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第10回(第三期二回)「映像アートと、アート系映画の違いって何?」2015年11月22日 登壇者:生西康典×金子遊×三輪健仁×七里圭

七里:長らくお待たせいたしました。毎度こんなにたくさん来ていただいてすごい緊張です。「映画以内、映画以後、映画辺境」を始めようと思います。この講座はすでに第三期に入っておりまして、今期はチラシに“映画辺境の旅”とかふざけて書きましたけど、映像を扱う表現が映画以外にも広がっていて、それと映画の変容とはどう関係してるのか、あるいは関係ないのか。映画とその周辺領域、っていうと映画が偉そうですけども、その関連を考えてみるっていう、第三期で一番やりたかったのが今日の回なんですよ。
金子:そうなんですか?

七里:そうです。マイク持ってください。(笑) 美術館に行くと、もう当り前のように映像作品があって。そういう映像の表現、映像アートって言うんですかね?っていう話から始まりたいんですけども、映画の方にも先鋭的な映画は昔からあったわけで、実験映画だとか、前衛映画とか、個人映画って言い方もあったかな、そういうものとどう違うのか。僕にとっては切実な問題というか、本当にカオス状態なので、この辺の話を知りたいなあ、と。なんで、今日は三人もゲストを迎えてしまいました。(笑) まずは前回に引き続き、批評家で映像作家の金子遊さんです。
金子:よろしくお願いします。
七里:で、そのお隣りが、今「Re:Play1972/2015-「映像表現’72」展、再演」という展示が東京国立近代美術館で開催中ですが、そのキュレーションをされた近代美術館研究員の三輪健仁さん。
三輪:三輪です。宜しくお願いします。
七里:そして、まさにこのテーマに打ってつけだと思ってるのですが。この春話題になった東京都現代美術館の「山口小夜子展」にも映像を用いた作品を出品されてました、演出家の生西さんです。
生西:生西です。宜しくお願いします。

七里:ということでですね、あの…ちょっとすみません、元気がないのに無理矢理元気を出してる感じで。(笑) ちょっとすごい疲れてて。
金子:三日前にオランダから御帰りになられたばかり・・・

七里:はい、実は二日前なんですけど。(笑) で、このタイトルですよね、まず。「映像アートとアート系映画の違いって何?」。大体、「映像アート」って何を指すのか、「アート系映画」って一体どんな映画なのか。今回は夏前くらいから四人で打ち合わせしてたんですが、まず、このタイトルが痛烈に批判されまして。で、あれなんですよね、映像アートって言わないんですよね?美術界では。
三輪:少なくとも、ぼくは七里さんと話すまで映像アートという言葉を口にしたことはないかと思うんですけど…。(一同笑)
七里:はい。(笑) これについてはある先生にお聞きしたら、映像アートという言葉を初めて使ったのは、イメージフォーラム。
金子:ほぉ~。
七里:イメージフォーラム・フェスティバルが、「実験映画の祭典」と言うのにプラスして、「映像アートと実験映画の祭典」と言い出したのが最初なのではないか、と教えていただきました。じゃあ、アート系映画っていうのは何を指してんすかね?アートっていうのは。
金子:アート系映画ですか?自分の青春時代に照らし合わせますと、80年代にですね、渋谷のユーロスペースなりシネマライズなり、シネヴィヴァン六本木とかですね、様々なミニシアターが出来ていったわけです。その中で、キネマ旬報の研究所の掛尾良夫さんが確か本で書いていたと思うんですけども、ミニシアターが一番最初に生まれてきた一九六一年のATG、東宝という会社が資本を出して、当時の映画館でかからないような映画を上映しようってことになったんですね。外国映画だと『尼僧ヨアンナ』とかベルイマンだとか、日本映画だと大島渚や羽仁進といったですね、そういう映画を上映出来て観れる場所を作ろうということでATG、アートシアターギルドっていうのが出来たわけなんですけども、それの流れでどうも八〇年代にバブル期になってミニシアターが作られるようになってきたということを書いてました。それはですね、ブームを迎えるのが九〇年代半ばなんですけども、その頃には、なんて言うんですかね、池袋や六本木もそうなんですけども、渋谷が特にそうだと思うんですけども、都市の様々なオシャレなスポットにいろいろなセゾン系や外資系の文化施設やギャラリーやショップや、あとまぁCDショップですかね、TOWER RECORDSやHMVが入ってきて、その横にミニシアターがあって、その中でこう様々な文化がミックスしながら、お客さんで潤っていた。で、シネヴィヴァン六本木で九〇年代前半にアルバイトをしていたのが暴力温泉芸者の中原昌也さん、その後『インディヴィジュアル・プロジェクション』という小説を書く阿部和重さんなんですけど、彼ら、ぼくよりちょっと上の世代なんですが。
七里:ぼくの世代ですね。佐々木敦さんなんかもいらっしゃいましたね。
金子:あぁ、六〇年代後半生まれから七〇年生まれかな。その人たちが渋谷系って言われるように、同時期にポップカルチャーの中ではオザケンだとかピチカート・ファイヴだとかっていう、なんて言うんですかね、渋谷系ポップミュージックってのが一方であって、もう少しアンダーグラウンドだとか芸術志向寄りだったはずなんですけど。ノイズミュージックやらクラブカルチャーや、芸術やアートシーンや単館系ロードショー映画があって、でもそれはどうも混濁して、だんだん渋谷系と総称されるようになってしまったりですとかね。で、そのカルチャーの中に一つの、映画を上映する場所としてミニシアターがあって、いろいろな映画が上映されたんですけど、ヒットしたのはヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』とかゴダールの様々な映画であるとか、なんですが、結局は数字を観ると一番ヒットしたのはダニー・ボイルの『トレインスポッティング』だったりとか、レオス・カラックスの『ポンヌフの恋人』とかね、ああいうのがヒットして、それがどうもアート系の女子に限らず、アート系の人たちが流れながら、普段映画を観ないような人たちも単館系の映画を観に集まったのでどうもアート系映画って呼ばれるようになったんじゃないかっていう。ちょっと長くなりましたね、ごめんなさい。
七里:いや、青春時代に遡るのはいいんですけど、今、「アート系」って言葉、金子さん使いながら結構シニカルな発音してますよね。
金子:いや、そんなことないよ。(笑)
七里:そうですよ、「アート系女子」とかね。(笑) 多分「アート系映画」っていうのは、配給・宣伝の都合でそういう風に名付けられたジャンルで、もちろん、そうした単館系のプログラムってとても素晴らしいもので、今挙がっていた大ヒット映画から実験映画、例えば松本俊夫さんのリバイバルもやるし、ブラザーズ・クエイだとかアニメーションの先鋭的な作品もやるし、それがそのアート系の領域を拡張していったし、アート系のイメージを作り上げた。で、話が支離滅裂ですけども、ぼくアート系っていうイメージが本当に嫌で。(笑)
金子:嫌なんですか?
七里:嫌ですよ、個人的に。「あいつはアート系だから」とかって必ず言われるんですよね。だから、なんなんだと。

金子:監督協会の仲間とか? 先輩からとか?
七里:いや、協会入ってないんで。「あいつはピンク映画の助監督とかやってたのに、アート系やりやがって」っていう風に、まぁなんていうか、普通じゃないもの作っていい気になりやがってこの野郎みたいな差別?あれですけど…ちょっと訳分かんないテンションなってますね。(笑)
金子:時差ボケがあるんじゃないの?
七里:うん、かもしれない。(笑) だから、さっき話した先鋭的な映画の表現と、美術で映像が扱われるということの関係というか、歴史的に一体どう始まって、どう棲み分けがあったのかとか、その辺をちょっと…。
金子:もうちょっとぼく青春時代の話したいんですけど、いいですか。
七里:あ、どうぞ。
金子:それで、単館上映でロードショーで、一番ヒットしたのが、リュック・ベッソンの『レオン』なんですね。『レオン』って映画が果たして本当にアート系映画なのか、そういったもう、今であればこれだけ映画館が、シネマコンプレックスがいっぱいあれば、シネコンでかかるような映画が、アート系映画或いはミニシアター全盛期っていうのは単館でかかってて大ヒットしたんです。で、七里さんの迷いといいますか、いろいろあると思うんですけど、実はですね、外国の方で考えると割とすっきりするっていうか。例えば、外国でインディーズ映画というと、アメリカだとサンダンス映画祭ってありますよね。あそこだと数億円から十億円規模の映画が上映されるわけなんですけども、それはインディーズ映画って言われてます。メジャー映画っていうのは十億円以上規模のビッグバジェットっていう映画、ロウバジェット、十億円以下はみんなインディース映画です。だから、日本をそれに当てはめちゃうと…。
七里:全部インディーズ(笑)。
金子:年間に何本メジャー映画があるのかっていう。テレビ局のね、作る映画自体がみんなインディース映画になっちゃって、ドキュメンタリー、インディーズの商業映画、或いは本当にインディーズです、一千万円くらいで作られてる映画、或いは個人・グループレベル、アーティストが作ってる映像ってのがもう区別がないわけです。商業映画か、そのコマーシャル。だから、ヨーロッパとか世界の方をみると大体ドキュメンタリー映画祭とエクスペリメンタル映画祭ってのが一緒にやっていて、ドキュメンタリー&エクスペリメンタル・フェスティバルみたいな映像祭がいっぱいあるので、ドキュメンタリーと実験映像ってのは大体もう同じ括りで処理されて、っていうとアレですけど、扱われていて。見る人も少ないだろうから映画祭でそれをご紹介していくものなんですね。日本のミニシアターっていうのは、いい面っていうか悪い面があって、下手に東京や大阪や関西で動員できるから、映画館で劇場公開できるから、ドキュメンタリーやインディース映画や、まぁ商業映画ってのは区別してるけども、海外ではヨーロッパとか小さな国だともう既にドキュメンタリーもインディース映画も、映画館で公開するもんじゃないわけなんですね。アメリカもそうなんですけど。
七里:その流れで話すと、例えばアピチャッポンなんかがそうですよね。タイにマーケットがないので、いきなり海外に出て、キャリアを築いた。それに、金子さんが仰ったことは僕も数年前、ロッテルダムで映画祭のプログラマーから同じようなことを言われたことがあって。それは「エクスペリメンタル(実験映画)orジェネラル(一般映画)? お前はどっちなんだと。
金子:ジェネラルではないなぁ、と。
七里:いや、一般映画を撮りたいとか、実験映画を撮りたいとかでは、ぼくはない。だから「No,No,No」と。実は英語しゃべれないんですけど、(笑) 「エクスペリメンタルandジェネラル」って言ったら、「それは有り得ない」と。(笑) で、「『眠り姫』という人の姿が映らない作品が、一般映画もかかる劇場でロングランしてると言ったら、「コングラッチュレーション!」。(一同笑) でも、「どっちか決めろ」と言われたんですね。どっちか決めた方が映画祭に掛かりやすいし、紹介しやすい。つまり、そういうテリトリーの中で作品はプログラムされているから、決めた方が世に出るわけですよ。ある種の処世術なんですかね、そうやって自分で自分の作品をカテゴライズすることで売っていく。だから、先ほど金子さんからコマーシャルって言葉で説明していただいて、その通りなんだけど、そこにも商売があるというか、反商業的なマーケット?がある。その中でうまくやって成功している人たちも多い。まあ、僕の身近にもいますが。何なんだろうと思う。エクスペリメンタルとジェネラルの違いって。バイヤーが来るか来ないかの違い?でも、そういう(エクスペリメンタル)のが専門のバイヤーもいたりするんですよ。で、実際ぼく、エクスペリメンタルの映画祭をいくつか行ってみたんですね。そしたら、そこでプログラムされてる作品の幅はものすごく広くって。どこが実験的なんだ?って思うような作品も多いし、ビジュアル・アートって言うんですかね、インスタレーションもあるしパフォーマンスもある。美術と映画のジャンルの違いって全然分からない。というか美術の領域と映画の領域って、すごくクロスオーバーになってて。それに、ロッテルダムみたいにジェネラルもエクスペリメンタルも両方やる大きな映画祭もあるわけだから。いったいどうなってるの?っていう…
金子:迷ったらアメリカンスタンダードを日本に持って来て、バサッと乗っけると、もうシネコンでかかってる映画だけがメジャー映画、あとは全ての一億で作ろうが二億で作ろうが百万で作ろうが一人で作ろうが、みんなアート系映画。ノンコマーシャルっていう。
七里:うん、だからそのアート系映画の中にも幅があるわけですよね。その中でも先鋭的な実験映画?そういうものとイメージフォーラムが名付けたという映像アート、美術領域での映像を扱う作品とでは、またそれもマーケットが違いますよね。
金子:そろそろ私たちの前説を終えたいんですけど、一言だけイメージフォーラムの話をさせていただくと、イメージフォーラムはすごく重要で、アメリカと日本くらいしか未だに実験映像やアヴァンギャルド系、アンダーグラウンド系フィルム、まぁアップリンクもありますけど、普段上映していてそれが観れて、ケン・ジェィコブスが来日して挨拶するみたいな映画館は世界にないわけですよ。フランスは美術館とかがありますけども。だから日本だけすごく恵まれた土壌で、八〇年代・九〇年代そしてゼロ年代以降も生き抜いて、実験映画っていうジャンルがちゃんと確立しているから、こういう実験映像っていうのが残ってますけど、他の世界ではもうそれが普段から観れないので、美術館でだけ特集やった時だけ観れるとか、展示で来てるから映像も上映会でやってるっていうレベルなんですね。あと、映画祭で観れるっていうレベルなので。日本は恵まれてる。
七里:日本は恵まれてるし、だから分かりにくくなるっていうことですかね。海外に行くと、実験映画も美術館で見られるから…。
金子:そうですね。
七里:アートなんでしょうか? 実験映画を美術館でやると。
三輪:それがアートになるのかどうかっていうことですか。まぁ呼んでもいいし呼ばなくてもいい。(笑) 今ちょっと、この後ぼく美術側から反応しないといけないので、それを考えながらお話を聞いてて、打ち合わせの時もこう、別に、その美術と映画の世界を今回戦ってどっちがいいという話ではないわけですけど、要はこう、アート系映画でしたっけ?っていうのは、打ち合わせでもそれが一体何を提示しているのかっていうのが分からないまま、今ちょっとその話をしてるので、お二人の定義にしたがってぼくは反論すればいいのかな、どうなのかなって。つまりシネコンでかかってるもの以外のものをぼくは相対すればいいのでしょうか。(笑)
七里:いや、でもそれは…そうするとどうなるんですか?
金子:ターミノロジーの問題、用語の問題にしかならないので、もうこの辺でやめましょう。中身に入りましょう。
七里:今までも中身がなかったわけじゃないと思うんですけど。要はだから、はじめは映像を扱ってた表現って、映画だったわけですよね。百年前…いや百年前が始まりかどうかっていう問題もすごくあるとは思うんですけど。それがテレビができて、ビデオアートなんかも始まって、あ、だから、ビデオの表現がフィルムの後に生まれたことも重要だと思うんだけど。まあ、そういう起源に戻って話していくと何か見えてくるんじゃないかということで、三輪さんにお話しいただこうかっていう流れでいいんでしょうか。で、美術が映像を扱うようになったのは、今回の展示の「映像表現’72」展の頃と考えていいんですか?

