ぼくは柳家喬太郎を聴く

 ぼくは柳家喬太郎を聴く。もはや遠い昔の出来事のような気もするが、日本では今年も4月下旬から5月上旬にかけて大型連休が存在した。通称、ゴールデンウィーク。その最中の某日、ぼくは楢崎(地元の友人)と一緒に浅草演芸ホールへ行って、柳家喬太郎師匠の落語を見に行ってきた。

 ぼくらが行ったのは金曜日。ぼくは本来ならコンビニ夜勤のバイトが入っている曜日だが、バイト先の先輩に頼まれてシフトを交代していたため、この日は終日オフだった。つまり、この週のぼくは「金・土・日」が3連休だったわけである。まさに大型連休。しかも由梨(毎週日曜に会わなければいけない相手)は家族旅行に行っていて首都圏にいないから、ぼくにとっては「完全3連休」である。この大いなる自由を無駄に過ごしてはならぬ!……ということで、5月上旬の金曜日、ぼくは楢崎を誘って、浅草演芸ホールの夜の部へ行ってきたのだ。

 ぼくは子どもの頃から落語が好きだった……というような人間ではない。小中学生の頃から大田区立図書館をよく利用していたので、図書館のCDコーナーに置いてあった昭和の名人のCDを借りて聴いてみたことがないわけではなかったが、正直ピンと来なかった。「すげえ!」とか「おもしれえ!」といった気持ちにはならず、「なるほどね」みたいな感じ。ぼくはナイツの漫才を面白いとは感じても、五代目柳家小さんの古典落語には心ときめかなかったのである。

 きっかけは2年前の秋だ。ぼくは大学の放送研究会で渉外をやっていた。他大学の放送研究会が学園祭の中で番組発表会を開くというので、ぼくと藤沢(一個下の後輩)はその学園祭へ行った。当時はまだ感染症対策のため入場チケットを事前予約する必要があったのを覚えている。その学園祭での番組発表会は「プチ番発」とでも呼ぶべき非常に小規模なもので、あっという間に終わってしまった。なんとなく物足りなさを感じたぼくと藤沢は、「せっかくだから」と他のサークルのブースも回ってみることにした。そのうちの一つこそが、落語研究会(落研)の学園祭寄席だったのである。

 ぶっちゃけ、「どうせ落研なんて妙に粋がってる学生の集まりだろ? ま、どんなもんか試しに見てやるか」(暴言)ぐらいの気持ちで寄ったのだが、実際にはこの日、その学園祭寄席で見た落語はめちゃくちゃ面白かった。ぼくが特に面白いと感じたのは、部員さんそれぞれが落語に現代的な感性のオリジナルのギャグを入れていたことだ。ぼくはそれまで落語というのは「決まった台本と決まった演出をいかに上手く演じるか」を競う芸能だと思っていたので、古典落語も台本レベルからアレンジして構わないというのは新鮮だった。古典落語にも「創作」の要素があるって面白い。落語って実は演者の「自我」を発揮できる芸能だったんだな。創作者の端くれとして、ぼくは落語に急に興味を持つようになった。

 それからぼくはまず、YouTubeで落語を聴いたり(違法アップロード含む)、大田区立図書館で落語のCDを借りるようになった。さっき書いたように子どもの頃にも落語のCDを借りて聴いたことはあったが、こうやって「興味がある」という気持ちで改めてCDコーナーを眺めてみると、以前とは違った景色が見えてきた。落語のCDって色んな種類があったんだな。単純に数年経って図書館の品揃えがよくなっただけかもしれないけど。

 ぼくが図書館のCDを借りて聴く中でハマった落語家は、柳家喬太郎、桃月庵白酒、三遊亭兼好の3人だ。特に喬太郎師匠の落語は「面白い」だけじゃなく「凄まじい」と感じる。『錦木検校』は緊張感がエグくて引き込まれるし、『孫、帰る』の意外な筋運びにはハッとするし、横浜に馴染みがある身としては『純情日記横浜篇』も胸を打つ。江戸川乱歩の小説を落語化した『赤いへや』と『二廃人』なんて、乱歩の原作以上に不気味で怖ろしいと思う(ぼくは乱歩を好きだからこそそう言う)。

