女の子に唐揚げをもらったことがない

毎年バレンタインが近くなるとまあまあ大きな声で「俺はチョコじゃなくて唐揚げもらいたいんだわ」と教室中に言いふらしていたが小中高含めて結局唐揚げをくれる女の子は1人もいなかった。溶かして固めてなんかの型で形作った変に凝ったものやその辺のデパートの地下で買ったちょっと高価なチョコなんかより醤油と砂糖と生姜のタレに漬け込んだ鶏もも肉を揚げたカリカリ熱々の美味しい唐揚げを俺はたくさん食べたかったんだ。わざわざ別のクラスにまで来てチョコをねだるやつがいたがそいつらを見るたびに「なんでチョコなんかでこんなに必死になれるんだろう?俺は唐揚げじゃないと動かないぞ」と断固とした態度をとっていたくらいで、今でもバレンタインは女の子が唐揚げを渡す催しになればいいと思っている。そんでホワイトデーでは男の子が唐揚げを作り返すのは面倒だから1切れのレモンを渡す催しになればいいと思ってる。それは、適当なこと書くが、女の子にはフルーツがよく似合うからだ。仮にそんなイベントがあったら当時の俺も血眼になって「唐揚げくれ!唐揚げくれ!」とアホみたいに学校中を駆け回っていたかもしれないが、今はお金がとにかくないのでチョコより唐揚げよりタバコがほしい。GODIVAより、数々の金賞を受賞した唐揚げより、ピースライトがほしい。あの頃「ピースくれ!ピースくれ!」と廊下を走り回って言っていたら学校のみんなは戸惑いながら俺にチョキを見せるだろう。「いや、違う、そのピースじゃなくて、お、お前ら、、なんにもわかってないなあ…」。そもそも小中高の時点でタバコねだってることがリスキーすぎて若干無理のある妄想になってしまっているが。まあバレンタインが唐揚げやタバコを渡すイベントになったところで俺にくれる人は1人もいないんですけどね、という反吐が出るほど普遍的な定番すぎるオチで話は終わらない。先日少し早いがGODIVAのチョコをもらった。もちろん本命とかではなくバイト先で配られていただけだ。中はねっちょりしていてあんまり美味しくなかった。アルフォート3箱とかで良かった。うん、自分でも人として終わってると思う。人からなにかもらえることのありがたみは決して忘れてはならないんだ。あげることに慣れたとしても、もらうことに慣れてはいけない。ただ、なにかをあげて「ありがとう」以上の見返りを求めている偽善者にだけはなりたくない。そういうやつは一生損得勘定に支配されながらこの資本主義競争社会の中でメリットデメリットにとらわれた選択をし続けてあなた様がより良いとしている幸福に向かって突き進むがいい。とか言っているが、好意的に思われたくてプレゼントすることはきっとこの先俺にだってあると思う。結局人間ってのは自分に利益があるように動いていて、そのために差別を行い均等を否定する。とすれば、さっきの偽善者うんぬんの話は完全なる綺麗事だ。俺の中での平等は敗北した。俺はまどマギのアルティメットまどかがすべての魔法少女救ったみたいに誰よりもみんなに平等でありたいと思ってたが、そんなことは綺麗事だったし、平等を実現できたとしても、誰にたいしても同じ距離を保っているやつなん人間的に面白くない。優しさか面白さをとるなら現段階では後者を選択する。だから不平等な差別主義者に対して俺はごちゃごちゃ言うことができない。言う権利がない。なんで女の子が好きな男の子にチョコをあげるとてもハッピーなイベントの話でこんな差別とか不平等という悲しい言葉が出てきているんだろう。俺たちが動物である限り、本能的に競争というものはなくならないし、差別もなくならないということだ。だから慈悲団体がやってるムーブメントは「なるべく差別を減らしていこう」というわけであって完全な平等を目指している訳じゃないんだ。やっとここまでたどり着きましたよ。賢いみなさんはとっくのとうに気づいていた事実でしょうが。こんな人より成長が遅れている人間ですがどうぞこれからもごひいきに。


小さい頃からお金をもらうことが好きでした