三輪:いや、アーティストが映像を作ったのはもっともっと前だと思うんですけど。映像、例えば美術館みたいな展示空間で展示するような表現とか、あとは単純に映像を表現手段としてピックアップするアーティストの数が劇的に増えるっていう、そのスタート地点としては六〇年代から七〇年代頭とかぐらいは出発点の一つとして位置付けてもいいとは思いますね。
七里:その頃に映像を扱い始めた美術家っていうのは、最初から映像を扱って美術をやっていた…?
三輪:そういう作家とても少ないと思いますね。殆どは基本的に七〇年前後っていうのは美術の状況っていうのはやっぱりモノが作れなくなっていくっていうか、所謂絵画や彫刻というモノを作れないっていうのと、それからモノを作るってことはどういうことなのかみたいなことを、もう一回原理的に問い直しましょうみたいな時期で。それからもう一つが展示をするっていうこと、観せるっていうことはどういうことかというのをもう一回問い直しましょうというような、そういう時期で、割と多くの作家がそれまで作った彫刻とか絵画みたいなものを一旦中断するとか、それか制作は続けるけど使う素材とかメディアっていうのを自分がメインで使うものじゃないものに手を出すっていうか、そっちの方を使いながら作ることみたいなのを検証する時期だったんですね。だから、映像をピックアップした人たちっていうのは、基本的に美術の世界で彫刻家だったり画家だったりっていうのが基本だとは思いますね。
七里:じゃあその彫刻家は、まぁ金属や木材やいろんなモノを扱うように、そのモノのひとつとして映像を扱うというスタンスだったていうこと?
三輪:という人が多いと思いますね。つまり、絵画・彫刻・映像みたいに同位のジャンルとして映像があったっていうよりは、もう少し、前言ったかもしれませんけど、素材ですよね。
七里:マテリアルとして
三輪:鉄・木・映像…。
七里:あぁ…(笑)
三輪:という傾向が強かったとは思います。
七里:鉄・木・映像とかってなると、アプローチの仕方っていうのは独特なものになる?
三輪:素材として扱う場合ということですか?独特…?
七里:いや、だから映像で実験をするっていうと、すぐに…あんまり使いたくない言葉ですけど、コンテンツの話になる気がするんですけど、映像で何を表すかとか。でも、映像そのものが、扱う対象ってことですか?
三輪:そうですね。だからもう、本当にマテリアルだと思いますよ。そのどんだけ曲がんだ、みたいな。どんだけ広がんだ、みたいな、ことに近いと思いますけど、やってることは。
七里:それって六〇年代前後、実験映画でもそういうアプローチあったわけですよね。
三輪:ありそうですね。
金子:エクスパンデッド・シネマっていうのが、そのスタン・バンダービークのムービー・ドロームっていうのが有名ですけど、ニューヨークの郊外に東京ドームのようなドーム状の施設を作って、そこにいろんな映写機を当てていろんな形でこう、まぁマルチ上映なんですけども、二面マルチとか三面マルチとか限られたものをドーム状でやったのがエクスパンデッドシネマって言われたり、もう一つの傾向としてはそのパフォーマンス、その場での一回性のパフォーマンスを組み込んだような上映の形態、昔の六〇年代後半の日本映画をときどき見ると、裸の女性が踊りながらそこに映写機でこう映像を投影するみたいな、(笑) 悪しきアングラ文化が紹介されてますけど、もともと本当にそういうのがエクスパンデッドシネマの二つの潮流と言われていて、それと美術家の人が様々な映像を使いながら、いろいろな上映をするやり方と、松本俊夫さんがバルーンを作ってバルーンに映写を当てて見せるとかですね、代々木の体育館で。ああいうものとクロスオーバーしてるのか否かって話になってくると非常に、どこまでが美術でどこまでが映画なのかっていうのが曖昧になってくるっていう話を七月の居酒屋の最初の打ち合わせの時しましたね。急に思い出してきました。そうだそうだ。
七里:だから…まずは、別に対立するわけじゃないんですけど、美術側はその頃どういうアプローチをしていたのかっていうことから見ていく、ということでよろしいでしょうか。

三輪:はい。ちょっと画像を見せながら。
七里:若干暗くしていただけますか。
三輪:今の七里さんのお話になるべく早くつなげたいと思いますのが、私は先ほどご紹介いただきましたように、今、東京国立近代美術館という美術館に勤めてまして、丁度今十月から十二月十三日まで映像の展覧会をやってます。で、それを簡単にまずご紹介、今日のお話とも関連すると思いますので。これは、展覧会の名前がややこしいのですが、「Re: play 1972/2015-「映像表現 ’72」展、再演」という展覧会で、タイトルはややこしいんですがやってることは非常にシンプルで。えっと、一九七二年にですね、京都の美術館で先ほど言ったような造形作家ですね、絵を描いてたり彫刻を作ってみたりするような作家が撮ったというか、制作した映像だけを集めた展覧会がありました。十六人の作家が出品したんですが。それがたった六日間しかなかった展覧会なんです。まぁ当時は一週間くらいしかやらない展覧会ってのは結構多くて。しかもその当時、やっぱり美術批評の中心というのは東京にあって、六日間しかやらないし、それから京都という東京から離れた場所だし、それからもう一つは、映像というのは絵画や彫刻みたいに、例えば本に複製された場合に、絵画や彫刻っていうのは、それで全てが分かる訳ではないにしても、やっぱり紙面化された場合にとれる情報っていうのが映像はとても少ないとか、いくつかの理由があって、七十二年の展覧会っていうのは美術史的にそれほど注目されることがなかった展覧会なんですが、これを四十三年後の二〇十五年に展示空間ですね、当時四百数十平米の空間に作品が展示されたのですが、その空間も含めて二〇十五年の今の東京のこの美術館にそれを再び出現させるという展覧会ですね。当時の会場というのはこういう感じで(プロジェクションしながら)もともと使える素材っていうのは8mmと16mmと、それからスライドプロジェクターと当時出始めたビデオが若干使われているという展覧会で。この写真を見て頂くと、部分的に見えると思うんですが、天井に電源を取るためのこういうワイヤーみたいなのが通って張り巡らされているのと、基本的にこの展覧会っていうのは映像をエンドレスに流すっていうのがコンセプトとしてあったので、フィルムをエンドレスでループさせるために、フィルムもやっぱり会場の割と上の方を蜘蛛の巣みたいに張ってるっていう、とても変わった、今で言う映像のインスタレーションという風に言ってもいいような、世界的に見ても先駆的な展覧会だったんですね。それで、先ほどから出てる映像アートとアート系映画の違いという、というのがありますけど、当時作家の人たちが、特に七十二年の展覧会で出てたような作家の人たちが、映画っていうものを、これは多分ジャンルとしての映画ですがどういう風に考えていたのかっていうと、基本的には自分たちの作る映像と映画は違うものだ、ということを非常に強く区別したというのがあって。一つ、例えば、これは作家ではなくて美術批評家の中原佑介という批評家がいるのですが、彼がこの展覧会のカタログに寄せた文章で、これ展覧会の名前が「映像表現」というタイトルなんですが、中原佑介が描いた文章のタイトルっていうが「反映像表現への志向」というタイトルで、この場合の中原佑介が使ってる「映像」っていうのは恐らく映画を指していて、これ何を言っているかというと、これ映像表現というタイトルが付いているんだけども、この二段目ですね、「逆説めくが、『映像』への関心は、むしろ『映像表現』への不信、『映像』はそれのみでは自立した『表現』たり得ないという認識に根ざしているように思われる。したがって、『映像表現』というようりは、『反映像表現』とでもいうタイトルの方がふさわしいというべきだろう」。ここで、言葉の使い方が曖昧で難しいところがあるんですが、この反映像表現って言ってるのは、アンチ映画という風に言ってもいいと思います。これ、七〇年前後っていうのは基本的に世の中全体として割とアンチっていうのが美術でもやっぱり多くて、いろんな既成の制度であったり表現に対して兎に角アンチの姿勢を示すっていうのは非常にいっぱい見られたと思うんですが、この展覧会に出品してる作家の一人に柏原えつとむさんという作家さんがいまして、彼が文章として書いているんですが、ここの一行目ですね「どうか私の作品を映画とは呼ばないで映像と呼んでください。」これは柏原えつとむが言ったのではなくて、これは万博のあるパビリオン、万博というのは大阪万博ですね、万博のあるパビリオンのフィルム制作者が記者たちに喋ったことだそうであるという風に、基本的に、これは柏原えつとむがこう考えているかどうかは別に、美術の側から考えると、それを映画ではなく映像と呼んでくださいっていう、言葉の使い方としてもそうですし、どこか自分たちの作っているものは映画ではないんです、ということを主張したいというのが強くあったというのがあって、だからその意味ではこの出発点として映画と美術、えーと、映像アートですか、は異なるものであるという風に美術の側からは定義付けたかったというのはある、というのが一つあります。因みにこの柏原えつとむというのは、この72年の展覧会には『足を洗いましょう』という、この映像、これちょっと静止画なんですけど、これ何やってるかっていうと、壁に足を洗いましょうとか足まで洗いましょうとか、足を洗うっていう行為をちょっとだけ言葉を変えて六枚の紙を貼って、その上にお風呂場でこう足を洗っている映像が延々とループで繰り返されるという、こういう映像作品を、柏原えつとむっていうのは作っている人です。

