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ウィグル新疆綿問題が日本人に突きつけたもの

 北京五輪が近づいてきた。アメリカが外交ボイコットを宣言し、中国との関係を悪化させたくない日本は、難しい立場に立たされている。もはや、ウィグル自治区で産出される新疆綿がはらむ問題から、日本は逃げられない。国や企業だけではなく、消費者一人ひとりも。

 新疆綿は繊維の長い超長綿で品質が良く、光沢がある上に比較的安価だ。ファッションビジネスのグローバル化にともなって世界に広まった。高級なアメリカ産スーピマ綿のライバルでもある。

 人件費が安い国で生産するというグローバル経済の原則が、改革開放によって経済発展を遂げようとしていた中国の意向と合致。新疆綿を時代の主役にしたのである。

 2000年代に入ると、最新の流行を取り入れつつ、1シーズン着られればいい低価格の衣服を大量に生産して販売する、いわゆるファストファッションが定着する。新疆綿はその重要な素材の一つとなった。

 日本でもユニクロや無印良品をはじめ、しまむらやイオン、ダイソーまで多くのメーカーが新疆綿を使用している。今や新疆綿なくして、日本人は綿製品を使うことができないと言っていいだろう。

 その新疆綿が人権侵害の象徴となっているのである。ウィグル自治区で人権抑圧が行われていることは、もはや周知の事実である。しかしそれとは別に、新疆綿がウィグル人の強制労働によって生産されているという、確たる証拠はないという意見もある。

 というのは今や、新疆綿の生産はかなり機械化されているからだ。綿花の生産で最も手がかかるのは摘み取りで、かつてアメリカではそのために奴隷を必要とした。綿花の生産には、歴史的に暗いイメージが染みついている。しかし基本的に、ウィグルでは季節労働者がこれを担ってきた。

 この問題を主導しているヨーロッパは、人権尊重や環境保護に関して高い理想を掲げている。世界をリードしてきたという強い自負もある。またアメリカは、新疆綿と競合しているスピーマ綿の大生産地である。

 従ってこの問題には、次世代ビジネスに対する主導権争いという側面もありそうだ。電気自動車をめぐる動きに通じるものを感じる。とはいえ、新疆綿が投げかけた問題は深刻だ。

 日本はもともと人権意識が薄い国として批判されてきた。特に大きな批判を浴びているのが技能実習生制度である。国連人権理事会から「現代の奴隷労働」と非難されているのに、政府は積極的に動かない。

 捕鯨や脱炭素問題と同様、人権問題でも日本は取り組みが遅れている。今、企業に強制労働などの人権侵害排除を義務づける「人権デューリデンス法」の整備が、各国で進んでいる。しかし日本はG7で唯一、関連法の整備を行っていない。

 ドイツで2023年に「サプライチェーン法」が施行されれば、取引先にも法令遵守が求められる。サプライチェーンの中に一つでも違反があれば、認められないことになる。これから、アメリカやヨーロッパへの輸出が難しくなっていく可能性がある。

 新疆綿の問題は政府の対応に加えて、三つの問題を提起している。一つは日本企業の姿勢、二つ目は消費者としての選び方や買い方の問題、そして三つ目は綿の自給率が0%でいいのかという問題である。

 ユニクロと無印良品は、「ベターコットンイニシアチブ」や「ヒューマンライツウォッチ」などの、人権問題を扱う国際的NPOから名指しで批判されている。それでもユニクロは4月の決算発表時、新疆綿に関する質問に「政治問題だからノーコメント」と答えた。

 また無印良品も、決算発表に先駆けて声明文をwebサイトに掲載。現地では第三者機関による監査を行なっており、強制労働は認められていないと述べている。新疆綿の不使用を明言していない。

 しかし既に1月、アメリカの税関・国境警備局はユニクロの綿製品を「新疆綿を使ったアメリカの輸入禁止措置に違反した」として、輸入差し止めにしている。また7月には、フランスの検察が人道に対する罪の隠匿容疑で、ZARAなどの三社と一緒にユニクロに対する捜査を開始した。

