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野心のすすめ(林真理子)【読書ノート】

著者の「野心」の定義とは私の定義は少し違うとは思いましたが、「もっとエネルギーを引き出して生きたい!」という意味においては、すごく刺激を貰える本でした。

昭和は野心が育ちやすい時代だったんじゃないか

野心が育ちやすいかどうかは、時代性と密接に関わっているはずです。

なぜなら、野心は渇望や、飢餓感や、生き延びようとする生命力を原材料としていると考えるからです。

そしてそれらの原材料が豊富にあるかどうかは時代性が大きく関わっていると思います。

その意味で昭和を捉えると、昭和中期~後期っていう時代はまさに野心が育ちやすい時代だったんじゃないかなと思います。

昭和の時代性に焦点を当てて、野心が育ちやすかったと思う理由を述べてみます。

一つ目は、日本が貧しかったことです。
貧しいとは、ご飯が食べられないということ。
人間は生きるためにはご飯が必要です。
生命力というのは私達の理性より何より強い力を持っていると思います。
だから、お腹いっぱい食べたいという欲求(生命力)はそのまま原動力になるんじゃないでしょうか。
そしてその力を名付けると、「野心」として呼ばれるのではないでしょうか。

二つ目は、日本が未成熟だったことです。
未成熟だったから、「まだ誰もやってないこと」がたくさんあったと思います。あるいは、「やらなければならないこと」もたくさんあったと思います。言ってみれば、社会的なのびしろがたくさんあったのだと思います。

(ただし、のびしろがゼロという状況は永遠に無いと思います。のびしろが「たくさん」あったという点がポイントだと思います。)

のびしろがあったからこそ、「やってやるぞ!」という気持ちが湧きやすかったのではないかと思います。

また、日本が未成熟ということは、のびしろの問題だけではなく、社会が「おおらか」だったということでもあると思います。

多少粗野なところがあったかもしれないけど、そういうもみくちゃの中だからこそ、おおらかさも共存していたのだと思います。

そしておおらかさは、人間の可能性を広げると思います。

三つめは、若い人+労働人口の割合が多かったことです。

いまは少子高齢化ですが、昭和中期~昭和後期は、まだその傾向はなかったと思われます。

だから、競争が激しく、勝ち抜かねばならない環境だったのだと思います。
また、働き盛りが多いという事は単純に活力もあったのだと思います。

以上のような要因から、昭和というのは野心が育ちやすい環境だったんじゃないかと思います。

(あくまで全体的な傾向の話ですので、個人個人の個別具体的な問題とは別のレイヤーの話になりますが・・・。)

尚、野心が育たないことを時代のせいにして結論するのが要旨ではありません。

要旨は、外的要因についての分析と、その上でどうアプローチしていけばいいかの考察です。

野心とはなにか

何を持って野心とするか?という、
野心という言葉の捉え方はいくつかあるかと思います。

ファーストクラスに乗ったり、一流ホテルに泊まったりできる人間になろうとする気持ちを野心と捉える人もいるでしょうし、そうしたステータスではなくて、自分の理想とする姿を目指すという野心もあると思います。

なので一概に、一元的に話すことはできないと思いますが、少なくとも野心とは、「強い・大きい・たくさんのエネルギーを持っている」という状態かと私は捉えました。

で、どうやったら野心を持てるか

上述の通り、野心が育つには、野心の原材料が豊富にある時代かどうかが大きく影響します。

では、野心の原材料が多くはない(はずの)令和という時代に生きる我々は、どうやったら野心を持てるのでしょうか?私はエネルギッシュに生きたいと願うので、ちょっとそれについて考えてみました。

ずばり、野心は「育てる」必要があるのではないかと思いました。

何故なら、いまという時代は「自然に」は野心が芽生えづらいと思うからです。放っておいても野心が育ちづらい環境だと思います。

何故なら、昭和とは違ってほとんどみんなご飯が食べられているし、(もちろん、そのことは先人たちのお陰であるし、とても幸せなことです。)社会のあらゆる面が成熟してきているし、(もちろん、まだ未成熟なところもあるはずですが。)人口分布としては、少子高齢化が進んでいるからです。

