すべては「程度問題」なのだ。

『日本で「自粛要請」が機能するのは、「民度が高い」からではなく、このような「道徳自警団」や「自粛警察」の私的制裁が存在するからだ。しかもこれらの人々は、しばしば「地域を守るため」「家族を守るため」善意でやっているのだから、手に負えない。おそらく役所の電話口には、「あいつの家はひそかに旅行しているぞ」などという通報がいくつも届いているのではないか。驚くほど陰湿な相互監視社会である。これまでもそうであったように、非常時は人々の感覚を麻痺させる。それは、普段やってはいけないとされていることが、大義名分のもとで解除されるからだ。たとえば、「お前はなんで国策に協力しないのか」と突っかかり、他人を従わせることなどがそうだろう。それはときに快楽にもなりうる。そのため、なかなか自制がむずかしいのだが、やはりこういう想像力を持つしかないのではないか。「新型コロナウイルスには誰でも罹るし、感染の噂だって流される可能性がある。そのとき、以上のような差別が、自分や周りの身に降り掛かってくるかもしれない」と。後世の学校教科書に、「この時代の人々はこんな愚かなことをしていました」と紹介される振る舞いをしないように心がけたい。』

「過ぎたるは及ばざるがごとし」何事も適度に対処するしなやかさが重要ですべては「程度問題」なのだ。

脅迫・中傷・投石・落書き・密告…多発する「コロナ差別事件」の全貌
もう魔女狩りや隣組を笑えない
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72245

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