壊れ物

 子どもが嫌い。幼児が嫌い。言葉が通じなくて、「守ってやらなければならない」という存在が嫌い。年長〜小学生中学年くらいまでしか相手にしたくない。電車の中に子どもがいると逃げ出したくなるし、ベビーカーの中に収まっている赤子の顔が歪むだけで眩暈がする。私は子どもという存在が大嫌いだ。

 先日、久しぶりに帰省して家族に会った。両親とも特に変わりはなさそうで、繰り返し同じことしか言わなかった。兄と兄嫁も変わりはない。元気そうで幸せそうである。ただ、変わりはないというのは有事ではないということであって、「何の変化も無かった」という意味ではない。ちゃんと「変化」はあった。それは、彼らに娘、つまり私の姪が産まれたことだ。父母は祖父母になり、兄と兄嫁は父母になった。私は突然叔母になった。
 私の両親が孫を抱きながら、孫に向かって「ほら、叔母さんですよ」と言う。私に抱かせようとする腕から、私は叫んで逃げ出したくなる気持ちを抑えて、適当に愛想笑いをして逃げた。危ない、理性が働いてよかった。もし本能が動いていたら、感情優位でいたら、きっと私は受け取った瞬間に姪を床に叩きつけていた。

 私の子ども嫌いは今に始まった事ではない。小学校高学年の時にはすでに、世の中で言う「かわいい赤ちゃん」が苦手だった。知人友人は皆「自分の子どもはかわいい」だの「大人になったら変わるよ」だの言っていたが、あれから十数年経つが何も変わっていないし、むしろ今の方が拗らせている。だって、まだ昔の私は、視界に彼らを入れるだけで体調を崩しかけることなんてなかったはずだ。
 子どもは簡単に壊せるから嫌いだ。私の人差し指すら満足に握れないくせに。綿を詰めたような頬とか、小さいくせに一丁前に動く四肢とか、全部嫌いだ。ちょっと目を離しただけで死んでしまうくせに。

 明確に彼らに対する嫌悪感の正体は分からないが、とにかく私は社会的に守られる存在である彼らが嫌いである。薄氷のような、風船のような、張り詰めた絹糸のような。ああ、二度と触れたくない。私は物を壊すのは得意なのだ。

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