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遠い記憶ーその五ー

中学時代の思い出を書き出してみよう
その四でも書いたが,中学に入り、イハラくんに誘われ卓球部に入部した

部活ならたくさん卓球🏓ができて楽しいだろうと思っていたが甘かった。まず台の数が少なくて、場所も制限(廊下階段の踊り場)されているので,一年の時はほとんど打たせてもらえない。よって、身体作りに終始。しかもスパルタ❗️当時の部活なんて根性論が大手を振っている時代だから凄まじかった。とても卓球部の名前からはイメージできない内容。書き出すと愚痴ばかりになるのでやめるけれど,このしごきに耐えたおかげで,体力的にも精神的にも他の運動部にもひけをとらない心体ができた。運動会や持久走大会ではその効果が発揮できたと思う😅
 (注⚠️自慢はしますが勧めません❗️ 時代錯誤💢と思っています)

 卓球部は最後まで続けたし,部長もやったけど,成績は書けるものは何も無い。テクニカルの指導者がいないのだから当たり前。でも同じ代のメンバーとは楽しくやれたし結果オーライかな。(顧問の先生は空手の師範代で専門外、他にコーチはいないので、誰に教わることなく,独自トレーニング🏋️‍♀️🏋️ 今のように動画も無く参考にできるものがないので上手くなるわけがない😩)イハラくんも最後まで続けていたが、クラスが違ったのでそのうち疎遠に,部活だけの付き合いになってしまった。

中一の途中から,英語の塾に通うことになった。
 というのも,英語(授業)を全く受け付けなくて、成績が落ちていく一方なのを親が心配したから。今にして思うと,英語のミスムラーイ先生が嫌いだったのと,テストで点を取るための勉強で、『コミュニケーションとしての英語を学ぶ』ことの良さを理解できなかったためだと思う(それを理解したのは大学に入ってから)英会話から勉強し、先生が海外の人だったらモチベーション違っていたと思うな🤔
 まあ,この塾のおかげで、当時の友人であるエイジと出会った。直後2年からは同級生になったこともあり。かなり親しくした。年がら年中、一緒にいたように記憶。自宅にもきたし向こうの家にもお邪魔した。僕らの周りには、デコ、ケンタ、チャボ、チボ、イグソ、ナッツーと仲間が増えていき昼休みや休憩時間とか一緒にいた。休みの日は、ほとんどエイジと一緒だったかも。まだ取れないオートバイの免許に憧れ雑誌やマンガを回し読みしたり、自転車であっちこっちに出かけた。750ライダーとか,バリバリ伝説とか懐かしい〜。でも密かに憧れたのは喫茶店のマスターの愛車のモンキーだったけど🐵
 2年か3年の冬には二人で京都に旅行した。JRの鈍行,始発は深夜のダイヤがまだあって、「1時に出発して6時頃に到着」薄暗い京都の街を目の前に見た記憶がある。ユースホステルとか使って。彼とは社会人になってお互いが結婚するまでは、なんだかんだと交流していたな。(最近は何しているんだろう⁇)

もう一人大切な人,女の子SKさんに出会ったのも中学だった。確か一年と三年で同級生だったはず。小学校は違うので一年では初対面だったはずなのに,妙に親しみを感じていつも近くにいるのが当たり前のような気がしてた。
 今、思い出したエピソード。当時流行した,イーグルスの『ホテルカルフォルニア』を掃除中に鼻歌でふんふんと歌ってたら,後ろで歌い出す人がいてとっても驚いた。ふりかえると彼女『ホテルカルフォルニアだよね〜好きだよねー』とニコニコ☺️いい顔してた。
 ある時,部活中に廊下を走っていたら、急に火災報知器が鳴って驚き近くにあった傘立てに足をぶつけた。ぶつけた先に金属があって足に切り傷。結構深くて,血止めをしようと自分のクラスに戻ったら、たまたまそこに彼女。目を丸くして驚きながらも保健室へ連れて行ってくれて手当してもらった。優しく的確だった。後に彼女が看護師を目指すと聞いて嬉しかったのを覚えている。。今、何しているんだろう

 読み返していて、大事なことが抜けていることに気づいた。
中一と中三の担任の先生は小野田先生。躾に厳しい国語の先生。この先生も字が達筆だった。遅刻で罰として廊下で正座もさせられたし,お尻ピンタだと言って竹刀の竹の棒でお尻を叩かれたり(今ならありえない‼️)。
 いつも話されていたのは『有言実行』先生の話では「無言実行」も素晴らしいが、実行しなくても周りには判らないから,約束・責任を背負う分だけ、『有言実行』の方が良い…そんな話だった(逆だったかなぁ😅)以降、自分の中ではこの『有言実行』を意識するようになった。
 ちなみに,自分が結婚する時に,仲人を押し付けたのは、小野田先生だった。最近は仲人さんに立ってもらうことの方が少ないみたいだけど,当時はまだ,そんな慣習が普通でした。仲人で思い巡らした時にこの先生でピースが嵌った感じがした。

そう言えば,もう一つ。
 中学に入りしばらくしてから,違う中学に進学したイシイくんが無線機を購入してコールサインまで取得したと耳にした。やられた〜🤣。当時は無線機を入手する前でもコールサインの申請ができたので、すぐに手続きして自分のコールサインを入手した。彼は『JR2』自分は『JE2』一世代出遅れたのは随分悔しかったけど,自分のコールサインはお気に入りに育っていった。社会人になってもスキー行く時は随分便利に使っていた。でも、それも結婚するかしないかの頃、更新を切らしてしまい、多分,今は、他の人が使っているんだろうなぁ🤔
 (ここでコールサインを入手したことが高校生活に影響をきたすことになる)


中学時代はとにかく身体を鍛えられた。痩せっぽちなのに腹筋と太腿と脹脛だけは立派だった。もう少し上半身も鍛えておけば,かっこよくなったかな💪

最近まで同じような体型をしていたが,今年一気に筋力を落としてしまった。今から中学生と同じトレーニングはできないなぁ〜😢

最後までお付き合いくださりありがとうございました。

なかなか書き出しきれないですね。
もしかしたら中学編エピソードⅡを出すかもしれません

でも次回は高校編です。お楽しみに🤗

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