 図書館のCDで落語を聴くようになったあと、ぼくは一人で落語会に行ったり、寄席に行ったりするようにもなった。落語会は普通の演劇も上演される劇場で開催されることが多いから問題ないけど、寄席はハードルが高い。初めて行った時はさすがに緊張した。ぼくが初めて行った寄席は上野の鈴本演芸場だ。こんなビルの中で落語やってるのかよ……と思いつつ、おそるおそる入場。受付のスタッフさんに学生証を見せ、精算機に現金を入れる。といっても、この精算機からチケットが発券されるわけでなく、なぜかチケットはスタッフさんから手渡しされる。中途半端なアナログみがエモい。

 去年の6月、ぼくは鈴本演芸場で喬太郎師匠の落語を初めて生で見た。念願の初・生・喬太郎である。その時の喬太郎師匠の演目は『普段の袴』という古典落語だった。それから、7月の「オモ(重)クラ(暗)い喬太郎」というタイトルの公演にも行った。その時の喬太郎師匠の演目は『棄て犬』という新作落語だった。本当はそれぞれの感想を書きたいところだが、ここでそれを書き始めると長文がひどくなる予感しかしないので、涙を呑んで割愛することにする。

 それ以来、ぼくが喬太郎師匠の落語を生で見る機会はなかった。それ以降も鈴本演芸場には何度か行ったし(由梨を連れて行った時含む)、藤沢を連れて学校帰りに落語会に行ったり、楢崎を誘って新宿末廣亭に行ったりもしたが、それらは喬太郎師匠の出るやつではなかったのである。まあ、ぼくは「喬太郎の追っかけ」ってわけじゃないしな。「喬太郎が出る会には必ず行く!」という意識はない。喬太郎師匠のことは好きだけど……ぼくは猪突猛進タイプじゃないのです。

 今年のゴールデンウィーク後半の金曜日。JR蒲田駅の中央改札前で楢崎と待ち合わせ。ぼくらは幼馴染みなので、「久しぶり!」「元気だった?」などといった礼儀正しい挨拶をいちいち交わさない。「おっ」程度で挨拶を済ます。親しき仲にして礼儀なしである。JR京浜東北線(大宮方面)に乗車し、近況報告が混じった雑談を交わしながら、JR田町駅で都営浅草線三田駅に乗り換え。せっかくのゴールデンウィーク(しかもぼくにとってはバイトもデートも入っていない完全3連休)なので、浅草駅で降りずに押上駅まで行って、東京スカイツリータウンに寄ってから隅田川を渡り、浅草で遅い昼ご飯を食べてから浅草演芸ホールへ行こうということになった。

 ぼくは浅草へは今年のお正月に由梨と一緒に行ったが、楢崎は小学生の時に行って以来ということだった。東京スカイツリーには一度も行ったことがないという。ぼくが「Instagramで中村虎之介さんをフォローしている」という話をしていると、都営浅草線押上駅に到着。駅から繋がっているエスカレーターに乗って東京スカイツリータウンに入場したが、ぼくはエスカレーターに乗った時点でこの日の混雑度を察知した。「めちゃ混み」である。お正月に行った時よりも混んでいる。人間の密集度がエグくて、ゆっくりでしか前に進めない。さすがはゴールデンウィーク後半である。

 ひい、スカイツリータウンの中は人間どもでいっぱいだあ。館内のフロアガイドを見た楢崎が「水族館があるんだね。水族館なんてもう何年も行ってないな」と言ってきた時、ぼくは「ぼくは彼女と春休みに行ったよ」と言いかけたが、自慢みたいに受け取られかねないのでやめておいた。4階の期間限定ショップ「ドラえもん未来デパート」へ寄ったり(楢崎は大学生になったいまでも『ドラえもん』を観ているという)、テレビ局公式ショップへ寄ったりして、時計を見たらもう午後3時半! おそらくスカイツリータウン内の混雑により移動に時間を取られてしまったのだろう。普段なら30秒で行ける距離が、人混みのせいで3分以上を要したりするのだ。

 「ヤバい! 早くここを出よう!」と楢崎をけしかけ、人混みをかき分けて東京スカイツリータウンを出る。浅草演芸ホール夜の部の開演時間が4時40分だから、これじゃあ浅草へ行ってもご飯を食べる時間がないぞ。押上と浅草を結ぶ「すみだリバーウォーク」(橋)へ急ぐ。楢崎が「お店でご飯を食べるのはあきらめて、コンビニで何か買って食べることにしようよ」と言ってきたので、ぼくもその助言に従うことにした。まあ、この調子だと浅草でも人混みのせいで移動に時間を取られそうだしな……