金子:ぼく、これ近代美術館に見に行ったんですけど、最初にこう周りにある回廊みたいなのがあるじゃないですか。真中が会場になっていて。そっちの回廊の方に一回、矢印があったので、回廊の方に行って裏側からこれ見てたんです。「あ~成る程言葉を反対向きに表示してるのか、流石ネオダダって感心しながら見てたら、係員の人に「こっちじゃありませんって」。(笑) 戻って見ましたけど。(笑) それでも通用するような展示でした。
三輪:それからですね、じゃあ映像と映画は違うんだっていう風に言いたいときというか言う時に、美術家の人たちが映画っていうものをどういう風にまず定義してたか、というか考えてたかっていうと、これは「若干の覚え書」って、これはカタログに載っている文章で、これは出品作家の内の数名が書いた文章なんですけど、三行目に「映画館で上映されている時間が映像としての虚像の時間」っていう風に言っていて、要は映画っていうのはスクリーンの中で完結していて、その中の時間とか空間っていうのは基本的に虚像ですという風に言っていて。それに対してこの赤字になってる真ん中の処、自分たちの作る映像っていうのが映画における時間と空間と観客における時間と空間が等価な、という風に書いておりますが、映画における時間と空間っていうこの一つ目が、三行目の虚像としての時間と空間というものであって、それに対して観客における時間と空間っていうものを彼らは現実の時間・空間という風に定義するわけですが、それが映画館の場合っていうのは虚像の時間の中で現実の時間っていうものが吸収され収束してしまってるのに対して、それを何とか等価なものにする、二つの時間と空間を、というのが自分たちの目指すべき映像表現、それが映画とは違うんだっていう、今から考えるとちょっとピュアな感じもするんですが、一応そういうことを考えていたというのがあります。例えばこれ、植松奎二っていうこれも出品作なんですが、『Earth Point Project -Mirror』っていう作品がありまして、まず一回これの動画をちょっとだけ流します。スクリーンに何が映っているかっていう、音はありません。さっきもちらっと話したんですが、さっきってみなさんに話したわけじゃないですが、さっきの72年の展覧会というのはもう一つ、映画館というものに対してのアンチの台頭とか試みなんですね。彼らは映画館というのは今この皆さんが着席してスクリーンの映像を見ているように、お客さんというのは基本的に暗闇の中で椅子に座って、この映画っていうものが起承転結みたいなものがあるから、それをあらかじめ定められたプログラムに従って、それを最初から最後まで見るっていう経験をする場所であって、それに対して虚像としての時間・空間と、現実の時間・空間というものを等価なものにできないかって言ってるのは、要は鑑賞の形式とか経験っていうものにもそれには関わっていて、七十二年の展覧会っていうのは劇場的、映画館的な鑑賞経験に対して、例えば一つの大きな部屋に、一六個の作品が同時に並んでいるので、普通にそれをホールで上映しようと思ったら、「プログラム一、誰々さん。プログラム二、誰々さん」っていう風に、あらかじめ決まったプログラムに沿って、お客さんはそれを見ていかなきゃいけないんだけど、あれの場合はお客さんはどこをどのタイミングでみるかっていうのも全て自由で、任意であるっていうように、映画館的な鑑賞経験というものに対して自分たちがやっていることは、違うんだということを主張しようとしているというのがあります。

なので、さっき言ったっていうのは、美術の映像の話をレクチャーというか、こういう場所でするっていうことっていうのは、たまにあるんですけど、そうするとややいつも後ろめたい気持ちになるんですね。本当はこうじゃないんですとか。つまり今ご覧になっているこの映像っていうのも、実際こういう形で上映されるべきものでは本当はないんですよね。それはつまり、美術家たちが作ろうとした映像っていうのは、映画館的な在り方に対してある意味アンチであったということなので、こういう見せ方をすると作品の本質が十全に伝わらないみたいな、本当はもっといい作品なんですよねって(笑)、言い訳めいたことを言わなきゃいけないっていうのがあるんですけど。ご覧になっててこの作品ってどういう作品かおおよそわかったと思うのですが、要するにやってることは、神戸の七二年の街並みですけど、そこで五〇〇ミリ×五〇〇ミリの鏡ですね。鏡を街中に持ち出して、いろんな場所に置いて、そこに向けてカメラを置いて撮影していて、しばらくするとカメラが引いていくわけですね。そうするとそれが鏡だっていうことがわかったりして。つまり、最初は写っているものが鏡に反射している像かどうかっていうのはわからないんですよね。鏡のフレームよりカメラのフレームの方が内側に入っているので。それが引いてくと、鏡に映った映像だっていうことがわかるんですけど。で、展示風景がこういう風景なんですけど、この奥の壁に今の映像が投影されているんですが、この投影されている真ん中、ちょっと分かりにくいかもしれないんですが、ここに映像の中に写っていた五〇〇ミリ×五〇〇ミリの鏡と同じサイズの鏡が壁面に貼り付けられてて、それを中心にして映像が投影されている。だからその真ん中の部分っていうのは、映写機から投影された映像っていうのが写っているというよりは、私たちがいる、鑑賞者がいる空間が鏡に映って反射しているっていう状況になっていて、なおかつさっき、ずーっと引いてってあるタイミングで止まると思うんですが、止まるタイミングっていうのが、作家のコンセプトとしては、現実の壁に貼り付いている鏡と同じサイズになった時にそれが止まるっていう。それでしばらく映像がフィックスするっていうかたちをとっていて、これは例えばさっき言った、現実の時間と空間みたいなもの、あるいは現実の物質とスクリーンの中の時間・空間・物質みたいなものを等価にする、あるいはそれを関係づけるっていうことをやろうとしていたっていう話を先ほどしましたが、それのわかりやすい例かなと思って一つご紹介しました。それからですね、この当時美術家たちが作った映像にどんな特徴があったかということを、これは同じく七二年の展覧会に出品していた、山中信夫っていう作家がいるんですが、彼が出品していた『ピンホール・ボックス』っていう作品で、これは当時の写真じゃなくて二〇一五年に再制作した作品ですね。この作家はですね、ピンホール写真でとても有名になるんですね。これは(スライドに写真を映しながら)『マンハッタンの太陽』っていう写真で、ピンホールで撮った写真作品なんですが。これは一九七三年に美術批評っていう美術雑誌があるんですが、そこで「フィルムの乱調の方へ」っていう文章を書いていて、それは制作ノートみたいな感じで起承転結きっちりした文章じゃないんですけど、その中で大きく分けて、この時期に美術系の作家が作っていた映像っていうのは二つの種類があるということを言っていて、一つはここに書いてあるように、「普通の映画のようにスクリーンをそなえつけ、または画廊の壁をスクリーン代わりにし、そのフィルムの内容を見せようというもの。多くは行為の記録、または撮影者の視覚、そのものの意識化であったりする。ここではスクリーンに写される〈対象〉が大きな比重をしめる」っていうのがひとつですね。それからもうひとつ。「もう一つは、プロジェクターやその間に、いろいろな作為、装置などを加えたもの。ここでは、いろいろな写し方の方法が大きな比重をしめる」というふうに。このように大きく分けて二つあるんじゃないかというふうなことを言っていて。多分後からこの話はもう一度することになると思うのですが、基本的にひとつは、行為の記録っていうのが私としては大事なことだと思っていて。先ほど金子さんもチラッと触れてましたが、この時期っていうのは作るっていうことを捉えかえすっていうようなことが美術全体の中であって、その時、同時にパフォーマンスみたいなものがとても流行するというか、そういう表現が多くて。そうすると、パフォーマンスっていうのは一過性のものですよね。例えば四三年後にある展覧会を再現しようって言った場合に、それがパフォーマンスの展覧会だった場合っていうのは、そこでパフォーマンスをしていたアーティストっていうのはもう、四三年の年をとってしまっていて。それを再現するっていうことはとても難しいわけですし。あるいはもう一つ、パフォーマンスっていうのは作品なわけですけれど、物質ではないので、収蔵することってできないわけですよね。例えば美術館にコレクションすること。そういう残しにくいもの、残し得ないものをなんとかして残すための方法として、行為の記録というものの手段として、映像というものが用いられているというのがひとつ。二つ目は、作為、装置としての映像。映し方の方法が大きな比重を占めるというふうに言っていて、こういった場合っていうのは、先ほど言った現実の時間や空間っていうものを、もうすこしイリュージョンとしての時間・空間、スクリーンの中とどうやって対置するかっていうことと、たとえばその場合は、スクリーンの中だけじゃなくて、たとえば最後のこの段落がわかりやすいかもしれないんですけど、「フィルムそのもの、むき出しのプロジェクター、プロジェクターとスクリーンの間、それらに装置、作為をするものは、場、空間、そこにおける直接的な観客との関係、見ること、そのものに焦点を」当てたっていう風に、つまりスクリーンの中のことだけではなくて、プロジェクターもそうだし、プロジェクターとスクリーンの間の空間もそうだし、そういうものも含めて自分たちとしては作品とするっていう、それが今、九〇年代以降激発する映像インスタレーションみたいなものにもどこかでつながっていると思うんですが、そういう装置として映像を使うとか、空間全体の要素として映像を使うみたいなことが大きく分けると二つの傾向がある。たとえば今の二個目の傾向としてあげられると思うんですけど、これは今井祝雄っていう作家が出品している、「切断されたフィルム」っていう。これはスライド・プロジェクターを使っているんですが。床にゴミみたいなものが散らばっているんですが、これは当時七二年ごろっていうのはまだテレビの放映において、その素材っていうのは一六ミリで撮られていたそうで、ただ全てを放映に使うわけではなくて、使わないものとかいらないものって廃棄されてたみたいなんですが、その廃棄されたフィルムっていうのを作家がもらってきて床にばら撒いていて、そのばら撒いている中から任意で取り出したものを、上下も表裏も関係なく、スライドのマウントに挟んで、それを上映してるって感じなんですけれど。本人に話を聞くと、投影されているイメージが大事だっていうよりは、自分としては床に散らばっているフィルムがまずあって、それから偶々抜き出したものをそこに投影しているだけだみたいな言い方をするので、それはやっぱりスクリーンの中の時間・空間の方が絶対的であるっていうのとはちょっと考え方が違うのかなと。

