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会社が嫌じゃないのに、ひょいっと転職してしまった人の話

4ヶ月前。私は爆音で音楽を流しながら、会社のトイレに駆け込んでいた。

この言葉を発してしまったら、もう後には引けない。もう元には戻れない。そういう瞬間は、確実にある。

その日、私は7年間お世話になった部長に、辞意を伝えた。

めったに自分の感情を表に出さない部長の目が、一瞬泳ぐ。
事情を聞き、引き止めつつも私の選択を応援してくれた部長を前に、涙が堪えられなかった。

話し終わったあと、びしゃびしゃになったマスクもそのままに、イヤホンをつけて「若者よ、耳を貸せ」を延々と聴いた。

「これでよかったんだ、大丈夫」と自分に言い聞かせながら。

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昔からとにかく好奇心旺盛で、誰にでも話しかけるし、紙芝居があれば最前列で目を爛々とさせて聞く。外では所構わずひょいっと木に登って叱られる。そんな子どもだった。

大人になった私は、知らない世界を見たいという一心で、インフラ設備、いわゆる「プラント」を建設する歴史ある企業で働くことになる。

新卒で入社してから7年間、営業の最前線に立った。自分の営業次第で何億、何十億ものお金が動く。そのダイナミックさと裏腹に、繊細なお客さんとのやり取りや技術の積み重ねがある。そんな仕事の奥深さにのめり込んだ。
寿命が縮まりそうな瞬間を何度もくぐり抜け、いつも嬉しくて悔しくて。気づけば、おじさんばかりの営業部の中で「受注王」と言われるまでになっていた。
どんなに帰りが遅くなっても、オフィスの敷地内にひとりぼっちになっても、まったく辛くなかった。入札までの1分1秒が、受注に近づいている実感があった。端的に言えば、やりがいがあった。

それなのに、辞めた。

関わる人たちは、派手さはなくてもユーモアがあって、内に秘めた熱さを持つ人ばかり。偉い人でも気どらず、男の人はちょっと気弱で、女の人はだいたい強めな会社のみんなが、大好きだった。
入社7年目までのメンバーで結成した「若手営業会」なるものを率いて、先輩や後輩と営業について夜な夜な熱く語り合ったり、業務改革チームの一員として経営層へ会社の未来について真剣に提言したこともあった。
会社からいなくなる素振りなんて、ただの一度も見せたことはなかった。

それなのに、辞めた。

そして今、とてもありがたいご縁があって、これまでとは全く別の業界で、また一から経験を積ませてもらっている。

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なぜ私が、そんな思い切った決断ができたのか。なぜ、泣くほど苦しんでまでその決断をしたか。

その理由は至ってシンプル。「自分を前進させたかったから」だ。

だんだんと慣れて楽をしてしまうよりも、常に最大のエネルギーで、全力で、人生の中をもがいていたい。
それが成長に繋がるのだと信じているからだ。

それに、「編集」という仕事はとても面白そうに見えた。人生をかけてチャレンジしてみたかった。

それだけだ。

それだけで、私はこれまでのすべてを、一日の中で一番時間を費やしてきた仕事自体を、がらっと変える決断をしてしまった。

こう簡単に書いているが、簡単な決断だったわけではない。
正直、とても苦しい決断だった。頭では進むべき方向がわかっていても、その先が照らされていなくて真っ暗だから、怖かった。どこにいるかを問わず、ふと大好きな仲間の顔が思い浮かぶたび、目の前が滲んだ。
ほとんど誰にも相談しなかった。決断する前に少しでも言葉にしてしまったら、アロンアルファみたいにその時出た表現のまま自分の意思が固まってしまう気がして。

最後は、「この限られた自分の人生の時間を、何にいちばん費やしたいのか」という判断基準で決めきった。

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会社を辞めると決めたあと、自分の口から、社内外含め100人以上の人に直接挨拶させてもらい、最終日まで休まず勤務した。
この会社の社員でいられる時間は、最後の瞬間まで職務を全うしたかった。

辞める時、思いがけずたくさんの人から贈り物をもらった。

寡黙なベテラン技術者が、ちょっと照れ臭そうに名入りのボールペンをくれた。
現場たたき上げのおっちゃんが、「どこででもやっていけるって、俺が保証書書いたるわ」と言ってくれた。
新入社員の頃から面倒を見た後輩が、長い手紙をくれた。いろいろ思うことはあるだろうに、第一声、「おめでとうございます」と言ってくれた。
死ぬほどお世話になった先輩が、一言も私の決断を否定せず、挨拶周りに専念できるように仕事を引き取ってくれ、ただ「頑張れ」と何度も何度も言ってくれた。

たくさんの愛をもらった。
こんな身勝手な決断を、みんなが応援してくれた。

だからこそ、大好きな会社に恥じないように、私は成長したい。

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今の時代、転職したと言ったら必ず、「どうせ前の会社が嫌だったから辞めたんでしょ」と思われる気がする。
だけど、私みたいな人もいることを知ってほしかった。だから、私の本心の、生き様の証明として、このnoteを書いた。

そりゃあちょっとは嫌なこともあったけど、楽しい会社生活だったんだ。それはどんな決断をしたとしても、変わらない事実だった。

私はおそらく、これまで死にそうになった過去も、思い出したくないほどの体験も、ものすごく不幸だったこともない。ずっと順調に、幸せに暮らしてきた。
だからこそ、その恩返しとして、自分の存在を社会に役立てなければならない。何故かはわからないけれど、中学ぐらいから漠然と、でも確実に、そう思ってきた。

ただ。この瞬間も伝わると思うけれど、正直まだまだ不安だ。この決断は正しかったのか、本当に自分はパワーアップできるのか。
「辞めたら心底すっきり、もう昔のことなんて忘れました〜」なんて転職者の話も聞くけれど、私にとって転職という決断に伴う感情は、そんな単純なものではない。

「一生懸命だったことや会社のみんなを好きだという気持ちは嘘だったんだろうか」とか、「こんな決断をしてしまうなんて、自分は自分でなくなってしまったんだろうか」とか。そんな感情が、頭によぎる時もあった。

そういう時は、今のボスである編集者の柿内さんにもらった言葉を思い出す。

「子どものころ目の前に木があったら登っちゃったように、大人になった今も、目の前にチャンスがきたら乗っちゃう。生まれ持った気質は変わってないってことだね。」

よかった。少なくとも自分は自分だ


ある人から、「世の中、好きな人と嫌な仕事をするか、嫌いな人と好きな仕事をするしかないものだ」と言われた。でも、私はそんなことないと思う。そんなことないと信じている。

いつか、もっとパワーアップした自分になって、もっとたくさんの人の役に立てるように。
出会ってくれた人たちに感謝して、これまでの道のりに誇りを持って。
何よりも自分を信じて。

決意表明をここに、まだまだ修業は続きます。

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大西志帆 @shiiihooo6

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