ぼくと彼女は源氏物語展へ行く

 ぼくは大河ドラマ『光る君へ』を見ている。ぼくは子どもの頃から大河ドラマを毎年見ている……という人間ではないのだが、中学生の時にハマっていた『真田丸』の三谷幸喜が再び脚本を書くということで一昨年からまた大河ドラマを見るようになって、『鎌倉殿の13人』『どうする家康』『光る君へ』と続けて視聴してしまっているのである。

 いまのところ、ぼくはこの3作品の中で『光る君へ』に最もハマっている。というのも、ぼくは哲学科ではあるが一応文学部に在籍していて、1年生の時に取った国文学の授業を通じて平安時代には馴染みがあったりするんですよね。ただ、ぼくが馴染みがあるのは平安時代の摂関政治絡みでして、自慢じゃないが『源氏物語』には全然詳しくない。高校の古文では清少納言の『枕草子』のほうが好きだったし。高校時代にブックオフで田辺聖子の『源氏がたり』という解説本(全3巻)を買ったけど、第1巻の途中で挫折しちゃったしなあ。ぼくは『源氏物語』に対して一種のコンプレックスがあったりするのである。

 そんな折、ぼくは由梨(他大学の彼女)から『源氏物語 THE TALE OF GENJI』展のことを教えられた。当然、ぼくが『光る君へ』にハマっていることを知っているがゆえのご案内である。由梨の過保護さに内心ドン引きしつつも、「この展覧会に来れば『源氏物語』全54巻の内容が分かる!」的な謳い文句に惹かれ、ぼくは由梨と一緒に東京富士美術館『源氏物語 THE TALE OF GENJI』へ行くことにした。っていうか、ぼくには最初からデートの拒否権なんてないんですけどね……

 春休み某日。JR京浜東北線蒲田駅のホーム(大宮方面)で待ち合わせ。ぼくが今度インカレの放送サークルでやる番組発表会について、ぼくは由梨に熱弁をふるう。「今度はこういう音声ドラマを作ろうと思う」とか「主演は木村(二学年下の後輩)にしようと思うが不安もある」とかいう話だ。由梨も放送サークル界隈の人間だが、この前の番組発表会で現役を引退したし、そもそもぼくの作品のファンってわけではないので、ぼくの話を聞きながら途中で飽き出していた。それより「就活がどうの」「社会人になったらどうの」という話をしようとしてくる。まあ、サークル内の人間関係の話題には興味があるようですがね。

 神田駅でJR中央線に乗り換え。電車に揺られること1時間。ぼくが由梨に『光る君へ』のあらすじを伝えていると(由梨は『光る君へ』をたまにしか見ていないので)、八王子駅に着いた。人生初の八王子駅だ。バス乗り場が多くて分かりにくすぎる。由梨が乗り場を事前に調べてくれていたからよかったものの、ぼく一人で行っていたら確実に迷子になってたぞ!

 八王子駅初心者には分かりにくい階段を降り、バス乗り場で路線バスが来るのを待つ。すぐにバスが来たのでふつうにそれに乗ろうとしたら、由梨から「これじゃないよ!」とストップをかけられた。意味が分からなかったので「どういうこと?」と聞いたら、どうやら路線バスでは、同じ乗り場に別の行き先のバスが来ることがあるらしい。ぼくらは東京富士美術館へ行くためには「創価大正門東京富士美術館行き」と書かれたバスに乗らないといけないらしいのだ。難しすぎるだろ、路線バス。なんで乗り場が同じなのに行き先が別なんだよ。ぼくは小さい頃から現在に至るまでほとんど路線バスを利用してこなかったから知らなかったが、路線バスにはこういう怖ろしいトラップが仕掛けられているから要注意だ。

 ここはもう由梨に身を委ねます。ぼくと違って由梨は日常的にバスを使っているのでね。しばらく待つと「創価大正門東京富士美術館行き」が来たので、由梨に振り付けされながらSuicaをピッとやる。空いているので二人で並んで座ります。バスの車内から眺める八王子の景色は非日常感があって、なんだか遠いところへ旅行に来ている感じがした。閉所恐怖症気味の人間としてはトンネルゾーンの時間が少し怖かったけど、由梨と会話していたらまあまあ気が紛れた。このひとは強運の持ち主だしね。

