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12年経った当時の記憶

みなさん、こんしばわん。
しばみかんです。

今日という日は人生の節目の日でもあった方が多いと思います。
私が経験したことも段々と記憶が薄れてきましたので、思い出しながら書きたいと思います。

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2011年3月11日。
当時の私は大学生で春休みで、実家暮らし。
この日の午後に映画を見終わった母と待ち合わせをし、出かける予定でした。
午前中は洗濯をし、のんびり午後になったら外に出ればいいかな〜
ベランダで洗濯を干しながらぼんやり思っていました。

突然ですが、私と母は空を見る習性があります。
何か雲に違和感を感じた時には
「あれは地震雲じゃない?」
とプチ議論をすることもあります。
(補足:地震雲の有無ですが私は半信半疑です。まぁ関係あるんじゃない?というテンションです)

洗濯を干し終わった後に見た空と雲は、いつもと違いました。
空は青空ですが、雲は段々畑のようになっており ひとつひとつが厚い。
「なーんか変な雲だな」
私はそう思ったのでした。

午後。
外に出る支度をしている最中に、学生の妹が帰宅しました。
定期テストで早く帰ってきたのでした。
テストが終わって解放されたのか、テレビを見てポケーとリラックスモード。
ちょうど時間的にワイドショーが放送していて、民放の番組を見てました。
私も一緒に見ながら、バイト先の上司とメールをぽちぽちとガラケーから打ってました。
「おーバイトのヘルプ入ったわ」
「おーおつおつ」
と、たわいのない会話をしていました。

そして…

2時46分。
揺れに気がついたのは、私でした。
「揺れてる?」
頷く妹。
そして、いつもより揺れが長い。
何かを察したのか、私は動き始めました。
「ちょっとこっちに来た方がいい」
と窓の近くにあった簡易的な椅子に座るよう、妹を誘導した

次の瞬間…

横揺れが大きく襲いました。
ガタガタガタガタ 家の中で何かが揺れる音
ガシャガシャガシャ食器棚の中で皿が割れる音
ザザザーーーー 紙の束が床に落ち散乱
・・・
怖い音が耳の中に入ってきたのです。
流石に驚きを通り越して、怖さが襲ってきたのでしょうか。
「ねぇぇぇちゃぁぁぁぁぁん」
椅子に座っていた妹が大声で泣き始めました。
「大丈夫、だいじょうぶ」
私は妹の背中を摩りながら抱いてました。
立っていたものの、足が小刻みに震えていました。

揺れがおさまり、家の中があらゆる物で散乱している状態。
正直、生きた心地がしませんでした。
つけていたテレビ番組は関西からだったので、司会の人が「え?なに?関東で大きい地震があった?」と発言。その後、報道ニュースに切り替わりました。
妹が泣き止んだのを確認してから、裸足のまま玄関のドアを開けて外に出てみると、騒々しい雰囲気になってました。
外にいた人たちは慌てた様子で歩いていたり、コンビニなどの建物から出てきたり…
気がついたら隣人(奥さん)が外に出ていて、互いの安否を確認しました。

ここからが大変です。
まず母と連絡が取れない。メールは送れない、電話も通じない。
携帯から、家の電話から電話しても通じない。
映画見るって言ってたけど、何時までなんだ…?
次に仕事場にいる父にも連絡が取れない。電話もメールも通じない。
当時、しばみかん家族全員ガラケーだったのでした。
おまけに「携帯していない携帯電話の意味がないじゃん」と父にからかっていました。この日ばかりはスーツのポケットに入れっぱなしじゃないだろうな…?
そして物が散乱している家の中を片付けなければなりません。
幸いにも本棚や食器棚には突っ張り棒で転倒防止をしていたので、倒れてきませんでしたが、本が飛び出してきたり、お皿が割れたりなど細々した片付けが必要でした。
(テレビも滑り止めのシートを引いていたので、飛んできませんでした)
しかし大きな揺れがあったのにも関わらず余震が続いており、うまく作業が進みません。
とりあえずすぐに避難できるようにスーツケースを出してきて、避難所へ行けるように準備をしていました。

地震発生から30分ぐらい経った頃でしょうか。
母から電話がありました。
「大丈夫!?映画みてたんだけど、クライマックスであと5分で終わる時に地震きちゃってさ!びっくりしちゃった。(妹の名前)は大丈夫!?帰ってきてたのね。電車止まっちゃってるし、歩いて帰ろうかなー。歩けないことはないと思うんだけど。もしなんかあったら困るから、隣の人に事情を話してなんかあった時はすみませんお願いしますと伝えて。私は帰った時にご挨拶行くからさ。え?お皿割れちゃった!?あらー大変。そのままでいいから近づかないようにだけ気をつけて。じゃあ、わかったら連絡するけど通じないみたいだから、通じたら連絡するわ」
マシンガントークの母ですが、こんな感じだった(と思います)。
妙な体験をしたな、と思いながら片付けをしていたら今度は父からメールが届きました。
「こちらは大丈夫です。大丈夫ですか?」
母や妹のこと、家のことを返信し、ようやく家族全員の安否は確認出来たのでした。
そして隣人に事情をお話しして、ガス栓の元を締めて、両親の帰宅を待ちました。

テレビを見ていると、様々な情報が繰り返し流れては更新されていました。
18時過ぎぐらいでしょうか。渋谷駅周辺の映像が流れ、電車がマヒしているのでバスの長蛇ができていました。いわゆる、帰宅困難者が発生していたのです。
この世の中はどうなったのかと思うぐらい、混乱していました。

21時ぐらいでしょうか。
母が帰宅しました。母の姿を見て、安堵したのを覚えています。
妹も恥ずかしながら母と喋っていました。
そして隣人にご挨拶しに行き、家の片付けをしていました。
ただ父は渋谷駅などの混雑から帰れないと判断し、会社に泊まり次の日に帰ってきました。

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覚えていることを書き出しました。
12年経っているので、当時の夜ごはんなどで食べた物、どんな行動をしていたかなど細かいことは残念ながら思い出せませんでした。

最後にこの日を境に心がけていること、行動していることを伝えたいと思います。
・ガスの元栓は締める
・電源はできるだけ切る
・モバイルバッテリー、ホイッスル、アルミブランケット、カイロを持ち歩く
・絆創膏、薬、お薬手帳を持つ

まだ足りないと思うので、徐々に増やしていきます。
ではでは。
ここまで読んでいただきありがとうございました。

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