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メッセージ性の強い授業だった高校の担任【#忘れられない先生】

3年間、担任教諭が同じ先生だった高校時代。
H先生。専門教科は現社(現代社会)。
年齢は50代後半だったと思います(卒業するまで判らなかった)。
戦中生まれのせいか、戦争(第二次世界大戦)の話を授業中やHR(ホームルーム)中に脈略もなく突然生徒に吹っ掛けていた。
福岡空港を“板付空港”と呼び続け(“福岡空港”と呼ばなかった)、人が殺される(友人、知人が殺される)話を手短に。
その話を3年間ずっと聞かされた私(とその同級生)。

H先生の授業は少し変わっていた。
教科書を使った授業はほとんど行わず、別室(空き教室)での映画鑑賞が大半だった(ような気がする)。
(教科書を使うのは中間、期末テスト前に「何頁から何頁までが試験範囲だからその内容を憶えておくように」と生徒に口頭で伝える時のみ)
正直、何の映画を観たのか、3年間で何本の映画を観たのか全く憶えていません(単に私の記憶力が悪いだけ)。
憶えていませんが、この映画を観たことは今でも憶えています。


『生きる』

『生きる』
1952年公開の日本映画。監督は黒澤明、主演は志村喬。
(東宝創立20周年記念映画)
無為に日々を過ごしていた市役所の課長が、胃癌で余命幾ばくもないことを知り、己の「生きる」意味を市民公園の整備に注ぐ姿が描かれている。
題名通り「生きる」という普遍的なテーマを描くとともに、お役所仕事に代表される官僚主義を批判した。
劇中で志村演じる主人公が「ゴンドラの唄」を口ずさみながらブランコをこぐシーンが有名。


1年生時の授業で一番最初に観た映画でした。
当時は「なんでこんな古い映画観ないといけないのかなぁ」と思いながら観ていました。
(クラスメイトのほとんどはそう思ってたらしい)
この映画を含め、H先生は何の目的で生徒に映画鑑賞をさせるのか一切説明なく「ちゃんと観るんだぞ」の一言だけ。しかも、映画の感想文を中間、期末テストの問題にぶち込むというトラップ付きで。
(「映画の感想文、テスト範囲に含まれてるからな」と告知していましたね。一応。)




それから10数年後、機会あって『生きる』を観ることに。
2度目の鑑賞。


観終わって思ったこと。
H先生の授業は映画を通じて私たち(生徒)にメッセージを伝えたかったことを。
今思うと、一番最初にこの映画をセレクトした意味はものすごくありました。ものすごくあったけど、最初の授業ではなく、最後の授業に観たかった。どっちにしろ、もっと真剣に観るべきだったと。

H先生に「ありがとう」って言いたかった。
29年経った今でも言えない事に後悔しています。




以上、書くンジャーズ日曜日担当のコモリが、「まだできることがある」、この言葉を原動力に、146週目のテーマ【#忘れられない先生】について書かせていただきました。


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