平たく言えば、生まれた時からそれなりにご飯にありつけて、安全が保障され、人権意識が進み、社会福祉やインフラが整備されて、更に競争相手も少ない(国内に限って言えば)という比較的に成熟した環境です。

だから、「放っておいて」「勝手に」野心が育つことは少ないと思います。

野心をどうやって育てるか

では、いかに野心を育てるべきなのか、という点が大事になりますが、いくつか方法論を考えてみました。

①いろんな負のエネルギーを野心のエネルギーへと変換する

屈辱感などの負のエネルギーを野心の栄養に変換するアプローチです。

林真理子さんも、「屈辱感は野心の入口」と書いています。
屈辱感以外にも、悔しさとか、不当な扱いを受けた経験とか、怒りとか、義憤とか、嫉妬とか、恐怖とか不安とか、そういうあらゆる負の感情を野心へと変換できればこれほど素晴らしいことはないと思います。

こういう負の感情は昭和とか令和とかに関わらず、普通に暮らしていたら大なり小なりは持ちうる感情だと思います。

だから、あとはそれを正(あるいは、生の)のエネルギーへ変換できさえすればいいのだと思います。

令和では、そもそも相対的な負のエネルギーの全体量が少なくなっているかもしれませんが、(それは一般的にはとても良いことですが、)ここでもSDGs的な発想で、エネルギーの再利用によって正のエネルギーを補充したいと思います。

では、どうやったら変換できるのか?

色々方法はあると思いますが、まず大事なのは変換装置を持つことではないでしょうか?

仕事でもいいし、創作でもいいし、なにか変換手段が必要なのかもしれません。

岡本太郎さんは「今日の芸術」で創作活動にエネルギーを注ぐことによって、現代社会の中で失われた人間としての全体性を取り戻すことができると提唱されていました。(たぶん)

何か自分のエネルギーを発散・放出・変換できる場所や手段が必要だと思います。

逆にそれがないと、どこに自分のエネルギーを発散させていいかが分からなかったり、ネガティブな形でエネルギーを発散させることになってしまう気がします。

②好きな気持ちを加速させる

いまあるエネルギーを増やすアプローチです。
今の時代の強みの一つは、誰でもプロになれることじゃないでしょうか。

いまや専門家しかアクセスできない情報は限られ、誰でもほとんどの情報にアクセスできるようになりました。

例えば、音楽が好きな人がいたとして、いままでは音楽を聴くだけだったかもしれません。

しかし、いまはギターの弾き方のコツとか、歌い方のコツとかをプロがyoutubeで教えてくれているし、楽譜とか楽器屋さんの口コミとか、あらゆる情報にアクセスできます。

それに音楽の出版&流通フェーズも、デモテープを音楽出版社に送って採用してもらえないとできませんでしたが、いまなら自分で曲を作ったら、自分のyoutubeで公開することができます。

つまり好きな気持ちを加速させる環境・装置が以前と比較して、たくさんあると思います。
それらを活用してエネルギーを変換します。
(私の場合で言えば、このnoteもその一つの変換装置ということになります。)

③野心じたいを誘発させる、作り出す

①と②は元々あるエネルギーを増やしたり、変換したりする方法論でしたが、そもそも作り出すという方法論も考えられます。

マーケティングでいうなら、顕在化している消費者のニーズではなくて、潜在的な欲求を刺激するアプローチと同じです。

例えば、刺激を受けられる人に会うとか、刺激を貰える場所にいくなど。いまならyoutubeに山中伸弥先生の講演会など、貴重な講演がたくさんあります。

また、銀座とか、そういうエネルギーが満ち溢れた場所にいってそこの空気を吸うのも良いかもしれません。(実際、銀座を歩くだけでも野心を刺激されるのを感じます。個人的には…。)

終わりに 健康的な野心を育てていきたい

野心というと、少し敬遠されたり、口に出すのが憚れる風潮があります。
しかし、「前向きなエネルギーに満ちた状態」と捉えるならば、健康的だし、誰しも望むことだと思います。

そういう「健康的な野心」を育てて、令和も明るく生きていきたいなと思いました。

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