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「JpopはKpopに完敗している」説に反論する

松谷創一郎という人が、「JpopがKpopに完敗している理由」「Jpopに足りないもの」といった記事を、文春オンラインに書きつづけている。毎度読んでいて、なるほどと納得はするものの、違和感もある。だから今日は反論してみようと思う。


 BTSをはじめとするKpopが、世界的な成功を収めているのは周知の事実だ。そしてそれが、周到な戦略と不断の努力によるものであることも知られている。韓国はひたすらグローバル化をめざし、国家戦略としてエンタメに力を入れてきた。


 一方の日本は、業界が昔ながらのビジネスモデルを続けている。槍玉に挙げられるのはジャニーズとAKBだ。日本はIT化への対応が遅れ、いまだにCDの売り上げを競っている。


 Kpopスターは容姿も完璧で実力もあり、語学にも堪能。その背景には、選ばれた人間に徹底したエリート教育を施す儒教社会の伝統と、軍隊の文化がある。最近は日本の若者がKpopスターをめざし、茶髪に濃いアイメークで韓国人の真似をするようになった。


 対して日本は何かにつけてヌルい。お遊戯ていどの実力しかなくてもデビューする。それをファンが支えるという独特の構図なのだ。その中から時々、成長するグループも出てくる。これはもう賭けだ。


 そんな日本の芸能界を見限って、若者が出ていく。あるいは日本産Kpopスターをめざすのだ。総じて芸能界の閉鎖性と、IT化への遅れによる古いビジネス手法が批判されている。


 ★アイドルグループが全てではない


 それはその通りである。それを前提にした上での話だが。そういう視点だけでは見落とすものがある。まず第一に、ポップスと言っても様々な分野がる。ロック、バラード、シンガーソングライター、ダンス抜きのボーカルグループなど。


 それなのに、アイドルグループだけを一括りにして比較するのはおかしい。宇多田ヒカル、KIngGnu、東京事変、Oficcial髭男、米津玄師など、日本には様々なミュージシャンがいて多様な音楽がある。この多様性が日本の特徴だ。そこを無視している理由がわからない。


 以前、Kpopファンから「Jpopはもうダメでしょう。これからどんどん衰退していくと思う」と言われて、驚いたことがある。日本では次々に新しい音楽が生まれている。もしかして、アイドルグループしか知らないのだろうか。


 ★世界で成功しなければいけないのか


 次にそもそも、世界的な成功を収めることが全てなのかという問題だ。確かに商業的には素晴らしいことだし、国の知名度もイメージも上がる。近年、韓国は夢の国のように思われている。


 しかしそんなに、海外で利益を上げなければいけないのだろうか。エンタメというのは何よりも、自国の人々を楽しませることが大事だ。韓国は国全体がグローバル化に邁進している。そうなると必然的に、トップ層だけが国を代表して突出することになる。


 一方の日本は、例えば名古屋だけでも、100以上のご当地アイドルや地下アイドルが存在する。日本全体ではどれぐらいの五番手六番手がいるのかわからない。中には5人組のアイドルグループに、5人のファンがついているだけということもある。驚くべき裾野の広さだ。


 この裾野の広さと多様性こそが日本の強みなのである。その中から、たまに面白いものが出てくる。この前知ったのだが、セーラー服を着た女性3人組で日本では無名のグループが、アメリカの野外フェスに招かれた大好評だったそうだ。彼女たちはただ淡々と、YouTubeに映像を上げていたのである。

 

 ★グローバル化に成功するということ


 Kpopスターは、作り込まれているところに特徴がある。全ては周到に練られた戦略だ。曲も再生回数をデータセンターで詳細に分析し、国ごとの嗜好を調査した上で作っている。「もの言うアイドル」像も戦略である。


 もちろん、それはそれで素晴らしい。しかし、その結果でき上がるのは最大公約数的な表現だ。容姿も実力も完璧、メークも濃くてだいたい似たような顔になる。そして音楽も万人受けする耳に心地よいものになる。


 BTSの歌は映像を見ずに耳だけで聴いていると、アメリカ人が歌っているようにしか思えない。そこが本場並みとして評価されているのだろうが、視点を変えれば 無国籍ということだ。


