しげぞう@ライター

ライターです。 ブックライティング、Webマガジン、オウンドメディアなど。 ここでは自…

しげぞう@ライター

ライターです。 ブックライティング、Webマガジン、オウンドメディアなど。 ここでは自分のための日本語の復習をしていきます。 『副業×定年準備×生きがいづくり 人生を変える! 50歳からのライター入門』 https://www.amazon.co.jp/dp/4788718146

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『論理の壁を飛び越える。ビジネスパーソンのためのラテラル・シンキング入門』(ビジネス教育出版社)が5月9日に発売されます!

拙著『論理の壁を飛び越える。ビジネスパーソンのためのラテラル・シンキング入門』(ビジネス教育出版社)が5月9日に発売されます! https://www.amazon.co.jp/dp/4828310606/ そこで、本書の内容を知っていただくために、目次構成を以下に紹介します。 はじめに 第1章 ひらめきが求められる時代  正解のない時代  「ひらめき」が求められる時代  AI時代に求められる思考法  【ちょっとブレイク】広告宣伝費を引き出せ   第2章 ラテラル・シン

    • 「思惑」って「おもわく」でも「しわく」でも変換できるんですけど?

      まず、結論を述べてしまいましょう。 一般的な場面で使うなら「おもわく」と読みます。「思うこと」の意味ですね。 ですから、「彼には自分が代わりにリーダーになると言う思惑(おもわく)があったのだ」などと読みます。 ところが思惑を「しわく」と読む人がいます。実際、私のATOKでは「しわく」と入力すれば一発で「思惑」と変換されますから間違いではありません。 が、一般的な場で「しわく」と読むのは、誤りです。どんな誤りかというと、「今月の売上から経費を引いたらいくらの利益が残る?

      • 風邪はなぜ「引く」のか?

        新型コロナウイルスの感染流行は人々の生活様式をガラリと変えてしまいました。 その根本は、「コロナに罹ってたまるか」という気持ちがあるわけです。ですから皆さん、懸命に3密を避けることを心掛けている訳です。 ちなみに、「3密を避けましょう」というかけ声を聞いたときに、私は真っ先に真言宗や天台宗の密教における「三密」を連想してしまいました。 密教における三密とは身密(しんみつ)・口密(くみつ)・意密(いみつ)のことですね。 「ね」と言われても困るかもしれませんが、宗教好き(

        • 「御御御付」って読める? ああ、あれか!

          「御御御付」もしくは「御御御付け」と書いて「おみおつけ」と読みます。 そうです、お味噌汁のことですね。 最近はあまり使われなくなった言葉の一つかもしれません。 ちなみに私が使っているATOKでは「おみおつけ」と入力して変換すると「御味御汁」となりますが、どちらかというと「御味御付」の方が使われていそうです。統計は取っておりませんが。 それではなぜ、「御御御付」などというクイズの問題のような表記になったのかというと、これは所謂、民間語源説によるらしいのですが、室町時代か

        『論理の壁を飛び越える。ビジネスパーソンのためのラテラル・シンキング入門』(ビジネス教育出版社)が5月9日に発売されます!

          「一日千秋の思い」ってどう読むんだっけ?

          あるとき、取材の最中にインタビュイー(取材される側の人)から渡されたメモを読み上げた。 「ちょとこの部分読んでみますね。“その連絡を私は一日千秋の思いで待っていた”」 このとき「一日」を「いちじつ」と読み上げたら、相手が「そうそうこのときは一日(いちにち)千秋の思いでね」と言い直したのです。 ――あれ? おいらの読み方が間違ってる? やばい! しかし「一日(いちじつ)の長」っていうよね? そこで色々調べて見ると、「一」を「いち」と読むのは呉音で、「日」を「じつ」と読

          「一日千秋の思い」ってどう読むんだっけ?

          「俄然」は「断然」ではないし、「断トツ最下位」もおかしいのです

          音が似ている言葉は混同しやすいですね。私もよく間違えて使っていることがあります。 たとえば「俄然」と「断然」 以下はある人たちのブログですが、「俄然」の使い方が「断然」と混同されていますね。 いずれも個人のブログなので出典は明らかにしません。 「俄然」の意味は、物事がにわかに起こるさまで、急に一変した状態になるさまですね。 たとえば「あなたの言葉を聞いたら、俄然やる気が出てきました」など。 「俄然」の「俄(にわか)」は突然の意味で、「俄雨(にわかあめ)」などと使い

          「俄然」は「断然」ではないし、「断トツ最下位」もおかしいのです

          「青田」は「刈って」はいけません

          これは使い方を間違いやすい慣用句です。 特に就職・採用に関する記事では、企業が学生に対して早くから内定を出して人材を確保しようとする行為を「青田刈りが始まった」などと誤って書いてしまっている記事が散見されます。 これは「青田買い」の間違いなのですが、私も自信が無くなってきたのでWikipediaを見てみました。「青田買い」の項に「青田刈り」も説明されていましたので引用します。 と、ここまで書いておきながら、とっさに間違えてしまいそうな言葉です。

          「青田」は「刈って」はいけません

          「愛想」は振りまけない? 振りまけるのは「愛嬌」?

          ショックを受けたのは、「愛想を振りまく」という表現は、本来間違っていると知ったときでした。 普通に使っていましたからね。それこそ「愛想」を振りまきながら。 しかし、正しくは「愛嬌を振りまく」でした。 でも、なんんだかこちらの方が言いにくい。それほど間違った言い方に馴染んでしまったのでしょう。 考えてみれば、「愛想」とは動作です。「愛想良くする」「愛想が良い」、「愛想笑い」など、自分の表情や動作、言葉などにより「演じる」ものですね(だと思う)。 だから、動作である「愛

          「愛想」は振りまけない? 振りまけるのは「愛嬌」?

