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広末涼子はいい女に成ったなぁ。若いころから好きだったけど(^^;

『広末さんが『ステップ』のオファーを引き受けた理由、その一つは「テーマ」にあったという。「本を読んだ時、これは世代や時代を超えた多くの方の心に響く内容だと感じました。現在親として成長している人には振り返りになるし、親になっていない人も自分の親との関係を見つめることにもなりますよね。私が親として経験してきた中で、特にここ数年は社会の変化をすごく感じます。いま、仕事をしている母親も増えて、主夫になる父親も増えて、学校で夫婦の形を考える勉強会のようなものがあるんです。公の場でこれがテーマになるのは、ここ最近のことです。そんな風に感じている中、このお話をいただいたので、いわんや父親が娘とどう向き合うか、一人で親としてどうやって育てていくのかというこの内容はとてもタイムリーなテーマで、興味がありました」~「特にうちは、けっこう参加型の学校なので、10年前はいまより専業主婦の方が多かったんです。当時から教育懇話会は開かれていましたが、テーマとしては生と性やジェンダー、学校の教育方針や子どもたちの時代背景、SNS問題の勉強会となどが多く、母親に焦点をあてるものはほとんどありませんでした。一昨年、私が覚えている限りはじめて『働く父母』がテーマになったんです。働くお母さんも多く集まって、いろんな事例を紹介してくれました。お母さんが働いている方のタイムテーブル、お父さんとお母さんが働いているというご家庭のタイムテーブル、シングルで仕事をしながらどうやっているかというタイムテーブル。懇話会なので、講義でもないし、正解や結論があるわけでもなく、みなさんが頑張っていることを共有しただけなんですが、とても新鮮でした」~「父と娘、そして亡くなった母との関係性を描く物語、しかもその父親を山田孝之さんが演じられると言うのは楽しみで。共演というだけではなくて観客としても楽しみだと感じました。エッジの強い役やエキセントリックな役のイメージが強いかもしれませんが、その彼がこのフラットな役を演じたときに、どんな化学反応が起こるんだろうとも思いました。私は『世界の中心で、愛を叫ぶ』(TBSドラマ、2004年)のときのあのフラットな彼が大好きだったんですよね。表情も芝居ももちろん声も全部総合的にだと思うんですけど、彼が走っている姿がものすごく泣けて。身体で表現しているというか。今回、普遍的なこのテーマで山田さんが演じるのが楽しみで、私もそこの化学反応にマッチできれば嬉しいなと思いました」~例えば、保育園に毎日送り届けていた美紀が小学校に入学し、登校班の集合場所まで送っていた健一に「パパ、もう来なくていいよ」と言われるシーンの、嬉しいような悲しいような表情。義父の明(國村 隼)に「息子なんだから」と繰り返し言われる時の複雑な表情。山田さんという俳優の力を静かにしっかりと感じさせてくれる。それは広末さんも同様のことだ。『ステップ』の中で、それまで健一の子ども・美紀に認めてもらえなかった奈々恵が、初めて本当に認めてもらえたと感じられるある「シーン」がある。このときの広末さんの「物言わぬ演技」のリアリティは、「母親」の表情以外のなにものでもない。「大人は目の前に子どもがいると感情を我慢しなければならないと思ってしまいます。今の私は子どもが目の前にいるから感情を抑えなければいけないとはまったく思っていませんが、10年前はそう思っていました。母親はいつも笑顔で強くありたい。だから奈々恵も子どもの前だから、感情を抑えようとはしたと思うんです。私自身、あのシーンは奈々恵としてとにかく胸がいっぱいでしたね」役を演じるということは、その人の人生を生きるということ。しかし今回は「奈々恵のこと」よりも「健一のこと」を思って演じた部分があったという。ある意味で奈々恵になりきっていた、ということなのかもしれない。「今まで自分の役と向き合い、自分の役が背負って来たものとか傷とか人生みたいなものにフォーカスをあてて演じていた気がします。でも今回は、想像以上に自分よりも痛みを抱えている人が目の前にいる。そんな時は、ただ隣に寄り添ってあげたいとか一緒に歩いてあげたいと思うんだと感じました。だから自然と自分の感情を出しにくくなったり、躊躇したりしたんだと思います。これが正解と言うのもなくて、傷をなめ合うだけではなくて、壁をクリアしようとするのでもなくて。健一さんと『ただ一緒に歩くこと』が大切なんだなと感じました。『お互いを大切にする』とはそういうことなのかもしれません。それに、そうしないと美紀ちゃんとも関われないなって思ったんです。2人にとって一番は、亡くなったママであり、奈々恵にもその現実を受け容れる勇気みたいなものが必要でした。いままで役を演じる時は自分の演じる役の人生ばかり考えていたのに、自分のことを考えるよりも、健一と美紀のことばかり考えていましたね。健一さんに自分の過去を吐露するところも辛かったですし……きっと私が奈々恵でも、同じように思ったと思います。不思議な感覚でした」本題に戻ろう。人は出産をすると「母親」になれるのだろうか。「私が初めて出産したときは、ひたすら夢中でした。といっても精神的に苦しくなるというよりも、夢中になりすぎて、逆に他をシャットアウトしすぎていて申し訳なかったと思います。シャットアウトしたのは、仕事とか、もしかして旦那さんとか(笑)。自分がいないと死んじゃうかもしれない存在をはじめて目にして、自分にとって守るべき存在ができることの素晴らしさに夢中だったんです。ただ、母性というものはあると思いますが、でも、産んだからそのまま母親になるとは限らない。一緒に成長して強くなれることが、母親になることへの第一歩だと思います」「出産」はとても大きな仕事だ。しかし、産んだ本人も、「その子」の育児は初めて。何回出産したとしても、ひとりとして「同じ子ども」はおらず、毎回「初めて」の体験で子育てをしていく。一緒に成長していくことで、母親に「なっていく」ということなのだろう。「いま私がなにより支えたいのは、もちろん子どもたちです。ただ、子どもに対しても『パートナーだ』って思えるようになりました。特に上の子に関しては、自分が自立というかデビューした年と同じくらいになりました。当時私が夢中でやっていたように、彼も新しいステップを踏み出して、新しい宇宙を持っている。なによりも守りたい存在であることに変わりはないですが(笑)」インタビューが終わったその夜、広末さんのマネジャーから1本のメールが届いた。「本日は取材ありがとうございました。広末が最後バタバタしていて、どうしても伝えたかったことを伝え忘れてしまったそうなので、ご連絡させていただきました」というメールに次のように添えられていた。「“人生には、ジャンプはない”“一歩一歩、ひとつずつのステップです”原作者・重松 清さんのお言葉ですが(笑)」14歳でデビューして、ジャンプというよりも飛翔するかのように社会に飛び出した印象のある広末さん。23歳で出産後も美しさを保ち、いい仕事を続けてきた。しかし、それらすべては魔法のボタンによってひとっとびに得られたものではない。女優という仕事をしながら、子どもを産む決断をした、仕事の合間を縫って教育懇話会に足を運び、子どもとも仕事とも真正面から向き合って来た。母としても、女優としても、広末さんは一歩一歩、自分の足でステップを踏んできたのだ。』

広末涼子はいい女に成ったなぁ。若いころから好きだったけど(^^;

2020.07.17
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広末涼子が語る「母になる」ということ、「家族になる」ということ
出産したら「母親」になれるのか
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71445


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