婚内失恋
『婚内失恋』という言葉があるのを今日初めて知った。
「婚姻関係を維持しているが、お互いへの感情がなくなった夫婦関係」のことを言うのだそう。
こんな言葉があったなんて。
この言葉にピーンと感じるものがあったのは、私たちの夫婦関係がまさにそうだったから。
悲しみと虚しさがにじみ出るこの一言。
それでもまだ一緒にいる理由は人それぞれだろう。
今回の『誰来晩餐』のホスト家族は、婚内失恋の関係である阿英と旦那さん。
結婚30年だけど、今の生活は交わりがなく、会話も必要なコミュニケーションをとる時だけ。
14歳年上の旦那様は、軽い脳溢血の後リハビリをしながらの生活を送り、
阿英は、山の中から摘んできた名の通り「野菜」を売ってなんとか生計を立てている。
阿英も心臓の手術をしたことがあるが、市場で野菜を売りながら、こっそり一杯飲むのが毎日の楽しみである。
娘に見つかると怒られ、喧嘩になってしまうが、それでも飲みたくなるのは、心に溜まっている重くのしかかっているものが一瞬でも消えたかのように軽く感じるからかもしれない。
三人の子供たちが小さいころは、一つのインスタントラーメンに摘んできた野菜を入れて、三人で分けて食べさせたというくらい貧しい生活をしてきた、と語る阿英の脳裏にはかつて体験した苦しみが生生しく蘇ってきたようである。
阿英が旦那さんに求めるものは、「お疲れ様。」の一言だけだそうだ。
旦那様は、自分のことを気にかけてくれてもいないだろうと信じて疑わない阿英にサプライズのギフトをあげようと、旦那様は、何件もの靴屋さんを回って、娘さんから聞いた質の良い長靴を探し求める。
長靴は、阿英が野菜を摘む時に欠かせない必要なもの。
1千元以上する長靴があると聞き、それを妻にプレゼントしたかった旦那様だったが、とうとう見つけることができず、店の中にある一番値段が高いものを買って帰る。
タイミングを見てようやく買ってきた長靴を妻にプレゼントする。
「もっと働けって言っているの?」と冗談を言う阿英は、嬉しさを隠しきれない。
「なんで長靴?」
「いつも長靴がまた壊れたって言ってるじゃないか。」
「少なくとも40回は買い直しているだろう。」
「えっ?ちゃんと聞いてたの?気にかけてくれてたんだ。」
旦那様の気持ちに感動した阿英は、自分の気持ちにも気づいた。
帰宅すると必ずいる夫の存在に安心する自分、夫は自分にとってはなくてはならない大切な人であると。
「そういえば、心臓の手術をしたときもすごい心配した顔で病院に来てた」
と感慨深く話す阿英。
彼女の気持ちの変化が画面からも伝わってくる。
人が求めているものは、やっぱり愛されていることなんだなと思った。
どんなに苦しくても、大事に思ってくれる人、気にかけてくれる人がいるだけで頑張っていける。
多くの場合、問題の原因は、自分のマインドである。
相手に自分の感じていることを伝えてコミュニケーションをとることよりも、「こうなのかもしれない」「あーなのかもしれない」「きっとそうだ」と自分で想像を膨らませて勝手に相手を作り上げてしまう。
このとき、先に行動に出る人がいなければ、関係はどんどん悪化していくのみだろう。
阿英の旦那様が行動に出たことで、阿英の中で勝手に作られた旦那様の像が破壊され、本当は愛されているということを阿英は知る。
二人の仲を取り繕ったのは、一足の長靴。
いや、正しくは、長靴の裏にある旦那様の気持ちである。
阿英の気持ちに自分の気持ちを重ねて観ていた私は、自分のことを思い出す。
婚内失恋の空虚感から救ってくれたのは、「ブログでも書けばいい」
という夫の一言。
「お金にならないけどいいの?」
家計に貢献しようと、仕事を探そうとしていたが、20年も主婦をしてきた私は、何がしたいのか、何ができるのか分からず、葛藤していた。
そんな時に、好きなことをやればいいと言ってくれる夫の一言で、重くのしかかっていたプレッシャーが一瞬にしてなくなり、心がふーっと軽くなったのだった。
人って複雑...と思っていたけど、本当はすごく単純な生き物なのかもしれない。
自分を受け入れてくれる人、愛してくれる人、サポートしてくれる人がいると分かれば、それだけで心が満たされる。
これが、お金があっても買えないものなんだな、としみじみと思う。
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