 グローバル化万能の今、そこに劣等感を持っている日本人にはまぶしく映る。欧米人から見れば、自分たちが生み出した音楽を自分たちよりうまく洗練させていることに、驚きと賞賛を覚えるはずだ。だからきっとグラミー賞を取る。


 でも、それが彼らの頂点でありゴールである。そこからどこへ向かうのだろうか。音楽的にはそれほど面白くはないし、目新しいものもない。アメリカの音楽はかつてほどの力もないし、自分たちを上手に模倣するグループは当然好ましいだろう。


 一方、そこまでグローバル化してしまった以上、韓国発の音楽としての独自性や意味は薄れている。今どき、出身国の独自性など必要ないかもしれない。


 しかし今後グローバル化がさらに進展すれば、情報が共有されて文化はどんどん均質的になる、多様性が失われるのである。そんな世界が果たして面白いだろうか。みんな同じになるのである。


★日本人の顔はバラバラ


 Kpopグループに比べると、日本人の顔は多様だ。美形がそろっているわけではない。遺伝子解析によると、日本人は多様な民族的源流を持っているらしい。アジア大陸の東の果てで、かつては大陸と陸続きだった。


 だから様々な民族が流れこんできたのだろう。実際、色々な顔をした人がいる。日本に比べると韓国も中国も、遺伝子的同質性が高いそうだ。容姿がバラバラであることは、東アジアにおける日本の特徴であり、強みでもある。


★日本のアイドルグループが持つダサさの文化背景


 松谷創一郎氏は、Jpop(と言っても、実際はアイドルグループを指すらしい)の歌う曲には、世界的成功を妨げている要素があるという。その一つが合唱である。日本のアイドルグループが歌う曲には必ず、全員で歌う部分がある。


 ここがダサいという。実際、日本のアイドルグループにあってはメンバーの歌唱力に差がある。だから上手い人間にだけ歌わせ、ダンスが得意なメンバーは踊るだけにして歌う必要はないと述べている。


 なぜなら、歌唱力に差があるのに全員で歌うと、一番下手なメンバーの歌唱力に合わせることになって、全体の水準が下がるからである。ここが韓国をはじめ、世界で通用しないとのことだ。


 確かにその通りだと思う。だから日韓混合の女性アイドルグループなどは、韓国向けと日本向けの2パターンを作っていた。しかし、全員で歌うことには長い歴史的背景がある。日本の音楽教育は、全員で歌うことが前提になってきた。


 歌だけではない。運動会を見てもわかるように、日本では得意でも不得手でもみんな一緒に行動する。それが学校生活の苦しさにもつながっている。


 だからといって、上手い子だけが出演する学芸会や、運動が得意な子だけが参加して他の子は見ているだけの運動会というのも、現段階では想像しにくい。これが韓国と全く事情が異なる点である。


 日本では高校サッカーはとても人気があり、決勝戦には多くの観客が詰めかける。だが韓国では、そんな華々しい大会はない。試合は決勝戦と言えど、保護者などの関係者が観るだけだ。みんなでする文化ではないのである。


 そういう社会的文化的背景を考えると、ことはそう簡単にはいかないことがわかる。日本のメンバーたちは、お互いに足りないものを補い合いながら活動する。そして例えば日本のジャニーズファンは、それを全て受け入れる。


 音程が外れていても、全員で歌うとちょっと奇妙なことになっても、そういうものとして見ている。世界では例外的な事例かもしれないし、グローバル化された実力主義的世界では評価されないだろうが。


 ★日本文化は主流から外れている

 

 そもそも日本文化は、世界を主導するようなものではない。日本が昭和の後期に高度成長を遂げて経済大国になったのは、様々な条件に恵まれたからである。政治家はよく「世界をリードする」などと言うが、もともとそういう文化ではない。


 資源がなく災害の多い極東の島国で、人並み優れたエリートだけを優遇する文化は育たなかった。韓国や中国は古来、全国から優秀な若者を集めて科挙で選びぬく儒教国家だった。


 それに対して日本は、一つの国が280ほどの藩に分かれて、地元の若者たちを育てる国だったのである。そういう歴史的文化的背景は今日まで続き、アイドル文化の下地となっている。


 色々問題はあるが、ジャニー喜多川の「どんな少年にも可能性はある」という価値観はそこから来ていると思われる。そしてそれをファンが支える。ピークを過ぎても落ち目になっても、ずっと支えるのである。