金子:僕はこれを見てドキッとしたんですけど、一六ミリのフィルムがすごく細かく切断されて断片になっていて、よく旅から帰って来たら写真用のプロジェクターで写真を五秒ごとに八一枚のスライドが切り替わって入って、三輪さんが言われたようにテレビのフィルムの屑なんですけど、本当だったら、映画の一六ミリのフィルムっていうのは、映写室の裏側に隠れていますよね。いつもはお客さんからは見えないフィルムの肉体みたいなものがバラバラに切断されて目の前に無残な姿をさらしていて、それも切られたものが次々とスクリーンに流れてくるっていう、ちょっと僕はギョッとしたんですよ。いつも会社で会ってる女の子と混浴のお風呂で一緒になってしまって裸を見てしまったような。普段だと透明化されていて、見るべきではないものがあらわになったというかね。これは映画の側の人の発想じゃないですよね。
三輪:先日映画関係の人に聞いたら、こういう作品とか、今日は画像が無くて恐縮なんですが、彦坂尚嘉という作家が出品しているのは、二台の映写機を対面している壁の間において、その二台の映写機を一本のループしているフィルムがぐるぐる回っていて、両サイドに時間差で同じ映像が流れてくるというか。一本のフィルムから二台の映写機が二つの壁に映像を投影しているんですけど、それが特徴的なのは、ループさせる映像自体がかなり長くて、でも部屋の空間は限られているから、映像をループさせるためにフィルムがずっと床をガリガリガリガリって、床にくっついちゃってて、床を這うように回ってるんですね。そうするとどんどんフィルムに傷がついていくので、七二年に上映されたフィルムを今回も使ってもう一回やってるんですけど、要はフィルムがもうボロボロに傷ついているんですよね。そういうのは、こういう(「切断されたフィルム」のこと)切断されちゃってるものとかにしても、フィルムをそういう風に扱っちゃうっていうことは、映画を……ねえ(笑)。フィルムセンターっていう美術館の方から言われたので。
金子:岡田秀則さんやとちぎあきらさんが「なんでそんなことにフィルムを使っているんだ」って怒ったりはしないと思いますけど
三輪:まさにおっしゃったように、映画の人から見るとギョッとするっていうのは今でもあるんだなあっていうのは、私としては新鮮な感じがしましたね。
金子:あれも非常におしゃれな彦坂さんが撮影と編集と上映のプロセスをクラシック音楽の第一楽章、第二楽章、第三楽章ととらえていて、第一楽章は海だけを撮影しているんですよね。そこに第二楽章で、編集というかほとんど手は加えてないんだけれども、第三楽章でフィルムが床で引っかかれて、その引っかかれた傷がそのまま映写機に入って行って、画面上で傷だらけのフィルムを見せていくっていうね。映画の人として、僕もその二つに反応しましたね。
三輪:もう一回中原佑介という人が書いた文章の内容に戻るんですけど、あるいはさっきの山中信夫の文章でもそうなんですが、この時に映像っていうものに対して、美術の中である言語による説明がなされている時に、頻出するワードっていうのがあって、それはひとつはさっき言った「行為」。それからもう一つは「過程」、プロセスですね。それからこの下の方に、映像化される手続きっていう言葉がありますね。実はこれは、映像について語っているからこれを言っているわけじゃなくて、この当時の美術がどういう状況だったかっていうのは言いましたが、そこで作家の人たちって、そこでなされる表現において、プロセスであるとか手続きであるとか行為っていうものが全面に出てきていたっていうのがあって。だからこの中原佑介は映像について文章は書いているんですが、それは美術全体の状況に照らしながらこの文章を書いているっていう感じが強くてですね。それを最も端的に象徴している展覧会っていうのが一つありまして、これは一九六九年のホイットニーミュージアムっていうところでやってた展覧会で、名前は「Anti-illusion: procedures/ materials」。アンチ・イリュージョンっていうのは、イリュージョンが虚像とか幻影っていうことですが、それに対するアンチという態度。あとそれから副題的についているのが、一つは手続きっていう言葉で、もう一つは素材っていう言葉が使われていて。ここに引用しているのはマーシャ・タッカー、この展覧会のキュレーションをした二人の内の一人なんですけど、要は芸術っていうのは基本的にイリュージョニズムっていうのに支えられてきたわけですが、それに対してアンチの立場を取るっていう表現がこの時期に出てきていて、そのイリュージョンに対置されるものがここではリアルっていう、作品はあらゆる点においてリアルだっていう現実っていうものをそこに対置するんですね。で、この会場写真を見た時に、そういうものがどういう風に表れているのかっていうことを一つ言うと、今これから二人の作家を取り上げたいんですが、この写真だと奥の壁に木でできた構築物みたいなものが見えると思うんですが、これはブルース・ナウマンっていうアメリカのアーティストが制作して発表した、『Performance Corridor』っていうタイトルの作品です。パフォーマンスのための回廊ですね。これは内側が真っ白に仕上げられていて、当時の批評とかだと「表と裏が反転した彫刻」「立体的な作品」という風に批評する人もいたんですけれど、実はこれは何かというと、この前にブルース・ナウマンはこの構造物を使ってビデオの作品を作っています。これは『Walk with Contraposto』っていうビデオの作品で、要はコントラポストっていうのは、美術とかの作品でモデルの人とかのポーズなんですけど、ポーズをとりながらこの廊下を行ったり来たりするっていう、ただそれだけといえばそれだけの、パフォーマンスなんですね。そのパフォーマンスを映像に収めて、それをさらに今度は展覧会にその構築物を出品するっていう三段構えになっていて、つまり先ほど言った行為の記録みたいなものが、美術における映像の一つの特質であるのではないかっていうことを山中信夫が述べていたわけですけれど。ひとつ今日の問題にしたいと思っているのは、記録っていうのは作品なのかっていう。要は当時パフォーマンスを撮影したアーティストのビデオっていうのはものすごい沢山撮られているんですけれど、それに対してその後の美術批評っていうのはどういう展開を示しているかというと、ある時期まではずっと、パフォーマンスっていう作品がある場合に、「それは記録です」っていうその記録の前にしばしばつけられるのは「単なる記録」だっていう言葉なんですけど、つまり記録っていうのは、あるいはそういうビデオっていうのは、作品、あるいは表現より一段劣るものですという意味が、言外には込められていて、その記録であるっていうのは、ある意味では美術における映像っていうものの価値というか、評価っていうものを妨げてきたっていうのがある気がするんですが、このブルース・ナウマンがやっていることっていうのは、実は表現と記録、記録と表現っていうのは、そんなに簡単に二項対立で分けられるものではないだろうっていうことが、ナウマンの作品を見ていると非常によく分かるんですけど、ちょっとここで一個別の作品を見ていただきます。(『壁と床での姿勢』上映)これはですね、六九年に撮られた『壁と床での姿勢』っていう映像作品なんですけど、全部で六〇分あるんですが……。映っているのはブルース・ナウマン本人です。
金子:人間の身体に不可能な負荷をかけたがるアーティストなんですかね。三輪:この六、七〇年代の美術における映像って、特にこういうパフォーマンスを記録したっていう風に言われる映像っていうのは、しばしばすごい退屈だっていう風に言われるんですね。しかもこれは六〇分あるわけですね。(笑) 僕はこの映像面白いなと思って今日是非とも皆さまにも面白いと思っていただきたくて出しているわけで、苦痛に耐えてくださいっていうわけではないわけですけど、例えばこれをリアルタイムで知ってる世代の人たちのこういうものに対する抵抗感っていうのはすごくて、とにかく退屈で苦痛であるっていうんですけど。これは何をやっているかと言うとですね、奥に壁がありますよね。それから床がありますよね。ブルース・ナウマンがカメラの前で、壁と床での姿勢っていうのは、水平の床と垂直の壁に対して幾つかのポーズっていうのを、時間をかけながらどんどんとっていく。それを六〇分ずっとやり続ける。これは六〇分撮りっぱなしなので、ブルース・ナウマンは六〇分ずっとこれをやってるんですね。だから金子さんがおっしゃったようにものすごい超人的な動きではあるんですが、退屈、楽しくないんですけど。これはパフォーマンスの記録であるっていう風に言ってもいいんですけど、そもそもブルース・ナウマンがなぜこれをやっているかっていうのは、さっきの『パフォーマンス・コリドール』は三段構えだったっていう風に言ったと思うんですけど、これも同じで、最初に『28の行為』っていうパフォーマンスとしてやっていて、それを次は写真の作品として発表するんですね。これは壁と床を起点に、いろんな姿勢をとったのを写真に撮って、それを多重露法で重ねている四枚組の写真ですね。