 日本のアパレルメーカーに対する視線は厳しい。さらに政府同様消費者も、衣料の生産と流通における人権問題に関心が低かった。近年、経済の停滞や中流崩壊にともない、とにかく安いものを求める心性が強まっていることもある。

 そもそも、世界的にファストファッションが主流になったのは、グローバル経済の進展にともなう先進国の中流崩壊と無関係ではない。日本はその動きに巻き込まれ、大きく影響を受けた国の一つだ。

 しかし、数年前にはバングラデシュの裁縫工場が崩壊して、多くの死者を出している。そこで作られていた衣服の中には、ロンドンで千円程度で売られるジーンズなども含まれていたという。それでも、ファストファッションは主流であり続けている。

 広がる格差が、格安のファストファッションを必要としているからである。新疆綿なくして、衣料品メーカーの世界展開は有り得なかった。新疆綿の問題は、衣料品産業のグローバル化と表裏一体である。

 さらに日本では、これに低賃金という要素が加わる。人件費の安い国で作って安く売ることを、多くの人々が是認してきた。あるいは、価格の構造に関心を持たなかった。

 日本の場合、何よりユニクロの成功こそが、生産の中国依存を決定的にしたと言えよう。安かろう悪かろうの中国製イメージを過去のものにして、決定的なビジネスモデルを確立したのである。

 そして、レナウンのような中流向けブランドを崩壊させた。今日本で流通している衣料品のうち、国産品は3%しかない。90年代には、まだマスコミも産業の空洞化を心配していたが、最近はそういう問題意識すら消えた。

 新疆綿の問題は日本人に、サステナブルやSDGsを口にするだけでは解決しない現実を突きつけている。我々は誰かが汗水垂らして作り、雨の日も風の日も懸命に運んでくれた製品を買っている。そうした人間の労働がグローバル化によってブラックボックス化し、見えなくなっているのである。

 日本経済は韓国や中国との価格競争に負けないため、人件費を下げるだけ下げて生産拠点を海外に移しつづけてきた。新疆綿はそういう問題の一側面なのである。安く買っても自分たちの賃金は上がらないという、負の連鎖に陥っている。

 私は個人的に、産業は電気と同様に地産地消が理想的だと思っている。もちろん、これは「言うは易し行うは難し」だ。しかし、このままでは日本は必ず行き詰まる。ものづくり大国だったはずが、ものを作れなくなっている。特に「日本産」と銘打っていなければ全て外国産だ。

 地産地消で人権にも環境にも配慮し、国内の縫製業が生き残れるような仕組みは作れないものだろうか。理想だと笑われるかもしれないが、せめて30%ぐらいは国産品が出回るようにしたいものだ。需要が増えれば価格も下げられる。

 かつては日本でも綿糸作りが行われており、伊勢木綿、遠州木綿、片貝木綿が日本三大木綿と言われた。国産綿は太くで丈夫なのが特徴である。今は木綿着物の原料として、細々と生き残っているだけだ。その着物自体が、産業としてはほぼ成り立たなくなっている。

 着物産業を復興させることは無理だが、最低限その素材ぐらいは維持し、知名度も上げて製品化できないか。日本三大木綿を使用した着物も、ネットなら数万円で注文できる。小物だったら手頃な値段で入荷できる。

 私は遠州木綿の犬用散歩バッグを使っているが、丈夫で見た目も良く、いい買い物だったと思っている。これは遠州木綿だと説明すると、みんな感心する。素材の良さと縫製技術の高さは感動ものだ。丈夫で帆布ほど硬くないから、バッグの他、軽いジャケットなどいくつもの用途が考えられる。

 国産高級タオルの代名詞である今治タオルが、スーピマ綿を使っている現状は寂しい。このままでは日本三大木綿も消滅するだろう。扱っている企業もごくわずかになった。

 しかし近年、ごくごく小さな動きではあるが、再び国産綿製品を作ろうという動きが出てきている。自給率0%の国産綿を、完全に消滅させないためにはどうしたらいいか。みんなで考えていきたい。日本が、素材も製造技術も完全に失わないように。


 

 


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