大きな自由か小さな自由かでは小さな自由の方が安心できるのだろう。

『江戸時代の特徴としては生活費の安さである。月に8万円も収入があれば親子3人で暮らしていくことができた。何と言っても個人所得税がない。江戸時代は農民の払う年貢以外は御用金という形で税金を取っていた。呉服屋なら呉服屋、油問屋なら油問屋という形で業界全体から税をとる。どの店がいくら払うかということには幕府は関与しない。業界で話し合って決めてくれということである。そうなると代表的な企業が税金を払うことになって、個人商店のようなところからは税金は取らないことになる。当然業界内での話し合いも緊密に行われることになる。その結果倒産する会社を出さないような仕組みが作られていくのである。個人への税金はないということは消費に拍車をかける。結果としてフリーターだったとしても割と気楽に暮らせる社会ができていたのである。もう一つは家賃の安さである。基本的には月額8000円ほどで住むことができる。そうすると月に8万円。家賃が8000円ということを考えると生活できないわけではなかった。その上長屋は共同購入が発達していた。米でも味噌でも醤油でも、長屋単位で購入するから割引で買うことができる。正社員でなければならない、というような感覚は実は昭和のもので、江戸時代は会社に所属という感覚があまりない。あえて言うなら武士が会社員にあたる。ここはシステムが硬直化してしまっていたから、江戸末期の下級武士が生活としてはいちばん苦しかったかもしれない。庶民は長期的な展望を考えることは難しかったが、その代わり気楽に生きても仕事がなくなることはあまりなかったのである。明治になって、政府の高官が庶民に、明治になって生活が良くなったろうと質問したら、税金のせいで生活が苦しくなりましたという答えが返ってきたという。今の税制でも、事業税に一本化して、個人所得税を撤廃してみるというのはどうなのだろうと思う。消費税が15%だったとしても個人所得税がゼロなら、景気も刺激されて上昇するような気もする。自分の店を持ちたいというような野望がある人は店に勤めて修行をする。職人として腕を磨きたい人は親方の下で修行をする。そして気楽に行きたい人は町の人々の手伝いをして収入を得る。そういう意味では江戸の庶民は案外職業的な自由を手にしていたのである。西洋と交流することになって、大企業というものができて、そこで働くのが当たり前になったことによって却って生活が貧しくなっていくという側面がないわけではない。ましてや日本全体の景気が悪くなって税金だけが高くなっていくという社会ではフリーターは苦しいだけである。派遣もフリーターも、江戸時代は職業選択の自由を広げると言う良い働きをしていたのに現代では逆である。何でも江戸がいいという気はないが、フリーターでも心配なく暮らせるような社会が望ましいと思う。』

改めて考えれば江戸時代とは幕府という一党支配の共産主義とも思える。ヒノモトのヒトビトはもう何百年も共産主義的な生活に慣れ切っているので本当の意味での民主主義には馴染まないのかもしれない。大きな自由か小さな自由かでは小さな自由の方が安心できるのだろう。

「江戸時代は“フリーター社会”だった」ってご存知ですか?
生活費も家賃もこんなに安かった
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77797

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