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【フランス生活#5】「時間がある/ない」での心のゆとりって違う

鶏肉を切っていて。

あれ、そういえば、日本で働いているときは、とにかく手間をかけないでって、調理していたなと気づく。

私は鶏肉が好きで、よくむね肉を買ってきては、一口大に切って、塩で仕込むことをしていた。

それも、大学院の時間のあるころはよくやっていた。
しかし、社会人になり働き始め、平日にはやらなくなった。
やるとしても、できるだけ時間のある休日にしかやらなくなった。
さらに、それもやっぱり時間がかかるから、と包丁で切っていたのをキッチンバサミへ変更した。洗い物が減って数段手間は減った。
最近は、切るのさえも時間がもったいないなと考え、むね肉→ささみへ。
切ることをやめた。

なんでそんなに時間に追われていたのか。
仕事で帰りが遅くなったからか。
そういえば、仕事から帰っていろいろやっていると、一日が26時間だったらなぁと思うことが多かった。

時間は有限だ。
一日のなかで自分自身でコントロールできる時間が増えることは、もちろん幸せだ。
だが、自分でコントロールできない時間にこそ、自分の知らない自分へと導くチャンスが多いのではないかと思うことも多い。
その時間が充実していたかというのは、あとからわかることだったりする。
有意義な時間の使い方とは、何だろう。


そして、また時間ができた今、大好きな鶏むね肉を一口大に切っている。
音楽など一切かけず、ただ無言で生肉を見つめている。
時間があって、無になっているような、瞑想しているような時間が増える。


そして今日はふらっと立ち寄ったスーパーで、アクリル絵の具とキャンバスを買った。

また瞑想時間が増えていく予感がした。


まとまらない頭の中。
2022/11/16

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