その後に今ご覧頂いた映像を撮影しているんですね。そうすると、じゃあ一番最初にあったパフォーマンスっていうののリアルな身体がお客さんの前に現前している、それが作品であって、この映像作品っていうのは、作品ではなくその二次的な記録である。って言ってしまっていいかっていうと、この作品を見ていると多分そうではないんではないかっていうのが、私としては感じられたことで、それはなぜかっていうとですね、この映像を見ていると、パフォーマンスは『壁と床での姿勢』って言っている通り、壁と床を起点にこれをやってるんですけど、映像を見ているとですね、ナウマンっていうのが、例えばフレームの右の上とフレームの右の角に手があるわけですね。これはあるタイミングで、足が左上と左下をだんだん……見てると、ナウマンは明らかにチラチラ左側を見るんですね。何をやっているかっていうと、ビデオで撮っている映像のモニターがここにあって、明らかにモニターを見てるんですね。自分がフレームの角に来るように、明らかに身体の動かし方を調整していて、そうすると単に二八の行為を撮るみたいなものをビデオで撮影しましたよっていうのではなくて、明らかにこの作品っていうのはビデオとして人前に展示をするっていうことを念頭に作られているもので、これは本当はこういう風に上映してはいけなくて、これが展示風景で、ここにモニターが置いてあってブルース・ナウマンの今の作品が映ってるんですが、これは本来ブラウン管のモニターで見せることっていうような決まりがあるので、つまりあの中でブルース・ナウマンが、奥に壁があって、床があって、それに対してモニターの中でああいう姿勢をとることによって、今度はボックスとしてあるモニターが、オブジェクトとして見ている人に現れる。それはイリュージョンとして、中にある映像を見てるんだけど、外見にあるブラウン管のモニターっていうもの自体があたかも立体物として、それも合わせて作品ですよっていう風に見えてくる瞬間があって、それは明らかに一方では記録なのかもしれないけれども、それがどのようなメディアにおいて人目に触れるかっていうのを考えてナウマンはこの作品を作っているっていう意味では、単なる記録っていう批判には当てはまらないのではないかっていう作品のように思えるんですね。しかもそれは、もう一つは、これはさらにメディアを転換して、雑誌の紙面にブルース・ナウマンがこういうかたちで『Wall/Floor Positions』っていうのを見開きで展開するんですね。ブルース・ナウマンがこの一連の作品で何をやろうとしてたかっていうと、人間がとりうる姿勢を一覧化したいっていう欲望のもとにやってるっていう話をしていて、そうすると例えばこの雑誌っていうのは、見ていただくと一個一個のフレームがブラウン管のフレームなわけですね。綺麗に断ち落としている矩形ではなくて。っていうことは、今度はもしかしたら映像作品の記録っていう風に言えるかもしれない。でもそれは単なる記録なのかっていうと、ある意味ではこういう風に示すことで、ナウマンがやろうとしている行為の一覧化みたいなものが、こちらの方が見る人には伝わりやすいかもしれない。そういう意味で表現と記録っていうのがそんなに簡単に分けられるものではないのではないかっていうことと、アーティストたちが撮ってた映像っていうのは、常に彼らが複数のメディアを使っている中で、そのひとつとして映像を使っていたので、他のメディアや素材を使った表現っていうのを、常に質を映像に転換していくっていう感じで制作してたっていうのが大きな特徴ではないかと思うんですね。ぼく時間使いすぎてますよね?
七里:いいですよ全然。すごい面白い。
三輪:じゃあ大急ぎで、もう一人作家を紹介します。先ほどの写真に戻ると、手前に立体物がありますね。立方体っぽい。それから床に波みたいな立体物がありますね。この二つを作ったのがリチャード・セラという彫刻家で、先ほどこの展覧会っていうのが、手続きと素材っていうのが副題についてるって言いましたが、その手続きっていう部分はさらに何を言っているかっていうと、彼らは出来上がったオブジェクトをそのまま展示するというよりは、それを制作する過程っていうものが最終的な出品物から感じとれるっていう意味で、それが手続きってことなんですね。制作っていう行為、そのプロセスとそこにおける時間っていうものが、最終的な表現物に表れているということが彼らにとっては重要なことで、例えばここにあるのは鉛、です。鉛を型に嵌めて、一個の型からどんどん成形したものを置いていくっていうのを繰り返しているので、制作のプロセスっていうのはここから感じとれるっていうのがひとつここに提示されていて、もうひとつこっちにある立体物っていうのを覚えておいていただきたいんですが、今からもう一つ映像をお見せします。リチャード・セラっていうのはフィルムの作品を、そんなに多くないんですがいくつか作っていて、今からお見せするのが『Hand Catching Lead』っていう『鉛を掴む手』っていう作品なんですね。(『Hand Catching Lead』上映)このゴツい手はリチャード・セラ本人ですね。タイトルにある通りカメラの上から鉛が落ちてきて、それを手でつかもうとしているっていうのを延々繰り返しているんですね。
金子:手にひどい傷を負っているような感じですよね。
三輪:こういう作品を作っています。このフィルム作品に関してリチャード・セラっていうのは言葉をのこしていて、それはちょっと長いんですが要約しますと、どうやってこのフィルムの作品がはじまったかっていうのは、「最初に誰だったかがカードの城の制作をフィルムにするって言ったんだ」。カードの城っていうのはさっき映ってた作品です。あれは鉛の板をひとつが次のやつに立てかけて、その次のに次のを立てかけて、ものすごい危ういバランスで形を保っていて、だからあれは触れば完全に崩れてしまう。それが一トンあるんですね。写真で見ると立方体の彫刻作品だねっていう感じなんですけど、あれを実際に見ると、かなり緊張感のある作品なんですね。一瞬のバランスでギリギリあの形をキープしているっていう。そういう作品を作っている過程を誰かがフィルムとして記録したい。それに対してセラっていうのは、「そんなフィルムはせいぜい説明か描写にしかならない」って言う。そのあとが重要なんですが、ある種のフィルム的アナロジーっていうのを、彼は扱おうとしているんですね。「もし自分がフィルムでなにかをするんだったら、さっきの『カードの城』っていう作品に対するフィルム的なアナロジーっていう意味で映像を扱うのであれば、自分としてはやはり意味があるんだ」っていう風に言っていて、ある意味ではそれを具現化しているのがさっきの『鉛を掴む手』だという気がするんですけど、それはなぜそう言えるかっていうと、この作品では上から鉛が落ちてくるわけですけど、掴めるときと掴めないときがあるわけですよね。失敗するときと成功するときは偶然なんですけど、掴んだ瞬間っていうのが映像自体は続いているわけですけど、見ていると一瞬モノが静止するというか、バランスがある一瞬だけ止まるっていう感じが非常に強く表れていて。さっきセラが展覧会に出しているのが、手続き・過程であって、時間とか行為っていうものが非常に重要視されたって言いましたけど、これはまさに行為をしているわけですよね。掴むっていう。それが、一瞬キャッチしたときだけ「ハウスオブカーズ」っていうのが一瞬これしかないっていうバランスで止まっているわけですけれども、それと同じようなかたちでそれも同じ鉛っていうものを掴んで握った瞬間に止まるっていう感じっていうのが、彼がやっている非常に彫刻的な表現っていうのがイラストレーションとしてではなくて、映像というものに質的に転化しているっていう作品に見えるという意味で、これは造形作家にしか撮れない映像ではないかという気がするということですね。だからちょっと乱暴にまとめると、基本的に私がいま話したのは、この時期の美術家が扱った映像のすべての動向をカバーできるものではないというのは事実、あるいは、この時期っていうのはそもそも映像の教育を受けて作っている人たちではないので、技術的なこととしては稚拙なわけですよね。だけれども、もともと持っているメインの立体だったり絵画だったりっていう制作におけるなんらかの表現、意図みたいなものを映像の方に質的に転化するっていうことっていうのが、彼らがやっていたことだと思うんですけど。最初の方で言った、例えば、一つは映像っていうのをスクリーンの中だけではなくて、周りの空間とかも含めて捉える、みたいなことは、多分さっき金子さんがちらっと言っていたように、映画と美術の映像の違いという事に関して言うと、突き詰めてくとそれどっちもやってるじゃん、という話になってしまって、それはその区別にはならないような気がするんですけど、複数のメディアを同時に使いながら、その中でメディアごとに一個というかある表現を質的に転化していくという方向というのは、美術における映像というものの、もしかしたら映画の分野にはなかなか無い特徴なのではないかな、と言えないだろうか? というのが一つ興味としての問題定義です。
七里:ありがとうございます。僕は今聞いていてすごくいろんなことを思って面白かったんですけど、その中でまず最初に印象に残ったのは、当時は美術側が映画と区別しようとしていたということ、なんですよね?
三輪:そうですね。それは多分「負い目」だと思います。自分たちには映像を、例えば多くの作品はほとんど撮りっぱなしで編集をしないわけですけど、もしかすると編集できない、編集をする技術が自分にはない、ということもあるわけですよね。そういうスクリーンの中のコンテンツのクオリティーだけから言うと、映画に勝ち目はない。というのがあったんです。
七里:では美術側に対抗心がありありだったということですか?
三輪:ありありでしょうね、それは。
七里:で、それって話が飛ぶんですけど、今の美術家が映像を扱う時ってあることですか? 区別しようっていう。
三輪:う~ん。そういう人もいるとは思いますけど、その方法というのはある意味もうやり尽くされてしまっている気がするんですよね。ですから、今の若いアーティストというのはもっと軽やかですよね。
七里:つまり区別しようとする意識っていうのは、起こりえない?
三輪:起こりえないことはないと思うんですけど、それを突き詰めていっても、何かこう袋小路にいってしまう感じというのはちょっとありますね。
七里:当時はそれは袋小路ではなかった、ということですか?
三輪:それは、まだやれることがあったと思いますよ。
七里:それと、これも気になったことなんですけど、当時を知ってる人たちにとっては退屈だ、退屈な作品だと言うのだけれど、そう言いながら、三輪さんは紹介する作品を、自分でも言ってましたけど、すごく面白そうに話しているじゃないですか。実際(お客さんにも)受けてたし。当時は退屈だったのに、今見ると面白いっていうことですか? なぜ当時は退屈だと思われたんですか?
三輪:つまりそれは、例えばナウマンの映像って六○分ある訳ですけど、ブルース・ナウマンは別に最初から最後まで見ろ、とは言っていない訳ですよね。でも、当時は、最初から最後まで見るのは映像の基本でしょう。というのはやはりあったと思うんですよね。ちょっとチラッと見てどこでやめてもいいですよ、というのは今美術館で映像を見るときには割と基本になってますけど、だから起承転結がないし途中から見てもいいですよ、みたいなスタンスのプレゼンテーションというのは多いと思うんですけど、それは当時の人たちにとってそんなに一般的なことだったのだろうか? って思うんです。
金子:今もね、映画館に「こんな映画入っちゃって損したなあ~」みたいな「困ったなぁ」みたいな映画でも、最後まで観ないと作った人に対して悪いかな(笑)みたいな気持ちが働いているんだけど。
七里:でも、映画も今は色々な見方がありますよね。スマホとか、タブレットで見る人もいる。そうすると途中で止めるのは普通ですよね。好きな時に観れるし。もうビデオの時代に既にあったことですけど、停止して、続き明日からみたいな。
三輪:それは作り手の問題として結構そういう風に言うわけですよね。例えばブルース・ナウマンじゃないですけど、七二年の展覧会に出品している野村仁さんっていう作家がいるんですけど、彼は、どんだけ見るかはお客さんの任意で結構なんだけど、彼も一応映画と映像、自分の作っている映像作品というのは区別しているんですけど、美術の作品の自分がすごいと思うところは、それを一瞬見ただけで、それの価値、判断、その価値判断が正しいか間違っているのかどうかは置いておいても、その価値判断が下せるっていうのが美術だっていう。
七里:そこが違いだと?
三輪:違う。だからそれを自分の作品をパッと見て、例えば一〇秒見て、それを見て一〇秒で止めようと思うか、あるいは一二〇分見続けようと思うかは任意だけど、それの判断っていうのはほぼ一瞬で出来るっていうのが彼の言っていることで、だから何分見てもらっても構わないみたいなことを言うわけですけど。
七里:でも、例えば一二〇分なり六〇分なりっていう(作品の)尺を決めるわけですよね? それはなぜ?
三輪:ブルース・ナウマンの場合は簡単で、テープ一本がその時に六〇分であるからで、あれ映像見てるとわかるんですけど、最初ガガガガガーってなって始まって最後突然プッって終わる。それはテープが終わったから終わる。
七里:それはでも特殊な例ですよね? みんながみんなテープの長さに合わせてつくったわけでもないですし。他の方、例えば誰でもいいんですけど、一瞬で判断できるものなのに、ある分数を決めたっていうことは…
三輪:でも割と今の映像でも要は立ったまま見なきゃいけない映像作品って結構あるじゃないですか、美術作品だと。それは毎時毎時に始まります、みたいではなく、ただ永遠と結構長いものであってもループしている。この場合っていうのは最初から見てください、っていうこと自体が不可能なわけですよね。それは別に作家としても最初から最後まできちんとみてください、っていうことでしか自分の表現は伝わらないということとは違うんだと思いますけどね。
金子:ただ、それも美術と言い切れないところがあるのは、例えばアンディ・ウォーホルが一九六四年に作った『エンパイア』っていう有名な映画がありますよね。あれは夜のエンパイア・ステートビルを六時間半くらい撮影して、上映するときには更にスロー映写で上映してるので八時間五分だったかな? で上映してるんですけれども、映画館で八時間掛かって、それがジョナス・メカスが撮影して、実際にはウォーホルがカメラいじれなかったのでメカスが撮影したんですけど、上映されているところに行くと、「あっ、掛かってる、掛かってる。エンパイア・ステートビル映ってる」って言って、安心して帰ってくるらしいんですよ。で、事務所に戻って仕事して、「まだちゃんと掛かってるかなあ」って思って、もう一回見に行くと、「ああエンパイア・ステートビルがだんだん午前一時くらいに入ってきて暗くなって、あとちょっとで終わるな」と確認して帰ってくるということを、『メカスの映画日記』というのに書いてるんですけれども、それも一応その頃はまだ映像インスタレーションという言葉が無かったので「実験映画」という形で映画館に掛かっていた。でもそれはウォーホル自身が自分で言ってますけれども「これを八時間五分、丸々見てくれとは全く思っていない」と。「好きなように自分の時間の中で見てくれれば構わない」と。ある種のこのシングル・スクリーンの映画館という場所でやっている、映像インスタレーションだったのかなという気がするんですけど。
七里:インスタレーションっていつ頃から始まったんですか?
三輪:何を持ってインスタレーションというのかは結構難しいところがあるんですけど、例えば一九五九年にアラン・カプローっていう作家がパフォーマンスをする訳ですけど、そのパフォーマンスっていうのは、色々な部屋の中にまた小部屋みたいなものを作って、そこにも色々な物が置かれていて、それに対してインストラクションみたいなのがあって、来たお客さんがインストラクションに従って鑑賞する。そういう色々な物が配置されている訳ですよね、空間の中に。それを、いわゆるインスタレーションの初めだと定義することもあるので、それを考えると五〇年代末には、今言っているいわゆる「インスタレーション」と言えるのだと思います。
七里: コンセプチャル・アートはいつぐらいからですか?
三輪:五〇年代末ですね。
七里:さっき、他のマテリアルでやっていた作家が映像を素材にっていう話がありましたけれど、そういうインスタレーションだとかコンセプチャルだとかという発想をもとに映像を扱い、作っていったということなのでしょうか?
三輪:それは、そうですね。そういう傾向はとても強いですね。
七里:その当時もう実験映画ってありますよね。それと美術のそういう動きって関係あったんですか?逆に、実験映画側はそういう美術の流れとは…
金子:(映像を見せながら)一九六四年、ウォーホルが『エンパイア』を撮ったんですけど、日本でもフィルム・アンデパンダンという紀伊国屋ホールで上映があって、美術家が映画を撮っていた時期があって、赤瀬川原平さんの『石膏像』をですね、ライカ同盟で有名なカメラ好きの赤瀬川さんですから、顔の目のところにはカメラが付いていると。これを延々と映しているだけなんですけれども、実際の撮影は先程のウォーホルがメカスに撮影してもらったように、赤瀬川さんもコンセプトとアイディアだけを出して実際に撮影をしたのはこのフィルム・アンデパンダンを企画した飯村隆彦さんという映画作家がやっているんです。ですから自分で撮影をする、身体を使って撮影をするということ自体は、美術家から見ると映画の行為に含まれない、自分のアイディアを出せばいいということなんです。で、えーっとこれずっとこのままなんですけど、ある時フラッシュがあって終わり、というね。二分間の映像です。それから刀根康尚さんという美術家で前衛音楽家の方がいますけど、彼がもっとすごくて、『2880K=120”』という映画なんですが、この映画フィルム・アンデパンダン自体がアンデパンダンですから、誰がどんなものを持って来ても上映するというものであった訳です。そこに公募で入ってきた刀根さんの作品なんですけれども、これもストップウォッチでこう押してですね、このまま二分間映るというのが上映されるだけということですね。これは今見ると何てことはないんですけど当時はものすごく革新的だったわけですね。それは先程のお話にもありましたけれども、映画っていうものはある撮影者がいて、それを色々なところでフィルムでもビデオでもいいんですけど撮影して、自分の時間を編集で作り出す。そして暗闇の中である人々に自分が作り出した編集によって、モンタージュによって、作り出した映像というものを見てもらうというところがある訳なんですけれども、これはまあバーンと映画館にせよ紀伊国屋ホールにせよ暗闇の中で延々とこれがかけられると。つまり撮影者や作者の恣意的な時間の操作、というものが無くなる訳です。それがハッとこれを見てて気づくっていう作品なんですけれども、ある種の六四年の段階、というかまあ当時は日芸の足立正生とか飯村隆彦、それから大林宣彦さんがいて、美術家だと赤瀬川原平さんとか風倉匠とかですね、が参加しているんですけれども、美術家たちが映画のフォーマットで撮るとやっぱりこう映画館でかかっているにもかかわらず、これはやっぱり発想やコンセプトが美術作品なんじゃないか。というですね、今からだと思えてしまう、という例です。
七里:確認ですけど、フィルム・アンデパンダンをやったのは映画館ですか?
金子:紀伊国屋ホールですね。
七里:じゃあ、ギャラリーとかホワイトキューブで映写してたってわけではなくて、劇場ホールで上映してた?
金子:本当は八ミリでやりたかったらしいんですけれども、八ミリだとホール上映に適さないということ、見えなくなってしまうので、しょうがないから一六ミリにしようと。そして当時一九六四年ですから、オリンピック・イヤーですよね。で、オリンピックと共に家にお茶の間にテレビが入ってきて、CMがどんどんかかるようになったと。でもあの商業的なCMではなくて私たちが思っている個人で一人の人間が作れるようなCMを作ろうということで、このアンデパンダンを創ったそうです。
七里:美術館やギャラリーで展示してたわけではなくって、あくまでホールだとかそういうところで上映していた?
金子:劇場的な空間ですね。
七里:ではプログラム一、プログラム二、ということをやっていたわけですね。
金子:ただこの前年に飯村隆彦さんが銀座のギャラリーで、ギャラリーのスクリーンに映画を投影するということをやったりですね、一応インスタレーションとはその当初は呼ばれなかったけれども、「イベント」とか「ハプニング」という言い方をして上映をやっていたんですね。それが一九六四年に起きていたと。一応映画側、美術家が撮った映画という実験映画というのも無きにしも非ずという感じですね。
七里:あの、何か話が錯綜しちゃったんですけど、この当時の実験映画作家っていうのは何かと区別しようとかしていたんですか? 例えば、大映、松竹、東映とかのプログラムピクチャーとは違う映画を、という意識はあったんでしょうか?
金子:どうなんでしょうね。アンダーグラウンド……アンダーグラウンドという映画が生まれる前の六〇年代半ばくらい。
生西:なんか松本俊夫さんが言われていてすごく印象的だったんですけど、多分何か飲んでる時とかに言われていた気がするんですけど、要するに実験映画っていうのが当時六〇年代、七〇年代が面白かったのは、映画の世界からも相手にされないし、美術の世界からも相手にされなかった、という鬼っ子みたいな存在だからこそ面白いことが出来てた、っていう事を松本さんが仰っていて。だからその話の流れの実験映画とは違うかもしれないんですけど。
七里:いや、だからその美術家のほうはもっと広く映画と区別しようとしていて、実験映画はメジャー映画と区別しようとしていたのかなと思ったんだけれども、その…。
金子:体験が違うと思いますよ。劇場とこの『映像表現 ’72』を観ていて。生西さんこれ観ましたか?
生西:僕は三輪さんにちょっとお聞きしたかったんですけど、ちょっと僕の単なる感想かもしれないんですけど、これ『映像表現 ’72』の再演という形でされていて、再演された展示スペースの壁の外側が回廊になっていて、そこに解説や参考映像があったりするじゃないですか。最初中を見て外側を見たんですけど、美術家による映像の表現ということで、いわゆる実験映画とはまた違うということだったんですけど、その前後の映像展に出品した作品というのを見ると、僕の印象だと割と当時の実験映画の作家の作品とあまり変わりがなくて、七二年のこの作品というのはインスタレーションとしての映像ということを、すごいなんか心掛けてやっているように見えて、それはかなり特異なことのように思えたんですけど、それはどうなんですか? その印象っていうのは。僕は勝手にそう思ったんですけど。

