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誰かの手を取る日、取らない日、両方あっていいんじゃないでしょうか

「最近の楽しみは何ですか?」

誰に聞くとかではなく、私はよくこの質問を自分自身に問いかけます。仕事に趣味に全フリの私は、毎日とにかく笑って過ごすことに拘っていて、傍から見れば「悩みがなさそう」と本当によく言われてきたけど、そんなはずもなくて。

たくさん悩んで、一人の時間は苦しくなって、それを打破すべく勉強をして考えて、そんな日々の中でプラスの感情を見つけたら誰かと分け合って。そうやって一日一日を大切にしてきました。でも「悩むこと」が嫌いなわけじゃないのも、私の一つの性格。

正直その場で、「あ、もう無理だ」と諦めそうになったことなんて、沢山あるはずなのに、人にネタとして話せる内容にいつの間に変わっていて、「一体何が私をあそこまで悩ましたのか」それすらも曖昧にしてしまう、そういうところがあります。

きっとそれは自分の中で考えて考えて考え抜いた末、自分のポジティブになるようにうまく解釈して、「もう同じことはしないようにしよう、良い勉強だった、さぁ次行こ!」に、どれだけ時間がかかってもそこまで考えが変わるまで諦めない・投げ出さない、ある意味粘着質な所が良いように働いてくれている結果なんだろうな、と。


あとは、自分の憧れが明確にあることが良い働きかけなのかもしれないな、と。

私は昔から「女性」に対しての憧れがなくて、いつも「プロ野球選手」とか「パッションのある男の人」とか、なぜだか男の人の強い内面に憧れることが常でした。「可愛くなりたい」よりも「格好良い強い人間になりたいな」が自分の頭の一番にあるから、外見よりも中身をしっかり保とうと思って、そういう理由で沢山の本を読んでいた勉強をしていた時期も学生時代にはありました。

そして今でもあきれてしまうけど、憧れは変わることなく「格好良い強い」人。悩むと、「あの人だったらどう考えるんだろう」「どういう選択をするんだろう」と会ったこともない一方的に憧れ続けているメンターのことを考えてみると、冷静に俯瞰的に自分と向き合える実感があります。そういう乗り越え方の積み重ねで、「納得するまで考える癖」は出来上がったのだと、自己分析しております。


悩むことは苦しいです。でも悩むことは成長です。
悩みがない日々、楽しい瞬間がデフォルトだったとしたら、それはそれでつまらないでしょう。昨日と違う自分に進化しているから、ただ新しい悩みが生まれている。それだけなのでは?とすごく単純に思うんです。

誰かと喜び悲しみを分け合えることは勿論幸せです。
でも一人だから越えられた壁が実在するのも事実です。それって相当誇らしいことじゃないのかな。寧ろそっちのほうが、格好良くない?

誰かの手を取る日、取らない日、両方あっていいんじゃないでしょうか。

そんなこんなで今日の私は朝9時に、中学生の頃の友人から配達でワインが届きまして、朝から美味しくいただき、幸せなふわふわした気持ちで読書をはじめ、酔いがさめてきたら勉強へ切り替え、そして今久しぶりにnoteを開き、休憩がてらに投稿しております。

明日から月曜日ですね、憂鬱なんてぶっ飛ばして、精一杯できることをして、笑って過ごしましょう!!

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