外部記憶装置ならぬ、外部日常記憶オットのありがたさ

昨日は娘の夜泣きで私はくたくたに疲弊したにも関わらず、午後自分のやりたい事が自発的に分かるほどに復活したことがとても嬉しかったのでnoteに書いておこうと思う。

・昨日のあらまし
・オット君がしてくれたこと
・私の好みや気を付けていることを覚えておいてくれたこと
・外部がもたらしてくれる日常はまさに外部記憶装置

昨日のあらまし

昨日は娘ふーみん(8か月)が新生児ぶりといって良いほどの手強さで夜荒れた。
1時間起きと言っても過言ではないほど起きては泣き、その度に対応する私の夜は死んだ。

私はもともとあまり睡眠が得意な方でなく、
夜中眠りかける度にふーみんに起こされて、とうとう眠り直すことが出来なくなった。
明け方、暗い寝室で泣きはらしたふーみんの寝顔をみながらボーっとスマホを見るしかできなかった。
いつもなら「よし!こうなったら朝活だ!この貴重な時間に漫画かくぞ!」
となるのだが、大好きな漫画を描く気力もごっそりと抜けていた。

そして、次の日の午後(今なんですが)すっかりと回復している。
それは私がタフだからでも、切り替えが上手だからでもない。
午前中、せっせと私の日常をもってきてくれたオット君のおかげである。

オット君がしてくれたこと

こまかく朝の一例からあげると膨大な数になるけど
今回書いておきたい、と思ったことは2つ。

1・肉体を休ませてくれたこと
2・私の好みや気を付けていることを覚えておいてくれたこと

この2つが私の午後を取り戻してくれた。
1はわかりやすい。そして私も人にしてあげることが容易だったりする。
休んだ人の変わりに仕事をしたり、休む方向に水を向けて休みやすい環境を作る。
オット君は私の朝のタスクをすべて「今日はいいんじゃない?××も〇〇だし」と
すべて要因は外部のせいにして私が布団に入りやすい状況を作ってくれた(台風だし、という言い訳には少し笑ってしまったが。私はカメハメハ大王の子か!!)
私のせいではないから…ととても休みやすかった。私は休むのに理由がいる面倒くさいタイプの人間なので、この言い方は大変助かる。

私の好みや気を付けていることを覚えておいてくれたこと

とりわけ今回「2」がありがたかった。
なにをしてくれたかというと「お気に入りのパン屋さんでお昼ごはんのパンを買ってきてくれた」「カフェインレスのコーヒーを買ってきてくれた」
これだ。
おいおい、これ子どものお使いでもできらぁよ…と言われそうだけど、これなかなか出来ることではない。
少なくとも私と日常をすごし、私の日常会話に耳を傾けて、なおかつそれを覚えておいてくれないとできない。誰にでも出来ることではない。

まず、パン屋のパンは私がオーダーしたパン1つとあとは適当にオット君チョイスのものだ。
この「なんか適当に買って来てもらう」は大変楽なのだけど、すごくわがままを言うと「うーん…ちょっと違う」ということが多々ある。
これは相手が悪いわけじゃない。
魔法使いでもないので他人の「今食べたいもの」なんて100%他人がわかるわけない。だから「適当にお願いね」という時、私は100%適当で良いと思っている。
今日はとりわけ疲れていて「自分の食べたいものを考えて頼む」ことが困難だったので適当にお願いした。私は私の食べたいものを考えることすら億劫だった。そのぐらいには疲れていた。

私は娘のお世話が大変な時はよくチョコを好む。なぜかはわからないけどチョコが猛烈に食べたくなるのだ。
今日はチョコ入りのパンが入っていた。オット君の好みからすると絶対に買わないチョイスだ。そして「おやつに良ければ食べれば?」とチョコケーキまで入っていた。

そしてパンと一緒に家から少し離れたコンビニのカフェインレスコーヒーが入っていた。わざわざ遠回りをして買ってきてくれた。
我が家は混合育児だ。ミルクもあげるが母乳もあげている。
少量のカフェインは母乳に影響がないと言われているのでそこまで神経質に考えず普通のコーヒーも飲むが
いつもとふーみんの様子が違う日はとても気になる。そんな日は私はカフェインを好まない。

外部がもたらしてくれる日常はまさに外部記憶装置

おいおい、で、それのなにが回復につながるんだよ?って言われそうなんだけど、上記は私が元気な時に選ぶチョイスだ(日によって変わるがおおむねこんなチョイスは多い)
それは私が私である時になんとなく選んでたりする。
今日は疲れてしまって私は私であることがとても困難な日だったのだけど、オット君が外から「いつもの私」を運んできてくれたように感じたのだ。
私の好み、私の疲れ、私のこだわりを総合的に判断して買ってきてくれた

私は今まで、私が私であることは私しか出来ないと思っていたのだけど
オット君が私を覚えていてくれたこと、まるで外付けHDDのように
「無くしたと思った昨日までの作業データがこっちにあった!これで勝てる!!」
という気分になった。見失ってしまっていた私をもってきてくれたのだ。

産後、妻の世話を夫が頼まれる機会が増える…が、してあげたのに妻は不満そうだ…なんて記事をよくみかける。
もっとスペシャルな、サプライズ的な、劇的なことをしないと喜ばれないのか、なにをしたら正解なのか!わからん!なんて文言もみかける。

私は、私が私である日常を外部が覚えていてくれること、それを持ってきてくれること
それがとてもありがたいな、と思った。
特に産後は見失いがちというか酷いときは「私とは?」となる。
今まで築き上げてきた私という名のHDDから私構成ファイルが消失してしまっているような日だってある。

特別でもスペシャルでもない、日常の積み重ねによって記憶してもらっていること。
私のかけらを集めてくれること。それをインプットしていざと言う時アウトプットして手渡してくれるありがたさ。
今回改めてありがたく感じたので私もオット君にとってそういう外部記憶装置の部分をもっておきたいな、と思ったお話。


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