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あっこ先生の自分と仲良くなるWSか~ら~の~?その2

(この文章は、ブログ用に書いたものを一部リライトして転載したものです。ブログはこちらから→あっこ先生の自分と仲良くなるWSか~ら~の~?その2


あっこ先生の自分と仲良くなるWSか~ら~の~?その1


 あっこ先生の「自分と仲良くなるワークショップ」、現世のこの自分の体と仲良くなるために参加していたのに、ふとした会話からまた自分の過去世、それも直近の過去世に興味が出てしまい、また過去世の旅に出た私。

 直近といっても、ハワイ時代には既に車が出てきていたので、もしかするとハワイ時代が直近かもしれない。まあ、挟まるとしてたら、第二次世界大戦前後かなぁ、そうすると、結構重い記憶だろうなぁと思っていました(しかし、そうすると、私、100年も待たずに転生を繰り返してることになり、誠忙しい魂ということになる。そういうどうでもいいことが気になる)。

 実は正直なところ、私、はっきりとした記憶こそありませんでしたが、世界大戦の時代を肉体を持って生きていたとしたら、ヨーロッパだろうなと思っていました。思い出す過去世の8割がたがヨーロッパということもありますが、あの頃のヨーロッパに昔から非常に興味があったからです。それこそ、「過去世」というものに興味を覚えるより前から。大学時代には「アウシュビッツをこの目で見るのだ」と言って、女一人でポーランド行っちまうし、「アンネの日記」なんて中学生の頃何回読んだ?ってくらい繰り返し読みました。


 しかし、今回、「直近の前世を思い出したい」と思って挑んだら、意外なことに出てきた自分は、防空頭巾にもんぺ姿のおかっぱな少女でした。明らかに日本人でした。

 最初に出てきたシーンは、「その1」でも書いたように、洞穴のようなところで、中に入ろうか外に出ようか迷っている場面でした。私はいきなりの深刻そうなシーンに動揺して、「この過去世で一番楽しかったことは?」とちょっと場面を切り替えることに。

 すると、私は森の中のようなところにいました。隣には私よりも小さい女の子がいました。妹です。

もうお約束なので、もったいぶることなく種明かしをすると、当然のようにこの妹は現長女です。

どこまで一緒なんだか・・・(´▽`)

 妹と私は2人でかごを持っていました。森を抜けると、そこは畑でした。きゅうりだとかトマトだとか、2人で採りに来たようです。まるで「となりの〇トロ」。ちょうど、妹もメイちゃんのような髪型をしていました。

 2人はそれはそれは楽しそうに畑で収穫し、また楽しそうに来た道を戻っていきました。


 次のシーンは時がちょっと進んだようでした。家族でちゃぶ台を囲み、ご飯を食べていました。父と母とおばあちゃんもいました。どうも、家族5人暮らしだったようです。父は体が少し弱かったようで、兵隊には行っていなかったようでした。しかし、戦局がすでに悪かったのでしょうか。やや、大人の空気が重かったような覚えがあります。それでも、穏やかな食卓であることにかわりはなく、私は妹とニコニコご飯を食べていました。

 この時点では、まだ私は、自分が日本のどこにいたのか、分かっていませんでした。


 事態が大幅に動いたのは、次に出てきたシーンでした。私たち女家族4人は、防空頭巾をかぶり、リュックに荷物を詰めて背負い、家の前に立っていました。父はいませんでした。なぜいなかったのか、兵隊にやはり取られたのか、仕事に行っていたのかはいまだに定かではありません。とにかく、女4人で「もう家にはいられない。逃げよう」となったのです。

 おばあちゃんは足が悪かったので、母が手を引いていくことになりました。幼い妹の手を任されたのは、私でした。ちょうど、私が今の長女(6歳)と、妹が長男坊(3歳)と同じくらいの年でした。

 しばらくは4人で一緒に歩いていましたが、横からすごい爆風と悲鳴が上がり、砂ぼこりが舞い上がりました。私はとっさに妹の手を引いて爆風と反対側に逃げました。走って走って逃げて、ふと振り返ると、もうそこには母とおばあちゃんの姿はありませんでした。

