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定年教師の独り言vol.5 「33年ぶりの手紙」

 「教師」という仕事を離れて早9ヶ月。先日、小6時に担任した女児から、思いがけず手紙をもらった。女児と言っても今は40代半ばのはずだ。卒業から33年が経っている。

 退職間際の教育界は、「目標管理制度」の中にあった。年度当初に数値目標を立て、上司や設置者に進捗を報告しつつ、最終的な達成状況で評価される。「仕事」の評価としては至極当然のことではあろうが、自分には違和感が拭えなかった。「人が育つ」というのは、関わったらすぐに結果が出る…という類のものではない。

 幼保や小学校は「種を蒔き水をやり…」の時期だと思っている。その後、中・高、社会などにバトンされ、様々な関わりを経てどこかで花開いてくれたら…。小学校教師は、そう願うくらいしかできない。花は咲いたのか、咲いたとしたら何色のどんな花なのか、知る由もない。それでいいのだ。

 しかし稀に、自分たちにも花の姿を見せてもらえることがある。卒業後に訪ねてきてくれたり便りをくれたり。便りは風が運んでくることもある。あの時の関わりが、こんな形で花ひらいたんだなぁ…。33年ぶりの手紙からも、確かに彼女が咲かせた花の姿が見えた。

 手紙には、彼女の卒業後の様子がしたためてあった。良いことばかりではなかったことも読み取れた。成長の過程で、悩みや苦しさも味わったのだろう。そして今では子どもに携わる仕事に就いていること、そこには自分との1年間が関わっていると書いてあった。サービスエピソードとしても、やはり嬉しい。

 手紙を届けてくれたのは、なんと我が娘だ。「職場の同姓の方がまさか娘さんとは…。」手紙によると「お父さんてもしかして」と声をかけてみた、とある。彼女も勇気が要ったことと思うが、娘が最も苦手とする場面でもある。「お父さん見てたら、学校の先生になりたいって思うわけないやん。」と言い放ち、大学で教職課程を履修しなかった娘だ。その子が、教師だった自分と教え子だった彼女との、空白の33年間を埋めるメッセンジャーとなってくれている。不思議な縁としか言いようがない。

 「人が育つ」のは、一朝一夕で結果が出るものではない。この思いはやっぱり変わらない。違和感に耐えられず、現代の教育界からドロップアウトしてしまった事で、教師であったことに胸を張れずにいる自分がいる。でも、33年ぶりに教え子からもらった手紙は、そんな自分に、昔の気持ちを思い出させてくれた。
「だから教師って辞められないんだよなぁ」


辞めちゃったけどね。

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