          ニュースでも「悪どい」が使われる「あくどい」言葉

          結論を先に述べると、「悪どい」という言葉は表記方法も意味も誤用されています。 例を見てみましょう。 最近は「あくどい」を、「非常に悪い」という意味で「悪どい」と誤表記しています。 「あくどい」の本来の意味は、程度を過ぎてきつい。色や味がしつこい。やり方が行き過ぎていてたちが悪い、などです。 確かに「たちが悪い」の意味もありますが、本来は「灰汁どい」です。 つまり、「灰汁(食べモノのえぐみや渋みなど)」が強いことです。度が過ぎている意味ですね。 別の説もあり、接頭語

          ニュースでも「悪どい」が使われる「あくどい」言葉

          その一言を付け加えるだけで差別的な発言になる悪魔の言葉とは?

          私たちは日常の何気ない会話の中では、けっこう「ピー」な発言をしている様です。 その点、多くの人に揚げ足を取られかねない場で発言しなければならないプロのアナウンサーやコメンテーターがどれほど気を遣っているのかを想像すると、けっこうスリリングな仕事をしているなぁ、と感心します。 文章なら公開されたり印刷される前にじっくり推敲できますが、日常会話やライブ放送などでは、何気ない一言が命取りとなる可能性が高くなります。 そして、カジュアルな日常会話の中には、何気ない発言に一振りす

          その一言を付け加えるだけで差別的な発言になる悪魔の言葉とは?

          「重言」って、うっかり使っちゃうよね

          さて、唐突ですが、ここでクイズです。 以下の文章でおかしな所を指摘してください。 ―― まずはじめにお断りしておかなければならないのは、来月のスタンプラリーの商品はまだ未定であることです。各駅ごとにキーワードが用意されていて、終着駅で答え合わせが行われます。 今回は、参加者の行動距離がスマートフォンのGPS機能を使って測定されるなどのハイテク技術が利用されることも注目を集めています。 また、今回はスポンサーの製菓メーカーから提供される各駅ごとの名物にちなんだビスケットが用

          「重言」って、うっかり使っちゃうよね

          「する」という動詞は実は難しい!

          普段、私たちは会話の中で「~する」という動詞を使うことが多いと思いますが、実は文章に書くときには使うのが難しい局面があります。 私たちは「~する」という動詞を以下の様に活用させて使っています。 未然形:「し、せ」(ない、ぬ) 連用形:「し」(ます、ない) 終止形:「する」 連体形:「する」(とき) 已然形:「すれ」(ば) 命令形:「せよ」 ところがこれは口語なのですね。 文語では「す」です。つまり以下の様に活用します。 未然形:「せ」(ず) 連用形:「し」(けり)

          「する」という動詞は実は難しい!

          格好付けて「すべからく」を使うと、語彙力がバレちゃいますよ

          このnoteでは、実は敢えて取り上げてこなかった言葉があります。 それは、「すべからく」です。 なぜ取り上げなかったのかというと、格好付けて文章を書いている人ほど「すべからく」を堂々と誤用しているため、痛々しく感じていたからです。 それではなぜ取り上げる気になったのかというと、ネタ切れです! ――嘘です。言葉の闇は深くて広い。深淵なるが故に深遠なのです。そう簡単にはネタ切れになりません。 単に、気が向いただけのことです(すみません……)。 「すべからく」を漢字で表

          格好付けて「すべからく」を使うと、語彙力がバレちゃいますよ

          その「さ」は、要るの、要らないの? よく分からな「さ」過ぎる「さ入れ言葉」

          「見れる」や「来れる」などの「ら抜き言葉」が「ら」が足りない言葉であるのに対して、逆に余分な「さ」が入っているのが「さ入れ言葉」ですね。 たとえば「後ほどメールを送らさせていただきます」や「お先に帰らさせていただきます」、「レポートを読まさせていただきます」などが「さ入れ言葉」です。 ちなみに、ATOKでは「ら抜き言葉」も「さ入れ言葉」も、きちんと注意が表示されますので、なかなかに優秀ですよ。 で、まず、先ほどの「さ入れ言葉」の例を正しく表記すると、いずれも「さ」が不要

          その「さ」は、要るの、要らないの? よく分からな「さ」過ぎる「さ入れ言葉」

          「一同に会する」は「会して会する」になってしまう?

          どうも。自治体などの公式ホームページのミスをあげつらうシリーズ(にはなっていませんが)を続けている性格の悪い私です。 だって、自治体のホームページって間違いが多いんだもの。 早速ですが、熊本県人吉市のホームページで以下の文章を発見しました。 「一同に会す」ではなく「一堂に会す」が正しいですね。 そもそも「一同」には「居合わせた人たち」の意味がああるので既に「会す」でもあるので、「会して会す」みたいな意味になってしまいます。 「一堂に会す」は同じ場所(一堂)に集まって

          「一同に会する」は「会して会する」になってしまう?

          「黄昏(たそがれ)」って、郷愁をそそる言葉だが、昔は恐い時刻だった

          「たそがれ」という言葉には郷愁を感じます。 子供の頃であれば遊び友達の顔がよく見えなくなる頃で、まさに「たそがれ」の語源と言われる「誰そ彼(たれそかれ)」という状態をであったことを思い出します。 「誰そ彼」は古くは万葉集で「誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」と使われていたようですが、最近では江戸時代まで「誰そ彼」は使われていたらしいです。 それで、この人の顔が判別しにくくなる夕暮れ時の「誰そ彼」が「たそがれ」と転じたらしい(とする説が多く流布

          「黄昏(たそがれ)」って、郷愁をそそる言葉だが、昔は恐い時刻だった