 私は妹と2人で森の方へ逃げました。とにかく「逃げる」ことしか頭にありませんでした。しかし、その時、

 妹が木の根っこに足を取られて転び、

 私は妹の手を放してしまったのです。

 そして、「あっ!」と思って振り返ったその瞬間・・・

 同じように逃げ込んできた兵隊さんが妹でつまづいてしまい、


殺気だっていたその人は、「なにしやがる、てめー!」と言って、妹を掴み上げ、銃剣のようなもので殴っていったのです・・・


 止める間はありませんでした。私はしばらく・・・いや、しばらくと言っても数秒だったでしょう・・・呆然としてしまい、身動きが取れませんでした。恐怖で体が動かなかったのです。恐る恐る妹に近づき、その体に触れましたが、息絶えていました。いいえ、まだ自分も幼かったので、完全に絶命していたかは判断できていなかったと思いますが、とにかく、もう、呼びかけても動かなかったのです。

 私は「ごめんね」と言って、妹を抱きしめ、謝りました。しかし、再び爆撃の音が近くで聞こえました。「ここにいては、私まで死んでしまう」―そう思って、私は妹に別れを告げ、再び走り始めました。

 そして、出てきたシーンが、最初にもあった、洞穴でした。そこの入り口近くには、人の腕が一つ、無造作に転がっていました。その腕の持ち主が、洞穴の中にいたのか、外にいたのか、わかりません。ただ、洞穴の奥の方で、大人が大声で揉めているのが聞こえました。とても子供が一人でそれ以上中に入って助けを求められる雰囲気ではありませんでした。下手したら殺されかねない。妹のように。

 しかし、外では爆撃の音が鳴り響いていました。外にいても、助かる見込みは少ない。

 私は迷いました。中にいくか、外に出るか・・・

 ふと、またあの腕を見ました。

 腕は、「これ以上中に入ってはいけない」と止めてくれているようでした。

 私は、外に飛び出しました。

 過去世の私は再び走り始めました。走る自分を俯瞰しながら、現世の私は「これは、私が社会で習った『空襲』とは雰囲気が全く違う。本土じゃない。これが・・・これが噂に聞く地上戦なのか?」と考えました。「だとしたら、これは沖縄?じゃあ、あの洞穴はガマ?そうか、これが沖縄など地上戦だとしたら、あのつまづいただけで幼子を殴り殺してしまうほど殺気立った兵隊も説明がつく」などと冷静に考えていたその時!

 過去世の私のすぐ脇ですごい爆風が起こり、私の目の前は真っ白になりました。

 記憶の再生はそこでストップしました。どうやら、過去世の私はそれで絶命したようでした。


 私はこの過去世を、夜寝る時に布団の中で思い出しました。そして、そのまま寝て、起きた朝、私は半信半疑でした。

あれは本当に沖縄だったのか?

いや、もしかしたら、グアムとか、そっちのほうかもしれないぞ。

っていうか、なんでこんな過去世を思い出したんだろう(←それは自分が「直近の前世で」とオーダーしたからだ)

私は「今世の自分の出生や、幼少期に一番影響している過去世」を知りたかったのに、間違えたなぁ。

だって、この過去世と自分の幼少期、全く結びつかないもの。

私は一体、このやるせない過去世から、何を学べばいいの?

 私はそのまま何事もなかったかのように、また今世の日常生活を始めました。その日は土曜日でした。子どもにせがまれるがまま、イ〇ンに行き、ゲームコーナーで遊び、長女が「お勉強に使いたいから」と言うので1個だけすみっ〇ぐらしのスタンプを買ってあげ、ついでに古くなった敷布団パッドを購入し、みんなで「夕飯はハヤシライスにしよう」と食料を買って帰ってきました。とても何気なく、とても平和な一日でした。

 そして、家に帰ってきて、座ってパソコンを立ち上げ、ふと「ヤ〇ーニュース」のヘッドラインを見た瞬間、私は、あの過去世が、「沖縄だった」ということを確信しました。

その日は6月23日、沖縄慰霊の日でした。

 「呼ばれたんだなぁ・・・」―私は心の中でつぶやきました。

つづく・・・


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