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サイボーグ化した未来の私達も「食」べ続ける

こんにちは。椎茸祭の竹村です。
最近めっきり寒くなり、汁ものが美味しいですね。鍋も最高ですし、出汁が効いてるって本当に大事だなあとしみじみ思ってます。

僕は2017年に椎茸出汁の会社、㈱椎茸祭を立ち上げました。
それまでは大手企業で営業ぽいことしたり、プログラマをしたり、プロマネしたり、アート空間開発したりしていたのですが、エイヤっと「食」の領域にこれからのキャリアを投じてみました。

会社を辞めてから椎茸祭を立ち上げるまでに(不安で)考えた、どういった点において「食」に未来があるのか。自分の中を整理する意味合いで文章を書いてみました。

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未来の設定を定める

まずは「どういった点において「食」に未来があるのか」の未来に対して、いつ頃のどんな未来なのかを具体的に設定する必要があります。
では、どんな未来を設定すればいいのか。

車が空を飛ぶような未来
?ドラえもんに出てくるその世界は、セワシくんの生きている22世紀ですし、ポルノグラフィティが2000年に車もしばらく空を走る予定はなさそうさ、と告げてもう20年が経とうとしていますが、まだすぐに飛ぶ予定があるとは思えません。


こういったときは
もう既に起こり始めているがまだ完全にはやってきていない世界
を設定して話を進めることにしました。

僕個人の予想としては、物質的な不便さをテクノロジーで解決することで「障害」が「障害」でなくなる時代は、既に起き始めていて近いうちに実現されると思っています。

2019年の今現在の世界で、脚がなく義足であっても健常者のアスリートよりも早く走れる方がいます。(言うまでもなく彼のアスリートとしての才能や努力あってこそです。)そして今後は人間の身体的な能力拡張よりも義足などの技術拡張のほうが早く進んでくるように思います。

私の父はパーキンソン病に罹っておりまして、手元が震えてうまくものを掴めなくなりました。元々は調理師でシェフをしていたのですが、一番好きだった料理も絵を書くこともかなりしんどくなったそうです。

パーキンソン病は完治するのが難しい病気だと言われています。でも、きちんとものを掴み、自由に動かすことができる見込みがあるのであれば、腕を交換することは今後できるようになる気がしています。そして必死にリハビリしたとしても、腕を自由に使い、また料理したいのではないかと思うのです。

今は簡単には言えないですが、今後は物質的な不具合をサポートするために器具を入れたりテクノロジーで解決する。人間がまるごとロボットになるまでいかなくても、人間の身体の部分部分を交換できる世の中がやってくると思っています

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身体のどこを最後まで使うことになるか

では、そういった世界において交換が難しそうなところはどこか。
福岡伸一さんは動的平衡という本のなかで「人間は考える管である」と仰ってましたが、動物も植物も基本的には管なんですよね。

人間が管周りであり続けるとすると、頭→口→胃腸〜といった管部分は最後まで残るんじゃないかと僕は想像しています。たしかに、想像してみると心臓ポンプ機能よりも、胃腸の栄養吸収機能は技術的に真似するのは難しいかもしれません。そして胃腸などの栄養吸収する部位がなくなったら身体に栄養を送るためには点滴しかありません。

けれども人間の三大欲求の一つは食欲ですから、生きることができても「食べたい」という気持ちはきっと残り続けるでしょうし、消化吸収機能だけは元の身体を使い続けるように想像しています。

いずれ来るこの未来を見据えた上で多くの人に喜んでもらえる商品を作る。
そうすれば一番安牌に見えるけれど顕在化していないニーズを探していくことができる(*)。そしてまだ誰もこれをやっていないのであれば、自分がやっていったほうがいい。そう思い「食」のジャンルに足を踏み入れました。

*長くなるので割愛しますが、個人的には、資本主義において今後も日本は中印を超える経済大国になるとは思いにくく、ニッチだけど文化資本を持った国、企業としての戦い方なのではと思っています。

*また、余談ですが、攻殻機動隊というお話では睡眠も食事も必要のないはずなのに食べたくて食べてるという描写があるそうです。いやあバトーさん、ぼくも同感です。


*下記のnoteで具体的な起業までを書いています。
もしよろしければ。

長い独り言を読んで頂きありがとうございます。。
面白かった、スキ!などの言葉を原動力に頑張ってます。
引き続き、どうぞ宜しくお願い致します。

いつも応援ありがとうございます。皆さまのおかげで元気に記事をかけております!引き続き応援よろしくおねがいします〜!!すこしでもやさしい世の中になりますように🍄