 案の定、浅草も激混みである。伝法院通りの人混みをかき分けて進み、浅草演芸ホールの裏にあるセブン-イレブンで軽食を買って(ぼくはおにぎりとラングドシャホワイトチョコと水を買った)、浅草演芸ホールへ入場。扉を開けると、まだ昼の部トリの林家木久扇師匠の出番中だった(※浅草演芸ホールは昼の部と夜の部の入れ替えがありません)。

 うわあ、とんでもなく混んでいる。1階席の後ろに立ち、「立川談志さんの選挙運動はめちゃくちゃでした」「林家三平さんが応援演説に来たけど、自分の名前を連呼するだけだったから『林家三平』という票が32票入っちゃったんです」みたいなネタを聴く。場内大爆笑のうちに昼の部終演。しかし、昼の部が終わったのにお客さんはせいぜい半分ぐらいしか帰らず、残りの半分の客は「よーし、夜の部に臨むぞ!」的な空気を漂わせていた。ぼくら同様、喬太郎師匠がお目当てということか。

 夜の部開演。まずは金原亭駒介さんという前座さんが舞台に上がる。この日やったのはご隠居さんと八五郎が会話する『小町』という古典落語で、駒介さんはまだ若いんだろうけど落ち着いていて安定感があった。……みたいな感想を書き始めるとキリがない(し、ぼくはここでそういう記録を残したいわけじゃない)ので、トリの喬太郎師匠の出番にいきなりワープすることにします。ただ、楢崎が三遊亭天どん師匠の『手足』という新作落語にウケていたことだけは記録しておく。

 トリの喬太郎師匠の出番が近付いてきてから、ただでさえほぼ満席だった場内がさらに混み始め、立ち見のお客さんも出てきた。後から知ったんだけど、浅草演芸ホールでは夜の部の仲入り(休憩)割引っていうのがデフォであるんですね。つまり、夜の部の後半からだと割引で入場できる。きっと喬太郎ファンのひとたちはこの割引制度を活用して、寄席での喬太郎師匠の高座を連日追っかけているのだろう。

 「喬太郎」と書かれためくりがめくられ、場内割れんばかりの拍手と大歓声の中、喬太郎師匠が現れる。喬太郎師匠が「大勢さまのご来場で、二階席にもたくさん入っていただいて……」とお礼を述べていると、前方の客が喬太郎師匠に向かって「上野から来たよー!」と叫んだ。寄席は客と芸人が会話のキャッチボールを交わす場ではないので、場内はちょっと不穏な空気に包まれる。しかも、「北海道から来ました」とか「ブラジルから来ました」とかならまだしも「上野から来たよー!」って。たぶん、上野の鈴本演芸場(喬太郎師匠はこの日そっちの夜の部にも掛け持ちで出演していた)を抜け出してあなたを追っかけてきたよ、っていう意味なんだろうけど。

 しかし、喬太郎師匠は軽い調子で「……えっ、ちょっと待って! どこから来たって?」とその客に尋ねる。客が「上野!」と再び叫ぶと、喬太郎師匠は「……近(ちけ)えじゃん」とつぶやき、会場からは爆笑が起きた。すると、今度は別の客が「わたしは麹町から来ました!」と声を上げた。喬太郎師匠はこの日の昼間、麹町の文藝春秋本社で落語会に出演していたのである(忙しすぎだろ!)。喬太郎師匠はその声にも「麹町?……そっちも近(ちけ)えじゃん」と反応すると、「おれは池袋っ!」とおどけた調子で続けて場内を沸かせた(※喬太郎師匠は池袋在住)。

