「頑張りすぎない」ということ

先日、バナナブレッドを焼いた。娘が高熱で寝ている間に。
病気がよくなった子どもたちと一緒に作るつもりで買っていたバナナ。

子どもたちが体調を崩して丸一週間。
息子の高熱が落ち着いたところで娘が高熱。
同時に咳が始まり、娘は再度高熱という母親にとってしんどい日々だった。

子育てを始めて7年目。
子どもが病気の時に頑張りすぎない、ということを覚えた。
この「頑張りすぎない」はとても大事なことだと思うのだが、時に「頑張りすぎない」を頑張りすぎる、ということが起こる。
これは鬱の患者さんにも多い傾向。

私自身「頑張りすぎない」を意識するように頑張っていたところがある。
今回もそうだった。
出来るだけ疲れないように、家事や炊事の手を抜いて出来るだけ休む。
そう対処してきた。

でも、それだけでは私の疲労を防ぐことはできないことに気づいた。
「頑張りすぎない」は身体的な疲労は防げても、精神的な疲労は防げなかった。

「頑張りすぎない」の正しい意味を考えた。
私は「頑張りすぎない」というのは本当はやりたいこと、やってしまいたいことでもやらずにエネルギーを温存することだと思っていた。

でも果たしてそれが今の私に本当に必要で効果があるのか?
とにかくエネルギー温存することが大事だと思っていたけれど、そうでもない気がした。だから自分がやりたいことをやってみた。
それが私にとってはお菓子作り。バナナケーキを焼くことだった。

娘はずっと寝ていたので、落ち着いて作業が出来たし、オーブンからバナナケーキが焼きあがる香りが漂ってくるのは至福のひとときだった。
私にとって何よりの癒しだった。

私は料理とお菓子作りが好きだ。
それは食べることが好きというのもあるけれど、余計なことを考えずに集中できる時間だからでもある。

今回その時間を持つことで、私の疲れはかなり癒された。
学校から帰宅した息子が焼きたてのケーキを嬉しそうに見つめ、幸せそうに食べてくれたのも私にとっての喜びだった。

「頑張りすぎない」というのは、何もせずにエネルギーを温存するだけでなかった。これは言い換えると、「神経をすり減らしすぎないようにする」ことだともいえる。

時にエネルギーを温存することが必要な時もある。
それが「頑張りすぎない」ことになることもある。
しかし、それだけではないことを知っておくことも必要かもしれない。
好きなことをして、神経をすり減らしすぎないようにすることも大事な「頑張りすぎない」ための方法なのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?