三輪:いや、正しいと思いますよ。あとはこの七二年の展覧会の前の、(生西さんが)ご覧になったというのは要は多分今の話とも繋がるのかもしれないんですけど、最初に出品作家に対して依頼をする時点でもう場所も決まっている訳ですよね。そして、七二年のあの展覧会の場合は明らかにさっき説明したコンセプトというものを事前に出品作家に提示して、それに基づいて基本的に全ての作家は作品を作っているので、それは非常に強い意識で作っていたというのがあるから、ああいう風になったというのはありますよね。
生西:その後にそういった事が続かなかったっていうのは何でなんでしょうね?
三輪:う~ん……。なんでなんですかね。
生西:あともう一つ言うと、七二年の展覧会を見て思ったのが、実験映画の作品はずっとフィルムで撮っていて、ビデオが出始めてからビデオに移るじゃないですか。すると途端に作風が変わって、なにかこう長時間撮影が撮れるってことで時間の問題を扱ってきたり、要するにあまり大したことは起こらないんだけど、延々と日常の時間を撮っていたりとかっていうのが、多分この今回の展覧会にも近いと思うんですけど。
三輪:そうですね。だから『映像表現』のシリーズ自体は八二年まで続くんですけど、七五年くらいから明らかにビデオアーティストが増え始めて。
金子:テレビモニターの前に座って観るみたいな、ね。
三輪:そうですね。だから七二年に出品していた作家の多くはもう出品しなくなっちゃうんですよね。それはそのある意味で映像自体の制作を止めてしまう、というところは大きいと思うんですけど、それで多分今井祝雄さんが言ってたんですけど、要は、今井さんというのはフィルムからビデオを作ってずっと継続した作家なんですけど、彼はそういう風になっていくと、自分が付き合うコミュニティが明らかに変わってしまって、七二年に出品していたような造形メインでやってる人との交流っていうのが明らかに途絶えていくというか、疎遠になってゆくというのがあった。と言ってたので、そこはなんかこう分断されていたのかもしれないですね。
生西:なんかさっき言ってた中原佑介さんの言葉もなかなか面白いなと思って展示で貼ってあったのを読んだんですけど、でも面白いなぁと思ったのが、彼あれ(実際に展示を)見る前に書いてるんですよね。
三輪:そうですね。
生西:全く見ないであれ書いてるっていうのがすごい面白いなぁって。まるで見たかのように、でも実はまだ見ていないっていう。
三輪:そうですね。それはだから多分あの文章を読んで単語の選択とかも含めて、その中原さんというのはその二年前の七〇年に『人間と物質』っていう伝説的な展覧会をやっていて、『人間と物質』自体もアンチ・イリュージョンとかああいう傾向を踏まえてやっているというところがあるので、そのこうなんというか自分の文脈の中にまだ見ぬ『映像表現 ’72』というのを整理して入れてるって感じがしますよね。
生西:では『映像表現 ’72』をやられた作家の名前も、立ち上げた側も、その当時の美術の動向に要するにリンクしてやってるわけですよね。
三輪:もちろんそうですね、はい。
金子:三輪さんが打ち合わせで言ってましたけど、やっぱりあれを再演してる、『再演(replay)』っていうタイトルになってるのがすごいっていうか、そうそう今この八ミリフィルムがない時代に、三輪さんと石川亮さんですか、が八ミリフィルムで……。
七里:いや、違うんですよ。あれデジタルが入っているんですよ。
金子:ああ、そうですね。一コマ一コマ、えっと……スキャンして、もう一回八ミリフィルムにして……
七里:そう。だから、あれって「再現」じゃないんです。「再演」なんですよね。
三輪:そう、再演なんです。
七里:あれはデジタルの技術がここまで発達する前だったら、一本一本デュープ取らないといけないし、多分成立していないと思うんですよ。
金子:あとまあ八ミリフィルムを延々とあの展示空間で回してたら摩り切れて、パーフォレーションも壊れて映写機もどうなるか分かんないし、というところで、ヒリヒリするところで展示してるわけですもんね。
三輪:そうですね。危うい。
七里:そうそう。だから、テレシネしたデジタル映像を一コマ一コマ8㎜で再撮する作業を石川君が延々と苦労して膨大なクローンを作ったという、言ってしまえば全て石川君の作品でもあるんですよね(笑)、それが再演と言うべき一番のポイントというか……
三輪:ちなみに石川さんというのはフィルム・センターの職員でご自身が作家でもあるんですけど、今日(ご本人も)いらしていると思うんですけど、あれなんですよ、彼は板挾みなわけですよ、そのフィルム・センターと美術館との間で。だから映画と映像の間で板挾みになりながら、反フィルムセンター的な、それは僕も知らなかったんですけど、勉強不足で。要は八ミリってそのネガがなくていきなりポジなわけじゃないですか。つまり唯一無二なものだった、だから複製芸術じゃないって石川さんは言うわけですけど、その複製を今回量産したわけですよね。それで消耗品かのように八ミリをこうどんどんどんどん使っていっちゃうみたいなのは結構あの……。
金子:じゃあ、やろうと思えば大阪も京都もね、金沢も回れると(笑)
三輪:(苦笑)
七里:ええと、つまり“『映像表現 ’72』のようなもの”を作ったってことですよね? デジタル化して。
三輪:そうですね。
七里:ということは、先程からお聞きしてた、映画と区別しようとしてたとか、映像をマテリアルとして捉えてたとかそういうことが、この四、五〇年の間にフィルムからビデオに、さらにデジタルになってきたことで、少しずつなんというかプレッシャーが無くなっていったというか。かつてはフィルムだったから技術的な壁があって映画にはかなわないから、彫刻家は彫刻するように映像をフィルムを扱った、あるいは美術界の潮流の中での表現だったっていうのが、だんだんフラットになっていったんじゃないか。扱う映像がこういうパソコンでちゃんとできるようになっていくとストレスが無くなるし。明らかに壁があったのがなし崩しになっちゃって、区別しようにもできなくなってきたというか。だから今の人たちがスマートになったというよりは……。
金子: 一六ミリフィルムや三五ミリフィルムだったらやっぱりある種の技能集団がいて、その人たちと映画を作らなきゃいけないし……。
七里:だからそれを個人でやるわけだから、実験映画作家ってほんとに超絶テクニックシャンですからね。
金子:もちろん現像もしないといけないし、現像をネガ編集する人たちもいないといけないけど、ただ八ミリフィルムでプリントだけになったから個人で出来るようになって、こういう美術家の人たちもようやく映像を扱えるようになった。それが八ミリビデオになり、ハイエイトになり、デジタル・ビデオになって、今SDカードになったら、映像インスタレーションを作ってる人と映画を作ってる人の技術的な差がまったくないわけですよね。私はフィルムで撮っているから映画だとはまったく言えないというか、「これが映画である」というような内在的な理由を何か答えなければいけない。でも美術っていうものは映画というものを意識していたから、明らかにもう映像を使ってでも映画と違うことをやろう、あるいはもうインスタレーションという言葉がすでにインストールの名詞形だから、(インストールという意味が)「設置する」じゃないですか。だから何か設置する中の一つの部品として映像を使って、私たちが見せるのはより映画館より自由になった人たちが好きなように自分の固有の時間の流れを使って、好きな時に見て、好きな時に感じられるような、より何かこの自由な空間、あるいは環境を見せてるので、映像自体を見せているんじゃないんだよ、というのをもう作り上げているんですよね、美術の人たちは。まあ映画の人たちはその美術映像や映像に対して、七里さんのようにちゃんと意識的にならなかったから、映画はマテリアルの変化にも旧態然としたまま……
七里:いやいやいや、そういう風に僕をやり玉にあげないでね、うーん、何を言おうとしたのかな。忘れちゃった(笑)
金子:そろそろ生西さんの映像を……。
七里:うん。あ、でもその前に、もうちょっと言うと、かつての区別しないといけないとかそういうプレッシャーみたいなのがね、作品をすごく面白くさせていたというか。だからなんだろう、例えばアンチ・イリュージョン展の写真とかも、あの写真格好良いですよね、個人的な趣味かもしれないけど。イリュージョンありますよね(笑)あの、う~ん……何が言いたいんでしょうね(笑)
三輪:あのなんか関係ないかもしれないけど、さっき七里さんの作品を拝見させて頂いて……。
金子:『音から作る映画』ね。
三輪:そう、あれはね非常にこう七〇年代的スピリットに溢れた作品だなと思いまして、なんかこう愚直な感じがしますね。あの作品がっていうよりは、そこの中でやられてることっていうのは、非常に七〇年代的なある意味すごい原理的なことを突き詰めようとされているという感じがして、さっきそれをやっても今や袋小路だって言いましたけど、あの……。
七里:袋小路に入っているんですよ、ぼく今。だからこういう講座をやって勉強してるんです(笑)
金子:生西さんはもう見たんですよね?『音から作る映画』は。
生西:はい、見ましたさっき。拝見しました。
七里:どうもありがとうございます。
生西:いやもう最初、何でこれをドキュメントにする必要があるんだろうって、まず最初すごい疑問だったんですけど、打ち合わせの風景とか仕込んでる時とか、でもだんだんだんだんそこから逸脱していくというか、いわゆるドキュメントからは。それがすごく面白かった。あのキッチン・シンクに映像映したりとか、なんかそれが良かったんですけど。
金子:メイキングではなくてやっぱりドキュメントなんですもんね。
生西:でもいわゆる作っている過程を読み解くドキュメンタリーではないじゃないですか。やっぱり前半はそういう感じあったけど、色々な場所にね。
七里:記録って二次的なものではないと思うんですよ。記録っていうのは既にイリュージョンであって。
生西:記録自体がイリュージョンってことですか?
七里:いや、記録することがイリュージョンではないと思うんだけれども、記録で作ることっていうのはイリュージョンというか。記録で作品を作ること。