 この日の「上野から来たよー!」「麹町から来ました!」という掛け声は「わたしは遠方からわざわざ東京の寄席にやって来ました」という意味ではなく、「上野の鈴本演芸場からあなたを追っかけて来た」「麹町の落語会からあなたを追っかけて来た」というオタクアピールにすぎない。もちろん喬太郎師匠はそのことを誰よりも分かっている。しかし、客席は喬太郎師匠の今日のスケジュールを知っているひとばかりではないし(この日は観光客も多い祝日だったのだからなおさら)、だからといって観客に「いや、実は先ほどまで上野の鈴本演芸場に出てましてね……昼間は麹町で落語会で……」みたいな解説をしても場がしらけるだけだ。だから喬太郎師匠は、その「上野から来たよー!」「麹町から来ました!」という掛け声をわざと出身地自己紹介的な文脈で処理し、「おれは池袋っ!」と返して笑いを取ったのだ。喬太郎師匠ってやっぱりすごいよなあ。ガチで百戦錬磨。神級のプロフェッショナル。

 ただ、ぼくはこの日「上野から来たよー!」「麹町から来ました!」と掛け声をかけた客をことさら責める気にはならない。ぼくの神経では理解できないけど、きっと推しを続けざまに見てテンション狂っちゃったんだろう。それに、寄席ってそういう空間だしな。ぼくは去年、某寄席で三遊亭白鳥師匠が落語をやっている最中にお客さんから「じゃあ、わたしは帰るから」と告げられている場面に遭遇したことがある。公演中に客が落語家に話しかけるとかフリーダムすぎるだろ。ぼくはそれを「良いことだ」と言うつもりはないが、まあ、寄席ってのはそういう異常事態が起きても炎上しない緩い空間だと思っている。あの時の白鳥師匠の返し(その他大勢の観客に対するリアクション)も見事だったな。あっ、それで思い出したけど、ぼくは白鳥師匠も好きです。去年、白鳥師匠のCDを自腹を切って買いました。

 話をゴールデンウィークの浅草演芸ホールに戻そう。この日の喬太郎師匠の演目は『抜け雀』という古典落語だった。江戸時代、小田原の宿に泊まった絵師(実は一文無し)が、宿賃を払う代わりに衝立に雀の絵を描く。絵に描かれた雀は朝になると衝立から飛び出し……というファンタジックなお話だ。ぼくもファンタジー系のドラマの脚本を書いたことがあるが、こういうのって「日常」と「幻想」の絡ませ方が難しいんだよな。喬太郎師匠の『抜け雀』のすごいところは、良い意味で「日常」と「幻想」の境目がないところだ。「日常」の中に「幻想」が溶け込んでいるというか、「日常」と「幻想」が地続きになっている。

 夜の部終演。喬太郎師匠の『抜け雀』に大満足して帰り道、都営浅草線に乗りながら、ぼくと楢崎は喬太郎師匠の高座について語り合った。喬太郎師匠はシリアスな空気を作るのも上手いし、コミカルな空気を作るのも上手いが、何よりその切り替えを一瞬にしてできてしまうのがすごい。こういうのを「緊張の緩和」って言うのだろうか。いや、でも、その一言で片付けるのはなんだか違う気がする。なんていうか、もっとこう……

 ぼくは楢崎に「どっか寄って食べてく?」と誘ったが、「家で用意してあると思うからいい」と断られたので(楢崎家はまじめな家庭である)、ぼくもそのまま帰宅した。楢崎にLINEでストレート松浦さん(この日の寄席に出ていたジャグリングの芸人さん)の宣材写真を送り、「なんでストレート松浦の写真を送ってくるんだ!」というツッコミの一文が返ってきたのを確認したのち、ぼくは眠りに落ちる。東京スカイツリーの大混雑の件もあったりして、今日はなんだかんだで疲れました。

 ぼくは柳家喬太郎を聴く。ぼくがここで「柳家喬太郎は当代随一の落語家である」と断言したところで、ムキになって反発するひとはおそらくいないだろう。喬太郎師匠はそれぐらいの人気と地位はとっくのとうに確立している大看板である。でも、ぼくはそんな世間の評価には関係なく喬太郎師匠の落語が好きだ。その「好き」の理由を言語化してまとめれば柳家喬太郎論が出来上がるのだと思うが、いまのぼくはあえてそれには取り組まないでおきたい。なにしろ、ぼくは評論家である以前に創作者なのだ。喬太郎落語の魅力を自分なりに盗んで脚本と演出に活かすのが、いまのぼくに与えられたミッションである。ぼくが柳家喬太郎を評論するのは劇作家から引退したあとのお楽しみとしよう(決して逃げているわけじゃないぞ!)。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?