ヒトの感覚器で聴覚・嗅覚・触覚に蓋が付いていないのは危機察知の為の感覚器だからだ。

『体臭は心身の健康状態を知るための有効なバロメーターだ。消したり、ごまかしたりするだけでなく、体調管理やメンタルヘルスのために、もっと前向きに活用するべきではないか。昨今、そんなことを考えさせられる研究結果が、相次いで報告されている。まずは、「ストレス臭」の主成分の発見。緊張を強いられるストレス状態にさらされると、人間の身体からは硫黄化合物のような特有の臭いがするガスが発生するという。~これらが合わさってできた、ストレス臭の主成分は“玉ねぎを腐らせたような臭い”がするらしい。これはなかなか強烈だ。化粧品メーカーである資生堂は長年に渡って、調香師による魅力的な香りの創出だけでなく、臭気判定士による体臭の研究を行ってきた。昨年の結果は、2017年に発表した“ノネナール(1999年に「加齢臭」の原因物質として同社が発見)が「皮膚ガス」として皮膚表面から放出されている”との知見に続く、皮膚ガスについての研究成果であるという。職場や学校、あるいは家庭で、叱責されたり、いじめを受けたり、過大なプレッシャーをかけられたりしているとき、我々の身体からはじっとりと「STチオジメタン」が発生しているのである。部下や後輩、我が子を指導するときは、鼻を利かせるようにしたい。仮に、相手のためと思って叱っていたとしても、腐った玉ねぎ臭がしてきたら、愛は伝わっていない。別の指導法を考えるべきなのだ。さらにもう一つ、「疲労臭」についても新しいことが分かってきた。疲労臭は、おしっこのようなツンとしたアンモニアの臭いがする。ニオイの原因はこれまで、疲れによって腎臓や肝臓の機能が低下し、健康な状態であれば体内で分解されるはずのアンモニアが分解しきれずに体内に残ってしまい、全身の毛穴から、皮膚ガスとして漏れ出てくるせいとされてきた。しかし実は「大腸劣化」の影響が大きいらしい。~「加齢臭」は皮脂の酸化を原因とする表面反応由来なので、洗って落とすことができる。しかし、「疲労臭」は血液由来であり、主に大腸内で発生するため、洗っても落とすことができない。そこで関根氏らは、既に明らかになっている、「疲労臭の主成分アンモニアの血中濃度が、腸内細菌の改善によって減らせる」ことに着目した。ラクチュロース(牛乳に含まれる乳糖を原料として作られる二糖類。大腸に到達後、ビフィズス菌の餌になる)の摂取試験を行い、「ビフィズス菌数の増加に伴う皮膚からのアンモニア放散量の減少を示唆した」ことから、腸内環境の改善で疲労臭が軽減できることを世界で初めて見いだしたという。近年の研究によって、腸内環境と全身の健康状態、さらには脳や神経の状態との関係も明らかになっている。同日、関根教授の前に講演した帝京平成大学健康メディカル学部の松井輝明教授)は「大腸は、その役割の重要性から、まさに“健康の要”といっても過言ではない」と強調した。昔から、健康にとって重要な臓器を、肝心要、あるいは肝腎要というが、これからは、「肝腸要」も加えるべきかもしれない。実は体臭で病気を知るという発想は、決して新しくはない。その昔、名医は患者が診察室に入ってくると、その患者の発するニオイで病気を言い当てたという。東洋医学における「臭いを嗅いで診る=嗅診」だ。近年、臨床検査技術が急速に開発されたため、医師が自らの五感や六感を頼りに検査する、聴診、触診、打診、嗅診といった手法の重要性はだいぶ薄れてしまったが、病気と体臭の関係をめぐる研究は、地道に進められている。~ただし、世間一般ではこの30年、体臭の科学は、「周囲から嫌われないための手段」として、発展してきた。「おじさん=臭い」というイメージを定着させた言葉「加齢臭」が注目されるようになったのは2000年代初頭。発端は、1999年に資生堂が、加齢臭の原因となる成分「ノネナール」を、世界で初めて発見したことだった。ノネナールは中高年男性特有の成分と誤解されているが、実は40歳を過ぎると、男女のべつなく発生する。ちなみにそのニオイは「ロウソク」「古本」などのニオイに似ているといわれる(そもそもたいした悪臭ではない?)。「元々は臭いや体臭に敏感な女性向け商品開発の研究のために発見された物質のひとつ」(資生堂 ニュースリリース:2014年2月より)だったのだが、思惑を超えて言葉は広がり、日本人は老若男女問わず「体臭が気になって仕方ない」状況へと突入し、現在の「消臭・芳香ブーム」へとつながる。~近くにいる人が発する悪臭が原因で気持ちが悪くなったり体調を崩したりしてしまう「スメルハラスメント(スメハラ)」や、本当は臭くないのに、周囲の態度から自分は臭いのではないかと悩み、会社に行けなくなったり、外出できなくなる「逆スメルハラスメント(逆スメハラ)」が問題になったもこの時期だ。昨今では、若い男性の発するニオイにまで「男脂臭」なるネーミングがなされ、男性は老いも若きも臭くてたまらないことになっている。確かに、運動部の部室は臭いが、「臭くてもいいじゃん」とはならないこの風潮、寛容性がなさ過ぎる。腐った玉ねぎ臭は、その人が、精神的ストレスに耐えている証。おしっこ臭いのはヘロヘロに疲れるまで働いた証。加齢臭だって、長年生きていれば臭うのは当たり前。「なんら恥じることはないし、責められることでもない」と、多くの日本人が考え直し、もし、その手のきついニオイを発している人が近くにいたら「この人、大丈夫かな」と心配するようになったら、世の中もっと、生きやすくなるのではないだろうか。』

ヒトの感覚器で聴覚・嗅覚・触覚に蓋が付いていないのは危機察知の為の感覚器だからだ。そのひとつである嗅覚に関してあまりにも社会的制限をかけてしまうのは暴力的だと最近は感じている。ある程度の許容範囲という「遊び」のない社会は私たちを更に行き難くくしているのだ。

“臭い人”はなぜ責められねばならないのか~体臭と病気の真実
キーワードは「大腸」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68252

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