 「創価大正門東京富士美術館」のバス停に到着。由梨に先導されて東京富士美術館へ向かう。さっき「由梨の過保護さにドン引き」的なことを書いたが、それはぼくが頼りなさすぎるせいかもしれない。こう見えてぼくはインカレの放送サークルでは責任者をやっているのだがなあ。みんなを引っ張っていっているはずなんだがなあ。ぼくは「見知らぬ土地」「見知らぬ人間」「見知らぬ体験」にはビビって怖気づく人間なのだ。

 由梨に事前にオンラインチケットを購入してもらっていたおかげで800円で入場できた。ちゃんとした展覧会のはずなのにこの安さはありがたい。100円入れないといけないけどあとで100円返ってくるロッカーに荷物を預け、エスカレーターを上がって展示室へ向かいます。

 日の当たる廊下を通って展示室のフロアへ。さっそく展示室へ入る。第一部は平安時代の美術品や工芸品を紹介するコーナーだ。外からは分からなかったが、めちゃくちゃ大勢のひとが来ている。しかも、みなさん一つひとつの展示をしっかりじっくり見ているので、列が進むペースが遅い。……じゃあしょうがない、列に身を任せるか。ぼくと由梨は列の中に身を埋めることにした。なお、『源氏物語 THE TALE OF GENJI』展は写真撮影禁止だったため写真はありません。

 第一部の部屋が終わり、第二部の部屋へ。「あらすじでたどる『源氏物語』の絵画」と題されたコーナーだ。ここでは『源氏物語』全54巻のあらすじパネルと、大昔の「源氏絵」(『源氏物語』の挿絵)がセットで展示されている。各巻につき、あらすじパネル1枚・「源氏絵」2枚って感じ。このコーナーを最初から最後まで鑑賞すれば、『源氏物語』全54巻の内容を絵画とともにマスターできるってわけだ。

 まさにぼくにうってつけのコーナーだったが、はっきり言って、めちゃくちゃ疲れた。だって、「パネルに書かれたあらすじを読んで→その手前に置かれた絵画を見て……」という作業を54回やらなきゃいけないんだもの。ボリュームエグいって。しかもその「パネルに書かれたあらすじ」は結構丁寧に記されていて(各500字くらい)、文字が小さめでそれなりに硬めの文章だったから、もう目が疲れるのなんの。ぼくはここまで裸眼で生きてきたけど、やっぱり眼鏡を掛けなきゃいけないのかなと反省しましたよ。

 ただ、おかげさまで『源氏物語』のあらすじは理解することができた。初めて知ったけど、『源氏物語』は第1〜41巻は光源氏が主人公で、第42~54巻はその息子・薫(かおる)が主人公なんですね。光源氏が出家して物語から退場しても、『源氏物語』は主人公を変えて続いていく。『源氏物語』といえばあくまでも「光源氏の物語」というイメージが強かったので(というかそのイメージしかなかったので)、これはぼくには新鮮な発見だった。光源氏退場後も物語を続けたということは、作者の紫式部としてはこの作品に「光源氏の生涯を描く」以上の狙いがあったんだろうな。

 ぼくとしては、光源氏が主人公の前半8/10よりも、薫が主人公の後半2/10のほうに興味を持った。気を衒って言っているわけではないよ。本心からそう思ったのだ。第1〜41巻が光源氏の生まれてから出家するまでを描いているのに対し、第42〜54巻は薫の14歳から28歳までを描いているにすぎない。前者は異常な色狂い貴族の一生を見せる「大河ドラマ」という感じだが、後者はふつうの青年の「恋愛ドラマ」って感じだ。この違いは、シナリオ的には「縦の物語」と「横の物語」の違いといえるだろう。

 どうしてぼくは「光源氏パート」よりも「薫パート」のほうに心惹かれたのか。その場では自己分析できず、展覧会に行ったあと何日間かぼんやり考えたのだが、たぶん、ぼくは「主人公のキャラが濃くない作品」が好きってことなのだろう。実際、ぼくが作ってきた過去作を振り返ってみてもそうである。どこにでもいそうな平凡な青年がひょんなことから事件に巻き込まれていく……的な物語がほとんどだ。

