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育児漫画「言い方」の時に感じた”話を流さない”ありがたさの話

上記の漫画「離乳食を食べない相談」を最初に行った時、保健師さんの語彙力すごい!と思ったのだけど
もう一つ、すごいと感じたことがある。それは「話を流さない」ことだ。

答えが無いことは、言われた相手も居心地が悪い

脳は、問題に対して答えを出したがる器官だと聞いたことがある。
だから、答えがなかったり、答えがむつかしい問題にあたると
答えを出すまで永遠と考えてしまい
とても疲れたり、居心地の悪さを感じたりするらしい。

娘ふーみんの「離乳食食べない問題」を保健師さんに相談する前に
友達やネットの掲示板に愚痴をこぼしたり、相談したことがあった。
その度に「心配しすぎだよ」「気にしすぎ」「成長とともに解決するからどーんと構えて」「ベビーフード使って楽しなきゃ!」と言われてきた。
時には「母親なんだからそのぐらいのことでオタオタしては先がおもいやられますよ(笑)」なんてたしなめられたりもした。
積極的に話題を流された。
私の悩みの唯一の解決法は「問題に目を向けないこと」のように言われた。

問題に目を向けすぎるのはよくないこともわかる。
視野が狭くなり、状況が悪化することがあるのもわかる。
大方の問題は「考えすぎ」が状況を悪くしてることも知っている。

そして、愚痴を言われた相手だって困る。
言われる側も明確な答えがない問いは座りが悪いし居心地が悪いものだ。
しかし、目の前の相手が困っていたら助けたいと思う。
「答え」を言いたくなる。しかし手持ちのカードに「明確な答え」はない。
その時発動しがちなのが「うーん。考えすぎだよ。大丈夫だって」の流す会話なんだと思う。これは一つの「答え」で「正解」でもある。
上記のように「考えすぎが招く状況の悪化」が往々にしてあるからだ。
考えるのをやめた時、解決した経験がみんなにあるから体感としてもしっくりきやすい。
わりと万能な「答え」だと思う。
私も答えがわからない問題を相談されると、ついつ言いがちなセリフだ。

流されることによって不安が増幅した。

でも、この時はその「流される言葉」は私の考えを止めるより不安を呼ぶだけだった。
流されるとすごく落胆した。
なんだか手にもっている不安を「あ、これ触っちゃアカンやつや」ってみんなが見て見ぬふりをしているような。
いざ大変なことになった時に「まぁ…××が原因かなって気づいてはいたんだけどねw」って言われる「私だけ気づいてなかった」みたいな状況なのでは?と。
そのうち、どうしても話を流されてしまう私は、流すに足る理由をつけるようになっていった。
「ふーみんは神経質」と。
ふーみん自体が悪いのだと思うようになっていったような気がする。
とにかく「理由」が欲しかった。もしくは話題を流されたくなかった。

その保健師さんは流さなかった

最初に相談した保健師さんは流す言葉は言わなかった。ただ受容と言い変えだけ根気強くしてくれた。
一度も「お母さん考えすぎ」とは言わなかった。(今思い起こしてみると、彼女は私を「お母さん」とも言わなかった。絶対「青鹿さん」と名前でいってくれていた。これもすごい)

会話がループしても「なるほど。それは青鹿さん困るわね」「相談室でも相談のツートップが寝ない、食べないなのよ。この地域だけでも年間何千件とあるの。悩む方が多い証拠よね」と受け止め、時にプロとして知っている数字などを出した。
私が「とても神経質な子で」と言えば「そうなのね。慎重な子なのね」と
言葉を繰り返しながら言い換えた。

二度ほど言い直されたタイミングでさすがの私も気づいた。
この人は意識的に言い直している。そして意識的に会話を流さずにいてくれている。
目の前の人間は私の言葉を一言一句逃さず慎重に聞いてくれているのだと。
この保健師さんにとって「流す話題ではない」ことを態度で根気強く示してくれている。
これが感じられた時点で私は八割がた満足した。
私が感じていた大きな不安は、よくみたらそんなに大きな不安でない気分になっていたのだ。

誰かが「見て」くれたから私は「見ない」ことが出来るようになった

満足がいくほど「会話を見て」もらった私は、この問題を「少しだけ見ない」ように出来るようになった。
あれだけ流せなかったのに、誰かが最後まで見てくれただけで
問題が「確かに気にするほどのことでもない気がする」となったのだ。

私は不安という名のゴウゴウと流れる川を一人で見るのが怖かったのだ。
この川が万が一反乱してしまったら!?この川を見ているのは私しかいないから私しか止められる人がいない…!そういった恐怖だ。
でもあの時の保健師さんは一緒に不安の川を見てくれた。
私は一人でこの怖い川をみないで良いのだと思えた。それだけでとても安心した。
人と一緒に見る川はあまりゴウゴウと音をたてていなかった。
だから私は安心してその川を見ないで良い選択が取れたのだ。

不安の川を一緒に眺める

ポジティブな言葉に言い換えるのももちろんなのだけど
一緒に不安の川をただ眺める…それもとても大切なコトなんだな…と思った。
ついつい私も流しがちだったりする誰かの「不安」
もしこの先ふーみんがなにか私に不安を言ってくれる機会があったら、あの時の保健師さんのように一緒に眺められるようにしたい。
気の利いたコメントや、お説教や叱咤激励でなく。

ゴウゴウと座りの悪い音をたてていて、ついつい見ないようにしたくなるかもしれないけど
一緒に眺めたら割とその川は音をたてていないことに気づけるかもしれない。
一人で不安の川を眺めるのはとても怖いから、私も一緒に眺められる人になりたいと思った。

おまけ

ちなみにこっちは隣で相談を受けていた見知らぬお母さん。
すごく嬉しそうに息子ちゃんの話をしていた(´▽`)
本当…変換の語彙力って大事だね!!!!!

この後、一度は「のんびり待つか」と思えた離乳食食べないマンは
さらに食べないマン口開けないバージョンに進化して
また私はアタフタしながら、今度は相談の仕方について学ぶのだけれど。
それはまた今度。どこかで描いていこうと思う。
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