか、気持ち悪がられるのか、はたまた聞こえないのか、理解していないのか、そのどれでもいいのですが。
少なくとも私にとって、祖母はとても頼りになる私の大好きなおばあちゃんです。

(こんな話を家族にしたら疎ましがるだろうけれど、
今度帰省した時にやんわり話してみたい。)

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