見出し画像

SNSのように“仮想化”する仕事と消費行動。

昨日の自分の行動を振り返る。
オンラインで解析ツールのデータを読み込んで、リモート会議してクラウドのドキュメントを更新してレビューして、アサインする人材のレジュメをチェック。
オンラインのAPIサービスを探して、その仕様とサンプルを担当人材に投げ込んで…見積作って客先に投げる……
気づくとオンラインだけで仕事が完了するようになってたりする。

これって…オレ…仕事したんだっけ?と思うことが増えてきた。
というのは、自分が見てるのは全てデータでしかなくて、ホントに向こう側にヒトがいるのか?そのヒトは本当にデータに映る通りの行動してるのか?あるいは、スカウトツールでオファーした外部スタッフは
データで見えるスキルとメンタリティ持ってる人なのか?全くわからないからだ。

オンラインのエンドユーザーのサイト内行動も、なぜそこで止まったのか?そのバナーをクリックしたのか?実は昔ほど明らかではない。

こんなことで世の中が回るようになったのは、データ至上主義になったから、クライアントをそのデータで説得できる…それにお金を払うようになっただけの話だ。
外注するスタッフも、例えばあったことのない人だったり、スキルは書いてあるが実際の能力はわからない。

これって、何かのゲームプログラムか幻影だったりしないだろうか?というか、ゲーミフィケーションじゃないが、実務自体がゲーム化してないか?
お客さんの売上なんて、ホントは上がってないんじゃないか?

実はサブスクリプションサービス化しはじめてから、売上ってなんか怪しい。価値を感じなくても、利用しなくても保険とか思ってずっと払い続けてしまう。開発したものをショットで売っていた時代と比べると売上の価値がモノの価値からブランド価値みたいなものに移行してしまった。
これはモノが動かないコンテンツやクラウドシステムの利用・販売だと益々冗談ごとではなくなる。例えば月額1000円とか2000円とかの利用料のサブスクプログラムならば仕事ではさして気にならない金額。全く使わないかもしれないし、実際に一年で2回くらいしか使わない人もいるだろう。
それって
何となく必要そうに見える薄い価値のサービスを、物流不要のネットにばらまくだけで、10,000人くらいの人がご飯を食べられるってこと?

周りを見回すと、データはAPIを叩くと勝手に飛んでくるけど、それの出所や信憑性は実はよく分からない。
この狭いスマホ画面の中の
さらに限定的な行動しかできないSNSとかアプリの中で振舞っている僕たちは、実は特殊な歪んだ自分を相手に対して見せていて、
相手もその特殊な反応を見て一喜一憂してる。

データという名の魔物は、水戸黄門の印籠のように上司の説得には機能するけど、それは結構いい加減なプラットフォーマーの思惑で作られたロジックなのだ。
我々は、似非の科学風魔法陣の中に閉じ込められでいるんじゃないか?
実は全部嘘でした!ってことにならないだろうか?

そこはプラットフォーマーが作った、便利で安全そうな空間。
だけど、すごく重いもの、深いもの、激しいもの、熱いもの、繊細なもの、広大なもの、等はほぼ表現できない、提供されない。
衝撃とか決定的な気づきとかがないから大したお金は払わない。でも継続的に払い続ける。小さ過ぎる劇場だ。

逆説的だが、このことはモノとコトの価値を減衰させて、消費することの意欲を減らした。死ぬほど欲しい!という気持ちが湧かなくなった。
そして、どんな偉大な人も、このミリスケールの空間に入ると、ミクロな普通のヒトになってしまう。キャラ化されてしまうのだ。