金子:あの、ちょっと持ってきたんで折角だから流しておきますけど、ジャック・スミスという一九六四年に彼はむしろパフォーマーで、フェデリコ・フェリーニの『サテリコン』なんかに影響を与えたようなゲイ・ボーイだったわけなんですけれども、彼はパフォーマンス・アーティストであり写真家であり映画作家だったんですが、(映像を見せながら)これはジャック・スミス自身が出ていてパフォーマンスを記録したものとは言い切れないところがあるんです。それはなぜかというと、この若くして亡くなってしまったロン・ライスという監督が撮っている『チュムラム』という映画なんですけれども、やはりこのカメラで撮っている側の作家の意思というものが出ている、あるいは先程も出てきたようにオーバーラップでこう重ねてでですね、やはりこのジャック・スミスがアトリエでやっていた、マリア・モンテスというハリウッドのエキゾチックな映画に出てきた女性をですね、ゲイ的に再解釈してリプレイしているわけなんですけれども、マリア・モンテスがアリババ映画とかですね、アラブ系のエキゾチズムを売りにした映画に出ていたのを、自分がパフォーマンスでなぞってよりチープに再創造しているものなんですが、でもまあカットを割っている、あるいは多重録音をしているから単にこれがパフォーマンスの記録ではないっていうのでは無くてですね、なにかこうロン・ライスがこの場所にいて、自分の固有の時間を作品化して編集してここに提出して、自分の見たものとして、こうなにか刻印や印がマークが付いているな。っていうのが、この『チュンラム』っていう。これは、実験映画の作品なんですけれどね。
生西:これはじゃあ、ロン・ライスの作品なんですか?
金子:ロン・ライスの映画という風に言ってもいいんじゃないですか。ジャック・スミスのパフォーマンスがフィーチャーされた、ロン・ライスの映画なのかなという。
生西:なんかあの、ジャック・スミスのことで一言いっておきたいんですけど、ジャック・スミスって『フレーミング・クリーチャーズ(燃え上がる生物)』っていう当時センセーションをよんで上映禁止になったりとかもしましたよね。で、メカスとか色々な人が取り上げてすごい話題になったんですけど、でもそのあと『ノーマル・ラブ』っていう作品を彼は作るんですけど、それは永遠に完成させない作品で、上映の会場でフィルム繋ぎ直したりとか、そこで音を立てたりパフォーマンスを加えたりとかっていうのをやっていて、だから完成作品というのは長らく残っていなくて、それで、なんでかっていうと『フレーミング・クリーチャーズ』の時に完成してしまったものが商品として流通するっていうことに彼はすごい懲りて、二度と完成させなかった、というのがすごい面白いなあって思っていて。
金子:イメージ・フォーラム・フェスティバルで『ノーマル・ラブ』は上映しましたけど、二時間くらいで観れる映画なんですが、ジャック・スミス自身は色々なフィルム缶を持っててね、何章何章何章って、今日はこれをかけてそこにアルトーの朗読をかぶせようとかですね。
生西:レコードなんかもかけてたんですよね
金子: レコードなんかもDJしていた。だから上映自体もジャック・スミスは自分でパフォーミング、DJ的な形でやっていたっていうことですね。
生西:なんかその場でねフィルムが缶に一杯切れ端が入っていてその場で繋いで上映してたって話も。
金子:ああ、そうそう。そういう作家としてのジャック・スミスというのもあるんですよ。これはまあ、ジャック・スミスのパフォーマンス。