 ぼくが「平凡な青年」が主人公の脚本ばかり書いてきたのは、「お客さんが感情移入しやすいように」とか「リアリティを重視したいので」とかいう理由からではなく、単純にぼくがそういう物語を書きたくて、ぼく自身がそういう作品を観たいからだ。ぼくは「平凡な青年(顔は結構イケメン)」がトラブルに巻き込まれる物語を観たい。例えばアルフレッド・ヒッチコック監督の映画のような。それで、ぼくはこれまで「平凡な青年」が主人公の音声ドラマばかりを作って番組発表会で上演してきた。自分で意識していたわけではないが、これはぼくがゲイであることとも関係あるんだろう。じゃなきゃ、「顔は結構イケメン」なんて条件を設ける必要はないし。ちなみに、ぼくの作品のほぼすべてで主演を務めてきた岩下(一学年下の後輩)の顔立ちはというと……まあ、決して悪くはないと思います。

 『源氏物語 THE TALE OF GENJI』展はまだまだ続く。第三部の部屋では十二単を再現したものなどが展示され、第四部の部屋では『源氏物語』をモチーフにした現代アートなどが展示されていた。はっきり言って、「第一部・第二部」と「第三部」と「第四部」は別々の展覧会としてやってもよかったんじゃないか、と思わされるほどのボリュームである。これが大学生900円(オンラインチケットやLINE割引を利用すると800円)。コスパよすぎ。ただ、気力・体力を要しすぎ。美術展と展覧会と博覧会を同じ日に3つはしごしたぐらいには疲れた。

 売店では、2冊セットの図録が販売されていた。さっき展示室で見たあらすじパネルの文章+「源氏絵」も網羅されていて、図録っていうか、もはや文学と美術の専門書である。『源氏物語』の内容を学びたくてこの展覧会へやってきた人間としては買うしかない。さっき展示室で時間をかけて文章を読み込んだとはいえ、翌日になれば内容忘れちゃうだろうし。ただ、この図録は3500円もする。ぼくが購入に悩んでいると、由梨が「割り勘で買おう」と提案してきたので、ぼくはご厚意に甘えることにした(感謝)。ぼくはその後3週間かけて全54巻分のあらすじをなんとか読み通し、現在、この図録は由梨の手元に渡っている。

 『源氏物語 THE TALE OF GENJI』展を出たあと、ぼくらは同じ階で開かれていた常設展にも行った。もはやぼくの集中力は限界を超えていたんですけどね。なお、ここは写真撮影OK。アンディ・ウォーホルとかキース・ヘリングとかサルバドール・ダリとかの作品もあってワクワクした。しかし、その感想を書き始めるとこのnoteのボリュームもとんでもないことになるので、今回は割愛させていただきます……

キース・ヘリング「人物のあるコンポジション」
サルバドール・ダリ「ルース・ラックマンの肖像」

 100円入れなきゃいけないけどあとで100円返ってくるロッカーから荷物を取り出し、東京富士美術館を出る。その時に『ロバート・キャパ展』のチラシを見つけてぼくが「キャパ! ロバート・キャパ!」と興奮したため、ぼくらは東京富士美術館の次回展覧会『ロバート・キャパ展』にも行くことになったのですが、それはまた別の話です(だったら最初から触れるな!)。

 そんなわけで、今回の『源氏物語 THE TALE OF GENJI』展を通じて、ぼくは『源氏物語』のあらすじを学び、『源氏物語』には「光源氏パート」と「薫パート」があることを学び、ぼくは「平凡な青年」が主人公の物語が好きな人間なんだなと自覚した。ぼくは他人の作品をリメイクする暇があったら自分の新作を書きたいと思うタイプの劇作家だが、『源氏物語』の「薫パート」についてはぼくのセンスで現代語訳してみようかな、なんて思っちゃいましたよ。そうしたらみなさん、少しは読んでくれます?

 ただ、今回の展覧会を通じての最大の学びは、もしかしたら「展覧会はまともに見ると疲れる」ということかもしれないな。解説パネルがびっしり設置されてある展覧会に行って、そこに書かれてある文章を一言一句しっかり読み込むと、めちゃくちゃ体力が消費されるもんなんですね。ぼくは由梨と付き合うようになってから多くの展覧会に行っているが、ここまで集中力を奪われた展覧会は初めてでしたよ。おかげで、東京富士美術館を出たあと、八王子駅近くの「シャーロックホームズ」というお店で食べたお昼ご飯の美味しかったこと! ぼくはオムライスだけでは物足りなくて、チーズフライまで頼んでしまいました。

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