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気持ちを楽にしてくれる言葉たち

私たちはいま、とっても変化が激しく、不確実性が高く、複雑化していて、色んな事が曖昧な社会に生きていると思います。
いわゆる、VUCA(ブーカ)的になってるなーと感じています。

どうしたらいいんだ、と途方に暮れる気もします。

そこで私は、「人事を尽くして天命を待つ」という言葉が気に入ってます。
とても合理的な考え方だなと思うのです。

自分にコントロールできることは一生懸命やる。
その上で、自分にコントロールできないことは天にゆだねる。

これをもう一段階掘り下げて以下のような解釈にしています。

「今」「自分に」「できること」をすること。
そして、それ以外は前向きに「諦める」こと。

未来のことはどうにもなりませんし、過去のこともどうにもなりません。
なので、「今」だけが変えられる。

「自分にできること」以外は、論理的に考えれば、
「できないこと」なので、
できないことは、やろうとしない。
何故なら、できないから。

そして、天命に委ねる心持を持つこと。
これは、スピリチュアル的な発想ではありません。
論理的に、合理的に考えればこそ、天命という概念が必要だと思うのです。

というのも、歴史を勉強していると、天命という他ないことが多いと感じるのです。歴史を振り返ると、人智を超えた力、うねりみたいなものがあって、人為的にはどうにもできないことがたくさんあるんだろうな、と当たり前のことを感じるんですね・・・。

ドラマ/漫画の「仁 ーJINー」(原作:村上もとか)の中で、「歴史の修正力」という概念が出てきます。
あんな感じのイメージです。

例えばですけど、いまAIが急速な発達をしています。
これって、もう不可逆的だと思うんですね。
つまりどれだけ頑張っても、もはやAIを消し去ることはできないと思います。

言うなればAIの出現は天命みたいなレイヤーのもので・・・。

いささか話が膨らんでしまいましたが、
要は抗えない力もあるので、自分にできることだけやって前向きに生きていくのが良さそうだなーと思います。

***

話が重くなりましたが、
他にも、気持ちを楽にしてくれる言葉を見つけたのでレポートします!

行雲流水 (こううんりゅうすい)

空行く雲や流れる水のように、深く物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動するたとえ。また、一定の形をもたず、自然に移り変わってよどみがないことのたとえ。▽「行雲」は空行く雲。「流水」は流れる水。諸国を修行してまわる禅僧のたとえにも用いられることがある。「流水行雲りゅうすいこううん」ともいう。

goo辞書より

執着しすぎずに、自然の成り行きに任せる・・・良い心がけだなぁと思いました。
雲と水っていうのが、なんかリラックスさせてくれますね。
ちょっと仏教っぽいトーンかもしれませんが。

賽は投げられた

「賽は投げられた」とは、「運命に向かってことは進み始めたので、もはや引き返すことはできない、行くしかないのだ」という意味。カエサルが元老院に反旗を翻して、ルビコン川を渡るときに発した言葉とされている。

大成建設ホームページより

「天命」とも近いニュアンスですが、なんかカッコイイですねwww
これから、シリアスな場面でドヤ顔で使っていこうと思います。

イメージ:「まあ落ち着け。もう賽は投げられたんだよ。」

乾坤一擲(けんこんいってき)

「乾坤一擲(けんこんいってき)」はのるかそるかの勝負を言う。乾坤は天と地、一擲は「ひとなげ」すること。由来をたどれば、擲(なげう)つのはこの場合、サイコロであるそうだ。天と地どちらの目が出るかの賭けである

東京新聞より

賽は投げられた、と近いです。
併せて覚えておくと便利かもしれません。

則天去私(そくてんきょし)

小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと。▽「則天」は天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと。「去私」は私心を捨て去ること。夏目漱石そうせきが晩年に理想とした境地を表した言葉で、宗教的な悟りを意味するとも、漱石の文学観とも解されている。「天てんに則のっとり私わたくしを去さる」と訓読する。

goo辞書

夏目漱石の造語のようです。
漱石は「草枕」の中で以下のように書いています。

山路やまみちを登りながら、こう考えた。
智ちに働けば角かどが立つ。
情じょうに棹さおさせば流される。
意地を通とおせば窮屈きゅうくつだ。
とかくに人の世は住みにくい。

「草枕」夏目漱石
青空文庫

漱石は生きづらさを感じていたのかもしれません。
だからこそ、則天去私という思想に至ったのかもしれません。
漱石が言うと説得力がありますね。

おわりに

思いつめた時はこういう言葉で気持ちを楽にするといいかもしれません。

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