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みんな、詩人。

有名ジャズのパクリだけれどね。ま、言い方をよくしてオマージュとしておこう。

でもこの詩を作っている時もどかしさがなくてさ、するすると言葉が生まれたんだ。時々ある、勝手に心地よい言葉が下りてくること。そんな時生れた詩はあとから読んでも心地いい。やっぱり、夏の詩が好きだなあ。もっともっと夏の詩が流行ることを願ってやまない。

鹿田です、よろしくね。

詩の本当の心地良さって、内面の引き出しにあると僕は思っている。だから『誰でも詩人』を押しているのだけれど。それは催眠術に近い。催眠術って掛かろうと思うほうが断然掛かり易いんだってね。ようするに結局催眠術という営みは箍を外す行為でしかない。という事は逆に、己に秘めているものならきっかけさえあれば、自力で放出できるという訳だ。

詩、と聞くと少しかしこまった印象が、日常で触れない人にはあると思うけれど、果たして詩とは何かと問われれば詩を愛しているぼくすらわからない。というか、本来の公式的な詩人は現代詩だとかそこらへんを弁えているのだろうが、僕は全くわからない。でも、詩はかいている。言ってしまえば、それが答えだ。

詩、とは気を追わずに取り掛かれるもの。だってさ、何も知らないこどもだって詩をかくよ。そしてそれを読んで大人が感動するだなんて、日常茶飯事だ。勿論笑うことも、泣くことも。そしてそれらは全て一方的、という事も大いに興味深い。

詩ってさ、文章なんて考えないで心をそのまま、できるだけ単純に表したもの、だと僕は思っている。いや、詩を全てわかっていないうえでの、偏見、ととらえて貰っても構わないが。しかしこどもの詩も詩、ならその理屈は決してずれているわけではない。

では、大人の詩と、こどもの詩。何が違うか?言葉と体験と経験。それだけってことになる。なら極論、大人の詩と子供の詩、どっちが勝っている?

そんなの、読み手次第なのだ。

そう、詩とは一方的なもの、なのだ。それはあらゆる芸術に通ずることだけれど。だからかしこまることなんて、何一つない。純粋な自分の心を、鏡のように表現すればいいだけなんだ。そして、書き手は生み出したそれになにかを必ず感じるはずだし、深層心理も垣間見える。読み手は読み手だ、作品は生まれた途端に独立する。そりゃそうだよね、人の心の真理なんてわかりっこない。しかし不思議なことに、人は、他人の心の表現に心を動かされる。感情を動かされる。それはなんでだろう?

言葉とは、とても不思議だ。そして、一つの言葉も、人によって全く、感じ方が違う。それはもちろんそうだ、例えば僕の好きな夏だって、その言葉の印象を聴けばひとそれぞれの受け取り方があるはず。言葉は共通、感じ方はそれぞれ。詩が作品になった時、人はその文字の組み合わせを自らの価値観で読み解き、自らの心をなぞる。

だから。

そう思って書いても、そう分かって書いていても。人からのうれしい感想には一喜一憂できる。なぜなら、僕はひとそれぞれの感じ方がある、と知っているから。そして、自分自身も自分自身で、気持ちよく並べた言葉に愛着がわくから。作品、としては独立しているが、生み出すきっかけとなった感情や心理・真理は僕の心に残る。

だから。

僕はたくさんの人の詩を読みたい。いろんな価値観から紡ぎだされる、夏の詩を読みたいんだ。憂鬱なら憂鬱でもいい、苦手なら苦手でもいい、そこまで僕は分からない。浅いしさ。でもそんな僕と真反対の印象をで作られた詩、真心で生み出した詩で、必ず心は動く。みんなそれぞれ夏への思いがある、僕はそれだけでもうれしいのかもしれないね、夏。


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