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また、夏が始まる!

今日は午後からの仕事だったのだがせっかくの晴天なので珍しく早めに家を出ては職場方面へと向かった。朝の日差しは眩しく、山々はあっという間に心地の良い新緑を芽吹かせては、それを風に遊ばせている。花粉もほとんど収まり窓を開けて車を走らせる。道路沿いの山々からは様々な鳥の声が行き交う。まだ乾燥した空気が続くのに、不思議と高く響く。いつものコンビニに車を止めて朝食を買い、車中で食した。夏の日和に胸いっぱいの僕はお腹まで満たされる感覚が続く。数口食べると満腹になって、それよりいつまでも新緑を見つめて、その木々が生み出す空気を思い切り吸い込みたかった。何度吸って、何度吐いても満ちることのない初夏の空気を僕は、もうどこでも吸えるんだな、とうふと気づいただけで今日一日が最高の日になる予感が過った。

読書の秋、というが。僕の場合は夏に読書は付随する。(まあ、ありとあらゆるものが夏に付随し、その他のあらゆる季節には、僕は茫然自失を極め空蝉と妄想の間を揺蕩っているのだが。)

夏が近づくほど本が読みたくなる。あの大木の陰や、窓から入ってくる夏の風と、その熱気をゆるめてくれる時の遅延するようなカーテン。あのふわんふわんとしたカーテンを見て、風を感じるだけでぼくはいつまでもいつもまでも本を読んでいられる気がしてくる。そして実際読書に更けて、なんど蛍光灯の明かりにやっと我に返ったことか。夜もまたいい。他の季節であらば夜は負のたまり場にしかならぬが、夏にそれは特別の場所へと生まれ変わる。7時を回ってやっと世界を網羅できる闇は、その頃には疲れ果ててへとへとになって、恐怖という威力を発揮できなくなる。その上人らは夏の太陽によって他の季節より自身に満ち溢れているからせっかくの夏なのに物足りないと”肝試し”などと自ら言って、奇々怪々、不可思議、妖かしに向かってゆく。暑さを忘れるためというよりも、刺激を求めることが理由ならば、なぜ人は夏に過剰に刺激を求めるのか、夏になぜ人は衝動に駆られるのか。太陽の施すビタミンDだけが理由なのか。とにかく夏とは四季の中でも特異で、不可思議で、それ自体が奇々怪々なのである。僕は一体、なんでこんなに夏が好きで好きで仕方ないのだろう?夜になくホトトギスの声も、そう思って聞けばきくほど不思議な声に聞こえる。キョキョキョケキョキョキョ、なんで夜中に鳴いている?でも君が時々鳴くのが嬉しくて、そのうち眠ってしまったりもするよ。

風鈴をいつ出そうか、迷っている。まだ少し夜に聞くには涼しいから、もう少しもう少しと待っているのだけれど、この待っている時間がまた楽しくてしかたない。網戸にたかる蛾も、僕は愛しくて愛しくて仕方ないよ。すべての夏の風物詩を、僕は愛せるなあ。

旅にもでたくなる。そんな遠くなくて良い、自然豊かなところに川を見つけては車を止めて、川の音を聞きながら本を読むでも、ただ景色を眺めていてでもいい。夏なんて始まればあっという間なんだから、いくらでも体感していたい。実感していたい。そして夏が過ぎたなら匂いや、風のぬるさや、つよさや、手のひらにあたった形や、縁日の明かりの色や、祭ばやしや、夏独特の車の滑走音や、すべてを記憶して、記憶と言うか身に焼き付けて、その熱を次の夏まで保ちたいと思うのだ。

夏の夜、熱帯夜、寝付けない夜朝の光がカーテンの隙間から差し込む。結局ラジオを聴いて朝まで過ごしたが、夏の朝はいつも清々しくて。夏の寝付けない夜は貴重だ。もうクーラーがまかせろっていうから無理だけれど、クーラーのなかった蒸し暑い夜も好きだったな。僕はそれでも夜の芯まで来ると少しだけ恐怖が足元をくすぐり、タオルケットは全身を(頭まで、そこそこ技術がいる。頭と足を両方一枚のタオルケットで包むには)包まないと気がすまない。網戸だと染み込んできてしまう不思議な風が怖いから、深夜にはすべて締め切ってしまう。そしてバケツ3杯分くらいの汗をかいて眠るのだ。それも、最近はだんだん薄れてしまったな。まあ、いいかと足をだしてしまう。おとなになったような、大切な何かをなくしたような。

ま、兎にも角にも今年の夏はこれから来るわけで、なってみないとわからないことはたくさんあるはず。そして今年だって必ず夏にまた新たな発見をするのだ。わくわくすることは良いことだ。だから僕はもう毎日毎日わくわくして、わくわくは疲れないからどんどんヒートアップしていって、夏にはもう自制の効かない本能丸出しの真の夏バカになってしまうんだよね。

楽しいな。

てな訳で思いの丈を存分に書かせていただいたので僕は満足だ!
ではまた!


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