難しい牛丼の話

牛丼にどれくらい肉が乗っていたら牛の死を意識することになるのかな。ラーメン二郎で野菜マシマシで注文したときに出てくるもやしくらいなのかな。確かな量はわからないけれど、ある程度、牛肉が積み重なると、その肉の山は形を変えて小さな牛になるんだ。そこには死んだはずの牛の意志が宿る。牛の意志って魂みたいなもので、それを人が感じ取って牛の死を意識するんじゃないかな。そして、誰かに死を意識された時、初めて牛は自分が牛丼になったことに気づくんじゃないかな。


すべての牛には共通意識があって、牛丼になったことを自覚した牛は、牛小屋で眠る牛と意識が繋がってるんだ。牛丼のことを思い浮かべるようになった牛小屋の牛は、牛丼という概念を知らないから、何を思い浮かべているか自分でもわかっていないんだ。それなのにずっと牛丼を意識している。つまり、その牛は牛丼を意識しているが、それが牛丼であることを知らないんだ。思い浮かべている牛丼が牛丼であることを牛に教える人がいる。残酷な話だ(食べ物の話はきまって残酷)。それは牛にとっての「いのちの授業」かもしれない。


精神的な牧場で2頭の牛が会話を始めた。

牛丼になった牛「お前は、俺か?」

牛小屋で眠る牛「俺は、お前か?」

牛丼になった牛「今、牛丼が死んだよ」

牛小屋で眠る牛「みんな、いるね」

牛丼になった牛「牛丼が、死んでいった牛丼たちと、どこかで、出会えた」

牛小屋で眠る牛「知ってる」

牛丼になった牛「牛丼が、牛丼を全うして、たどり着くべき場所にたどり着いた」

牛小屋で眠る牛「俺もいずれ、そこに行くよ」

 

小さい頃からお金をもらうことが好きでした