 ★日本は内需が大切


 今の時代、日本は決して内向きになってはいけない。しかし一方で内需は大切だ。日本経済は内需が支えているのである。少子高齢化とは言っても、海外に活路を求めればいいというものではない。


 日本は時間をかけて、エンタメにお金を出す成熟した市場を形成してきた。欧米ではもはや、YouTubeで無料で見るだけの若者も多い。韓国のエンタメにとっても、日本は最大の収益源なのである。


 私はなにわ男子の「初恋LOVE」を見た時、不意に涙が出てしまった。どうしてなのか考えてみたのだが。恐らく、同じ社会に生きているという実感を強く持ったからだろう。


 世界から見たらお笑いかもしれないが、日本の少年だけが持つキラキラした可愛さが全開なのである。これから日本のエンタメも変わっていくだろう。でもこういう、日本ならではの表現もなくならないでもらいたい。

 

★とはいえ、IT化への対応は急務


 だからこそ、海外の人がもっとJpopに触れられるようにしなくてはならない。SnowManの目黒蓮と、なにわ男子の道枝駿佑がW主演した「消えた初恋」が、アジア各国でも人気を博し、主題歌の「初恋LOVE」と挿入歌「SecretTouch」の動画再生回数が増えている。


 「SecretTouch」に至っては、コメントの半数が外国語になった。その中に「アメリカではCDが買えない」「AppleMusicやSpotifyのプレイリストに乗せてもらいたい」という切実な声があるのだ。


 え?乗せていないの?と私は驚いた。せっかくのチャンスなのに、みすみす逃している。恐らく、事務所にITに強い人間がいないのだろう。こういうことで損をしているのだ。早急な対策が必要である。

★日本人は日本文化をよく知ろう

 グローバル化の時代だからこそ、自分を見失わないことが大切だ。そうやって、文化の多様性を維持していくことが必要なのである。世界で売れることが全てではない。日本の良さを失わずに、世界に出ていくことを考えたい。

  私は日本犬を飼っている。あまり知られていないが、日本列島で日本人とともに1万年近く共に暮らしてきた犬は、明治維新による洋犬の流入によって、わずか30年あまりで町や村から姿を消したのである。

 以後は奥深い山奥で、猟犬として細々と生き残っていただけだった。なぜそうなったのか。日本人の多くが洋犬至上主義に染まって日本の犬を見下し、排除したからだ。

 このままでは日本の犬は絶滅してしまう。そう危機感を抱いだ少数の人々が、昭和の初め、日本犬保存会を立ち上げて何とか血をつないだ。今の柴犬人気は、そういう人たちのおかげである。日本人には日本文化を見下す癖がある。

 グローバル化の時代だからこそ、自分を見失わないことが大切だ。そうやって、文化の多様性を維持していくことが必要なのである。世界で売れることが全てではない。日本の良さを失わずに、世界に出ていくことを考えたい。

  もう一つ、Jpopが世界に出ていく時の壁として言葉の問題がある。現実に英語が共通語になっている以上、英語力は必要だが。しかし、松谷氏の言葉だったかどうか確かではないが、「日本に第二言語がない」ことを問題視している文章を読んで驚いた。


 第二言語というのは、母国語の次に公用語として使われる言語で、アジアでは植民地支配された国に存在する。インドやフィリピン、シンガポールや香港などを見ればわかる。


 つまり、アジアにおいて第二言語が存在するということは、植民地支配の痕跡なのである。例えグローバル化の壁になったとしても、それがないことは幸いと言うべきだ。日本人はこのことをよく認識すべきだろう。第二言語などができたらおしまいだ。

 もう一つ、Jpopが世界に出ていく時の壁として言葉の問題がある。現実に英語が共通語になっている以上、英語力は必要だが。しかし、松谷氏の言葉だったかどうか確かではないが、「日本に第二言語がない」ことを問題視している文章を読んで驚いた。


 第二言語というのは、母国語の次に公用語として使われる言語で、アジアでは植民地支配された国に存在する。インドやフィリピン、シンガポールや香港などを見ればわかる。


 まり、アジアにおいて第二言語が存在するということは、植民地支配の痕跡なのである。例えグローバル化の壁になったとしても、それがないことは幸いと言うべきだ。日本人はこのことをよく認識すべきだろう。第二言語などができたらおしまいだ。



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