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2023.2/22 SHE SAID

休日はいつも遅く起きて、朝とも昼ともつかない時間帯に料理をする。今日もそんな日だった。
「フラッシュバック」とでもいうのだろうか。食事の支度をしながら突如思い出されたのは10年近くも前の出来事だった。
制作進行というポジションで従事していたある映画の撮影現場で、上司に殴られた。普段あまり感情を露にすることのない人だったが、私が反抗的な態度をとったためにキレたのだった。彼は私の鎖骨のあたりを拳で数回、力を込めて殴った。
バタバタした屋外のロケ中のことで、その瞬間はすぐさま過ぎ去って記憶の中に紛れた。はずだった。
それが今になって鮮明な、スローモーション動画で私の脳裏に再生された。豹変した彼が恐ろしかった。みんながこっちを驚いた目で見ていたが、誰も何も言わなかった。

こんな風に何の脈絡もなく突然過去のトラウマが蘇ってくることは私にとってはよくあることだ。「またか」と、頭を振って打ち消して終わり。楽しみにしていた映画を観に行くことに脳内をシフトした。
だが、さっきの記憶はまさにその映画によって呼び起こされる感情の予兆だったのかもしれない。

「SHE SAID」。気になっていたものの公開当初盛岡では上映予定がなく残念に思っていたら忘れた頃にアートフォーラムで上映されることを知り、すぐさま観に行くことにした。「NYタイムズの女性記者がハリウッドの大物プロデューサーの性犯罪を暴く」というざっくりした前情報しか持ち合わせずに鑑賞した結果、こんなにも当事者意識を呼び起こされることになるとは予想していなかった。

映画館を出てからもしばらく動揺していた。身体が震えるのが寒さのせいなのか、別の理由からなのかわからなかった。細胞のひとつひとつが沸き立っているようだった。

私が経験したことは、この映画のようにセンセーショナルなものでは全くない。「事件性」などとはおそらく程遠い。それでも、次から次へと「もう終わった」はずの記憶が溢れるように蘇ってきた。

業界を引退したのはもう8年前。鬱で入院し、カウンセリングに通った。「女性」として、自分には価値も魅力もない。そんな思いに苦しんだ。その出来事は5年ほど前に作ったZINE「ナガタビvol.5」の巻末のエッセイにも書いたが、あるプロデューサーの一言がきっかけだった。
「お前には性的な魅力がない」
そのくせ「今日はお前でオ●ニーしてやる」とも言われた。会話の中で何気なく発せられた言葉で、本人には何の悪気もなかっただろう。
当時尊敬していた先輩の前で、胸が小さいことを冷やかされたこともあった。後ろからはがいじめのようにされて、先輩の方に胸を突き出すような姿勢にされ、「お前は全然胸がないもんな」と。
彼は繰り返し言っていた。
「こいつは俺が面倒見てやった」
私はその通りだと思っていた。仕事をもらった。いじられてオイシイと思わないといけない。それはありがたいことなのだ。と。
打ち上げの席でそのプロデューサーが新人女優の胸を鷲掴みにするところも見た。その女優は驚きもしないような様子だったが、実際はどう思っていたのだろうか。

ある現場では、美術トラックのドライバーに執拗に飲みに誘われたりLINEで「お前のスカート姿が見たい」だの「〇〇(私の下の名前)に会えないと寂しい」だの、気持ち悪いことを言われていた。最初は下っ端の私を励ますようなことを言ってくれる面倒見の良い人だと思っていたが、下心があったのだ。車輌部に嫌われると仕事が円滑に進まなくなることを恐れて露骨に嫌な顔はできなかった。上司は男性ばかりで、ひどく予算とスケジュールがタイトな現場で殺気だっていたので怖かった。その上司のひとりからはいつも怒鳴られ、詰られ、パニックに陥って言葉が出なくなった。彼は私の胸ぐらを掴んで大きく揺さぶり、履いていた靴を私の顔に投げつけた。
そんな中、「何かあったら私に言いな」と言ってくれたのは助監督の年上の女性だった。そして「私も前にこんな経験をしたよ」と彼女が語った出来事は、「車の中で当時の上司に服に手を入れられ、ブラジャーを剥ぎ取られた」という内容だった。

思い出せばキリがないほどだ。24歳から31歳まで、卑猥な言葉を浴びせられ続けた7年間だった。
「その紐縛るの手伝ってくれる?いつもお前が縛られてるみたいに」
「俺のチ●コ舐めてよ」
「何その帽子、コンドーム?」(それは友人が編んでくれたニット帽だった)
「(コーヒーメーカーに入れる水を運んでいた私に)風俗嬢がローション持ってきたよ」
「騎乗位とかするの?」

顔に向かって放屁された。分厚い台本を丸めたもので思いっきり頭を数回殴られた。腰を蹴られた。尻を何度も叩かれた。

「整形したら?」
「体型のバランスが変」
「女みたいなこと言うなよ。気持ち悪いから」
「何カップだ?」
「お前が女っぽいこと言ったりしたりするとムカつく」
「女のくせに」
「女なのに」
「これだから女は」

どの出来事もひとつひとつ、鮮明に思い出せる。
5年前に書いたエッセイの最後はこう締め括られていた。
「もう自分を可哀想に思うこともやめた。これから先、長い人生のために、私は悲劇のヒロインの座を降りた」

違う。そう簡単に、降りてはいけない。いや、降りることはできない。
私はハリウッドの被害女性たちとは違い、示談金も提示されてなければ法的に何の制約も受けていない。

誰も取材に来ないなら、自分で書けばいい。



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