ぼくは文庫本の凹みを気にする

 ぼくは文庫本の凹みを気にする。ぼくは世間一般で言う「神経質」な人間なんだと思う。ちょっとしたことが気になる。気になる出来事に遭遇した時に気になるだけじゃなくて、その後もしばらく(あるいはずっと)気になり続ける。ずっとそのことにとらわれる。もしも心療内科で診てもらったらきっと何らかの病名を付けられるに違いない。

 この前、近所の書店(具体的には有隣堂蒲田店)で文庫本を取り寄せてもらった。トルストイ『アンナ・カレーニナ』岩波文庫版の上巻である。どうしてこの本を読もうと思ったのかというと、先日観た映画でこの本の冒頭の一文(「幸せな家庭はどれも似たり寄ったりだが、不幸せな家庭はどれもそれぞれに不幸せである」)が紹介されていて興味を持ったからだ。

 調べてみたら複数の出版社から日本語訳が出ていた。各社の訳を比較しているサイトで読み比べた結果、ぼくは岩波文庫版(中村融訳)を選ぶことにした。それは、ぼくがこの本に興味を持つきっかけになった冒頭の一文について、岩波文庫版のやつが個人的にはいちばん「しっくりくる」文章だったからだ。それと、偶然発見した高井良健一・東京経済大学経営学部教授のホームページで、大学3年生の時に読んだ本として『アンナ・カレーニナ』岩波文庫版が紹介されていたのも決め手になった。ちょうどいままさにぼくが大学3年生であるという、ただそれだけの繋がりではあるのだが。

 秋学期初日の帰り、サークルの連中と別れたあと、有隣堂蒲田店へ『アンナ・カレーニナ』上巻を受け取りに行く。有隣堂では文庫本のブックカバーとして10色の中から好きな色を選ぶことができるのだが、ぼくは少し悩んだ挙句、赤いブックカバーをつけてもらった。そのあと、近所の図書館へ寄って、やはり取り寄せてもらっていたCDを借りてから帰宅した。

 リュックサックのファスナーを開けて、文庫本とCDをさっそく取り出す。コンビニ夜勤のバイトまでまだ時間があるので、『アンナ・カレーニナ』をちょっと読むことにする。……おお、いきなり面白い。小説ってこんなに面白かったんですねって目から鱗が落ちるぐらい面白い。やっぱり岩波文庫版を選んで正解だった。誰だ、この岩波訳を「読者に余計なストレスを与えている」とか言っていたやつは!

 その時だった。ぼくが『アンナ・カレーニナ』上巻の小口の凹みに気付いたのは。

『アンナ・カレーニナ』文庫本の小口の凹み

 ついさっきググるまで知らなかったぼくのようなひとのために書いておくと、小口(こぐち)とは本を開く部分のことである。本を読んでいる時にどうしても視界に入る部分だ。ぼくが手に入れた『アンナ・カレーニナ』上巻はここが少し凹んでいる。気にならないひとはまったく気にならないだろうが、ぼくは神経質な人間なのでこういうのが気になる。しかも『アンナ・カレーニナ』岩波文庫版は(というかどこの出版社の版にせよ)1冊1000円以上するから決して安価ではない。損をした気分になる……を通り越して、もはやこの世の終わりかというぐらい絶望的な気分になる。

 この小口の凹みは、岩波書店や有隣堂蒲田店のせいではなく、たぶんぼくのせいだ。図書館で借りたCDをリュックサックに入れた際、CDケースの角か何かを文庫本の小口に直撃させて凹ませてしまったのだ。きっとそうだ。ぼくは前にも、柳家小三治『ま・く・ら』をリュックサックに入れた時に同じことをしている。ぼくはまた同じ過ちを繰り返してしまった。ろくでもない人間だ。本当のところ、ぼくは小口の凹みにショックを受けているのではなく、ぼくという人間の愚かさに憤っているのである。

 ただ、ぼくはただの神経質な人間ではなく、物事をちょっとは面白がって考えたりすることができる人間だったりもするので、この小口の凹みに意味を見出すことにする。なんていうか、この小口の凹みは『アンナ・カレーニナ』にふさわしい凹みなんじゃないか。ぼくはまだ『アンナ・カレーニナ』を読み始めたばかりなので適当なことしか言えないが、ぼくの過失によって生まれたこの凹みは、オブロンスキイ(ステパン)という男が自らの些細な過ちを後悔するくだりから始まるこの小説にピッタリだ。

 しかも、その過ちは第三者には取るに足らないという点において、ぼくの苦悩とオブロンスキイ(ステパン)の苦境は共通している。というか、文庫本のちょっとした凹みごときで絶望を感じているというのは、まさに「幸せな家庭はどれも似たり寄ったりだが、不幸せな家庭はどれもそれぞれに不幸せである」というテーゼを体現しているではないか。そう考えると、この小口の凹みはもはや小説の一部分なのではないか、岩波書店があらかじめ用意しておいてくれた装飾なのではないかとすら思えてくる。

 そういうわけで、ぼくは『アンナ・カレーニナ』上巻の小口の凹みを気にならなくなったどころか、この凹みに愛しさを感じるようになった……わけがない。ぼくはいまでも小口の凹みをめちゃくちゃ気にしているし、文庫本にCDケースの角をぶつけた自分の乱暴さに腹が立つ。時を戻せるのなら戻したい。図書館でCDを借りる10秒前に戻りたい。

 しかし残念ながらタイムマシンはまだ開発されていないはずだし、開発されていたところで「文庫本の小口を少し凹ませる直前に戻りたい」という卑小な要求が通るわけもないので、ぼくはモヤモヤしながらこの『アンナ・カレーニナ』岩波文庫版上巻小口凹み型を読み進めることにする。いや、同じ本をもう一冊買ってもいいんですけどね。でも、それはあらゆる意味で「もったいない」じゃないですか。何がもったいないって、お金がもったいないし、紙がもったいないし、文庫本の小口の凹みごときで絶望を感じる自分自身を打ち消すことになるのがもったいない。結局のところ、ぼくは小さなことにクヨクヨする自分が嫌いじゃないのです。

 とはいえ、『アンナ・カレーニナ』中巻を買う時には絶対に同じ過ちを繰り返さないようにしますけどね。ぼくはさっき、梱包に使うプチプチ(メルカリで買った商品を包んでいたやつ)(捨てずにとってあった)を自室の箪笥から引っ張り出した。『アンナ・カレーニナ』中巻を買う時にはこれを書店へ持っていって、購入した本を包み、小口を凹ませないように細心の注意を払うつもりだ。それでも凹ませてしまったらどうするかって? その時はもちろんまたnoteのネタにしますよ。乞うご期待!(期待されてたまるか!)

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