七里:パフォーマンスも何かへのアンチから生まれてきた表現なんですか?
生西:それはなんか切りがない話になりそう(笑)
金子: 子供電話相談室みたいな感じになってきましたけど(場内爆笑)重要なことですね、原理的な。ちょっと明るくしてください。それはどうなんですか? むしろ演出家の生西さんに聞いた方がいいような気がしますけど。
生西:「パフォーマンス」っていつから言われているんですかね。
金子:だから「ハプニング」「イベント」があったんだけれども、それがのちに「パフォーマンス」として。
生西:じゃあ、六〇年代ってことですか?
金子:だと思いますね。
三輪:ジャンルとしては映像と同じで、そのパフォーマンス・アートのその源流みたいなまたその未来派とかにも遡ってしまうんですけど、パフォーマンスっていうあるジャンルみたいな感じに言われるのは戦後ですよね。
生西:インスタレーションとパフォーマンスはじゃあ同じ時期なんですかね?
三輪:だからさっきのカプローの言葉として、そのパフォーマンスとインスタレーションが一体的になったっていう。
生西:出だしが一緒なんですね。
三輪:はい、近いところはあると思います。
金子:ブルース・ナウマンは先程パフォーマンスであり、でもパフォーマンスは記録であり、それは全体で写真も撮られて色々なメディアを使いながら、やはり、作品なんですよね。
三輪:表現と記録があって、表現の方が記録よりベターである、っていうのはおかしいと思いますね。良い記録と悪い記録はあるかもしれないけれど。
七里:あ、それはそうですね。
生西:それあれですよね。えっと金子さんと雑談で話してた、飯村さんの土方巽を撮った作品とかっていうのがすごい特徴的で、いわゆる土方さんのパフォーマンスを撮ったすごい貴重な記録ではあるんだけど、明らかに記録としてはすごく不十分だけど、飯村さんの作品として撮ってる。というのがすごいありありと出てるものですよね、あれってね。
金子:若い頃のね、土方巽と大野一雄のデュオを観れるんだけど、全然映ってなくてあっち行ったりこっち行ったりするんだけど、何故かっていうと飯村さんは「フィルムダンス」って言ってそれを呼んでいて、自分も一緒に踊ってたんですよ。踊りながら撮っていたから、記録としては不完全なものだったけれども、でも自分の作品。
生西:それが作家性ってことなんですよね。
金子:まあ、そこまでして刻印残さなくてもいいかもしれないけれども、何とかしてこう記録を作品にしようと。まあ、作品の方が偉いというのもまたおかしいところがあるんですけどね。
生西:話をちょっと戻したいんですけど、「『映像表現 ’72』展 再演」も展覧会自体を再演してるっていうのがすごい面白いなあって思ったんです。要するに当時のインスタレーションっていうのが今の技術で、しかもなんかあのフィルムが無いものとかっていうのも、スクリーンの点線がこう壁に書いてあって、ちっちゃい写真が一枚貼ってあるだけとか、何か平気でそういうの幾つかあって、それも含めて何か面白いなあって思って。最近、舞台表現とかも結局その場でしか、その場で無くなっていくものだっていうことなんですけれども、逆に今すごい簡易に記録がとれるようになっているから、ダンスなんかでもアーカイブ化することに意識的な人たちが出て来ていたり。そういうのにちょっとリンクしてるのかなって勝手に思ったんですけど。
金子:上映ということの一回性はやはりあると思っていて、現代美術館で見た生西さんの作品が、やはりスクリーンで一つの暗闇の中でかかってますよね。これは山口小夜子さんのパフォーマンスの記録なのかなあって思ってると、そよそよそよっと後ろからこう扇風機でスクリーンが揺れる風になっていると。あの一つだけでもう「あっ、この映像っていうのはこの場所から引き離されて、インスタレーションされた場所から引き剥がして、映画館でシングル・スクリーンで観てはいけないんだ」ということが良く分かるわけですよ。
七里:でも、なんかあの時に、生西さん、「やっぱり映画にならなかった」って言ってなかった?
生西:そうそうそう、それは個人的に七里さんに言いました。うん。
七里:それは何でそういう風に言ったんですか?
生西:あの作品は完全に映像を使ったインスタレーションなので、映像作品とはちょっと違うんですけど、でもまあインスタレーションですよね。
七里:映画にしたかったんですか?
生西:いえ、最初はそういう話があったんですよ。
金子:何て作品でしたっけ?生西さん、見ましょうよ。
生西:『風には過去も未来もない』かな。暗くしてもらっていいですか。
(『風には過去も未来もない』が上映される。)
生西:終わりましたね。本当は三十分くらいあるんですけど、六分くらいのダイジェストでした。
金子:今日の話の流れで行くと、これはパフォーマンスの記録なわけですか?生西さんの作品なんですか?
生西:パフォーマンスの記録の作品では全くないですね。
金子:記録ではないというと、パフォーマンスをしてもらって撮っている?
生西:別にパフォーマンスとか言わなくてもいいんじゃないですかね、これは。(笑)
金子:小夜子さんに出てもらった作品。
生西:山口小夜子さんと、彼女がお亡くなりになるまでの、えーと、四、五年くらいかな、朗読と舞と映像による舞台を掛川康典さんという映像ディレクターと三人でずっとやってきたんですけど、小夜子さんご本人は亡くなられているので、その時に使っていた音声であったり、映像を使って、あとは、飴屋法水さんと山川冬樹さんが一緒に出てましたけど、灰野敬二さんとか、それは新しく撮/録ったんですけど、まあでも本人がもういないのに、その人についての作品を新しく作らなければいけないというのがあって。美術館のアトリウムって、吹き抜けの所で、小夜子さんのマネキンとか彼女が作った衣装とかをばあっと並べて、そういう展示とかもやって。それともう一つ、いない人の気配を感じられるようなものを作りたかったので、スクリーンに風を当てるみたいなことも。まああんまり言っちゃうと面白くないんですけど、それはだから、気配みたいなものをいかに呼び込むか?みたいな。
七里:これは、アートなんですか?
生西:それは三輪さんに聞いているんですか?
七里:じゃあ、三輪さんに。
三輪:いやあ…
生西:先ほどの三輪さんの話の中で後ろめたい気持ち、あの、インスタレーションをこういう(上映する)形にするって後ろめたい気持ちになるって言われてましたけど、僕は今、本人がそういう気持ちで流してるんですけど。
七里:いや、でも、僕はあの空間で見るより今日の方が良かったですよ。生西:ああ、そうなんですか?それは何でですか?
七里:それはやっぱり、僕は映画を指向してるからじゃないかな。
生西:ああ、「映画であってほしい」ってことですか?
七里:わからないですけど。でも、これが映画なのかって聞かれると、そこはもうちょっと考えさせてくれというのはあるんですね。で、これはアートですか?
三輪:あ、でも今の「美術館で見るより今日見た方が良かった」っていうのは、美術館で見た時には逆に何が不満だったんですか?(場内爆笑)
七里:それは、えーと何だったかな、もう疲れてきているのであれなんですけど……
三輪:いや、でも今「映画を指向しているから」って仰ったわけじゃないですか。それは何か言葉の使い方というよりは、例えば、七里さんが仰っている「映画」と、先ほど生西さんが「映画にならなかった」って仰っていたそれと、大体通じ合っているのかどうか。ていうのは、さっき、七里さんのスピリットが七十年代的に見えるみたいなことを言ったように、やっぱり当時って、原理的に考えて境界ってどこだ、限界って?みたいな比較をこう、そこを問い詰めていくこと自体を作品としてる感じって結構強いですよね、映像の作家や美術家がやっていることって。だから、ジャンルだったり、その手段とは一体なんぞやみたいなことを問うてるみたいなところがやっぱりあるんだと思うんですね。なので、今そのお二人が、「映画にならなかった」とか、「映画を指向している」と言っている場合の映画っていうのは……
七里:いやそこはねえ、あれなんですよ。この講座のテーマであって、僕はだから、映画って何かを知りたくてやってる。
三輪:「今日の方が良かった」っていうのは、それを考えるヒントにはならない?
七里:なるでしょうね。毎回そういうヒントをもらってる。
生西:ちなみに「映画にならなかった」と言ったのは、作る時にシングルスクリーンにかかる、要するに映像作品を作ろうって掛川さんと最初話してて、でも結局そういう形ではなくインスタレーションっていう方向に転換をして作ったので、だから、この作品自体がならなかったっていう話ではなくて、最初に考えていたことができなかったっていうことなんですね。それとは違うものを作ったってことなんですね。これ自体が映画にならなかったとか、そういうことではない。
金子:見る方の感じからすると、確かに現代美術館で見た時にこれが上映されていて、立って見てたんですけど、席が空いたらあっちに移動しようかなとか、人が入ってきたからこの辺で遠慮しようかなとか、自分の固有の時間の流れを自由に作れるのはいいところではあるんですけど、逆にいろいろ考えたりしながら動かなければいけないっていうのがあって。今この場所で見ると割と真っ暗闇になるじゃないですか、隣にどんな人がいても集中して観れるっていうか。だからやっぱり映画館の暗闇の中に座って視覚と聴覚だけになると、あの、ベルクソン的な言い方になりますけど、人間の行動っていうのはやはり、五感を使ってですね、食べ物を得ようとか、動物を殺して食べようとか、木の実を見つけて拾おうとか、外敵から何か襲われたら逃げなきゃっていうような常に五感を働かせている状態なんですけれど、映画館の暗闇に入ると何かそれは、こう、安心して、触覚や嗅覚や味覚までもがたった一つの開かれた窓としてそこにあるスクリーンに自分の感覚が流れ込んでいるような感じがするのですね。そうすると、単に映像で撮ったものが、流れているだけで、フォトジェニーという言葉がありますけれど、もう映っているだけでそこに何かこうビンビンいろんなものを感じて普段は外の世界で感じないことが色々見えてきたり、映画や映像なのにもかかわらず、何か手触りがこちらに伝わってきたりですね、何かドキドキするような感じがあったり、というような、それは松本俊夫さんの映像理論の中にもそういうようなことがあって、七里さんが今言ったことは分かるんですね、これを何かじっくり映画として見れちゃうっていうことは圧倒的にこの場の空間ではあるなっていう。
生西:やっぱり映画館というのは良くできた装置、っていうのはありますね。
七里:僕も昔、セーラムライトのCMを見て涙が出てきたことありますよ。(笑)
生西:それはどういう状況で見たんですか?
七里:助監督の頃、ずっと現場が続いて久々に映画館に入って、暗くなってまずセーラムライトのCMが流れて、涙が出たっていうのは嘘ですけど(場内笑)
生西:嘘なんだ。(笑)
七里:でも、映像が流れただけで、ああ、映画だ!と。
金子:感動したわけですね?
七里:でも、それが映画だとは思わないわけですよ。つまり、ブラックボックスで上映されればそれは映画だとか、ホワイトキューブで展示されれば美術だっていうことではないんじゃないか。
金子:作品の内部に何かがある、映画的な何かだと。
七里:だから、アンチイリュージョンとか、記録とかっていう話はすごく色んなことを示唆されたので本当はもっと続けたいんですけど、完全に時間がオーバーしてるので、どうしようかって状況ですね。僕が持ってきた映像を上映する時間もないし。
金子:生西さんが、あの
生西:昨日、河合(宏樹)さんが徹夜でやってくれたものを……
七里:それ見ましょう。
金子:それを見て終わりますか。
生西:暗くしてもらえますか?
金子:説明無くていいの? 僕はこれを映画としてみます。
(『火影に夢を見る』記録映像上映)

生西:これ、コマ落ちしちゃってましたけど、十一月にトランスアーツトーキョーっていうイベントが神田であったんですけど、東京電機大学の跡地の廃墟で二日間だけ公演をやって、その翌日に河合宏樹さんに撮影していただいた映像です。
金子:ラトゥールっていう科学人類学者がいて彼は今までの近代の人間の理性が、自然と人間の人工物のような人間社会とを分けるのはおかしいと言って、むしろその二元論の間に準モノみたいな、 カントが言っているようなモノ自体と人間の意識と、これは意識なのか本当にモノ自体があるのかっていう話に似ているんですけれども、そこには複雑な準モノが入り乱れている複雑なネットワークがあるっていう話をしましたが、あの、七里さんも、これは映画なのか美術なのかっていう二元論に陥らないで
七里:はい。(笑)
金子:個々の作品が準アートと準映画が満ち満ちていて、一人の作家の中でも準映画度が強くて、このシーンは準映画なんだけれども、ここからは準アートになるっていう、個別な複雑性まで入っていかないと、そういうシステムになっているんです。これは映画かこれは芸術かというのではなくて、そこで批評家が出てきてそれを一つ一つ読み取っていく作業が必要なのかなっていうことを思いました。
生西:金子さんの説教で終わるっていう(場内笑)。

七里:いやいや(笑)、説教されて終わりたくないので、パフォーマンスと記憶っていう話をするために……
生西:さっきの映像を見せることにしたんでしたよね
七里:ええ。で、僕も何か持ってきますということで一応用意していた映像を見せて、あとはみなさんに持ち帰ってもらうといういつものあれ、常套句で……
生西:ざっくりと。(笑)
七里:はい。(笑) で、僕のはちょっと前のものなんですが、黒田育世さんというダンサーを撮ったクラムボンというバンドのミュージック・ビデオがあって、僕はこれをPVとして撮ってはいなくて。で、それの未公開のものを流します。
(『Aspen(一本道篇)』上映)

生西:これって育世さんは音を聞きながら踊られてるんですよね?
七里:それがですねえ、全然音は聞こえてなかったらしくて、こっち(撮影側)も聞こえてなくて。ていうのは、二百ミリ(のレンズ)で百メートルくらい離れているところから撮影したんですけど、真ん中に置いたのが、持ってきたのがラジカセだったっていう(場内爆笑)全然お互いに聞こえずに
生西:それ、すごいですねえ!
七里:アイコンタクトで一発撮り
生西:でもトラック・バックするタイミングとかばっちり
七里:一本しかフィルムなかったんです。(笑)一回しか撮れない。
生西:ミュージック・ビデオとして元々撮ってないって、七里さん仰ってましたよね
七里:はい。映画だと思って撮ってました。
生西:やっぱり映画なんですね。
七里:ごめんなさい、うん。だから準……
金子:準映画
七里:だとか思っては撮らないですね、映画ですね。本当はこれを見せてから、PVの話を音楽が無かったらどうなのかとか、記録と作品性みたいな話をしようと思ってたんですけど、さすがにもう時間が、今まで最大に延びているので、これでもうおしまいにしようと思います。いろいろ僕はヒントをいただけたので個人的にはとても有意義でした。皆さんはどうだったでしょうか?

会場:アップリンク・ファクトリー

※各界の要約があります↓


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