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ビジネスの言葉と文学の言葉は文法が正反対だ。そしてそれが悲しい。

仕事でメールを書いたり資料を作ったり、チャットをするなかでいつも感じていること。それはビジネスの言葉は文学とは真逆のルールで書かれていることだ。

ビジネスの文法は下記のようなものだと思う。
・短いほど良い。
・端的であるほど良い。
・平易であるほど良い。
・修飾語は不要。
・美しさは不要。
・記号的である。
・ニュアンス中心である。

これらは文学のそれとは真逆だと思う。
文学は、
・長くても良い。
・豊かさが求められる。
・端的でなくて良い。
・難解でも良い。
・修飾の技法こそが大事。
・美しさこそが大事。
・記号的ではなく、一語に一つの意味しか存在しない。

だと思う。
私はそれぞれどちらも好きだ。

だが、やっぱり文学の言葉の方が好きだ。
なんで自分が三島由紀夫に魅かれるのかを考えると、やっぱりその文体の美しさにこそ魅かれるのだ。
あの煌びやかな文章。
絵を見た時に感じる美しさと同じような美しさを感じる・・・。

前段が長くなったが、だからこそ自分が普段ビジネスの言葉を使っているのが少し苦痛だ。いい加減な言葉が使われているのも良く見かける。
なんだかなー、悲しいなーと思う。

だけど、実用的なものこそが残り、そうでないものが淘汰されるのがこの世の常。。
機能的で合理的な「ビジネスの言葉」が幅を利かせているのも無理はない。
それに何より言葉は非常に民主的だと思う。
言葉は第一義として、コミュニケーション手段だと思う。
だから、多くの人に伝わるかどうかが重要だ。
だから、多くの人が使っている言葉が強い。
そして、多くの人は便利で機能的な言葉を使いたがる。
従って、「ビジネスの言葉」が台頭することになる。

ちなみに、法律の言葉も個人的には好きだ。
あの一部の隙も無いような硬くて、敷き詰められたような文体。
契約書とかの言葉も割と好きだ。

だけど、役所の文書は似て非なるもの、という感じがする。
固いけど、なんか言い訳がましい感じの文章。責任を1ミリも負いたくないという感じの文章。出来る限り火の粉を浴びたくないという気持ちがにじみ出ている文章。

なんか書いているうちに、言葉にも人格みたいなものがあって面白いなーと思った。

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