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ねごとのつづき

ごうごうと怒鳴り散らしては近辺を駆け抜ける、春の突風。それに目を覚まされた朝だ。…もとい、昼だ。昨日の夜はなかなか寝付けず、とうとう目の前の(鹿田の寝相タイプは胎児型だ、顔の向く方向が東にあたる)カーテンの隙間から光が差し込んで、鹿田の部屋の汚さを肯定してくれるような埃のダンスを久しぶりに見ては観念した。

結局そのあとすぐ落ちて、今の今まで眠っていたのだけれど。

鹿田です、よろしくね。

眠れない夜は、フィットボクシングをサボっているせいだろうか。何かの報いとして課せられた枷(かせ)なのだろうか。…課せられた枷。けけっ。

そう、鹿田は3日前に今日だけ中休みと正論であるかのようにフィットボクシングをずる休みしておきながら、味をしめ、その後2日ずるずると、ずる休みしたのである。2つ合わせてずるずるずる休みである。ここで懺悔させていただく。

「人間とは、ほんっとうに、弱いものだねぇ…」

論点を言葉巧みにすり替える術は、我ながらあっぱれである。弱いのは鹿田だし、寝付けないのには夜中までスマホを見ていること運動不足なこと長期休暇で昼夜逆転しがちなこと、と大まかにいっても3つも!原因になりうるものは明らかになっている。そのいずれか一つでも、まず実行できそうなものから解消していけば少しは変わるのに今度は、「人間とは、ほんっとうに、我儘なものだねぇ…」と、個人の問題を棚に上げきるから始末が悪い。最後には、

日課としてちゃんとnote書いてるだけでもすごいじゃん、物書きはみんな寝不足に苛まれるものなんだよ」

と、自己正当性をアピールし始める。…自身のどうしようもない性格を世界にばらまいて、鹿田っていったいなんなんだろ、自分でもわかんないわ。

ま、そんなことはどうでもいいのだ。昼にして漸くかかり始めた鹿田の脳みそエンジンが、ぶるるんぶるるんっいっているのが聞こえる。ミンティアを5粒ほど口に放り込んではかみ砕く。爽快な、まるで初夏の始めのころのような冷たく心地いい風が鹿田の体内に巡る。そしていわば、僕自体が、初夏となるのだ。流れるままに手を太陽に向ける。まぶしい光を覆うわけじゃない。その太陽に一番近い人差し指から円らな芽が芽吹く、そして指先から緑の糸が伸びてはくるくると螺旋をかいて、空へと伸びていく。

瞼をしっかり閉じて、もうその頃妄想の僕は、すっかり初夏の朝顔に成り変わっているから完全に他人事で、また蔑み

「人間とは、本当に、弱いものだねぇ」

と、地上を見下して放つ。僕ときたらクルクルとどこへでも弦を巻き付けては、太陽のそばにずっと居れるのに、君たちは見上げるのがせいぜいだろう?僕はずっとこの哀れな世界を俯瞰しながら太陽と語らうのさ。欲もない、朝のひと時であればいい、それですべてが分かるし全てを感じることができる。人間は長生きしたところで、その真理にたどり着くことができるかい?ひと時でいいんだ、太陽に弦を伸ばせば僕は呼吸をひとつ強くして、この世界と一体であることを十分に感じることができるんだよ。花とて、草とて気持ちはあるんだ、低俗な人間はわからないかもしれないが。草むらで群れる草たちの呼吸は、人にさえ影響を与えるほど熱く激しい。一つ一つの草は無力だけれどね、一度集まればその呼吸は人ひとりでは敵わない。

なんでかわかるかい?

もう一度言うよ、人も、花も、草も、虫も同じなんだよ。地球で呼吸する生き物なんだ。人間だけ複雑で高等な気取りをしているが、そんなの我々から見たらで笑っちまうよ。そんなに進化した高等な生き物なのに、我々さえ行き着いた真理に、未だ大多数の人がたどり着けず、悪戦苦闘してるだなんて。

朝顔は太陽が必要だから太陽に弦を伸ばす、それは逆に言えば、近づけば近づくほど力を与えてくれることを、知っているという事。自身が、太陽に属していることを理解し、それにこの上ない幸せを感じているのさ。そしてもちろん、人や、虫たちの近くに居れることに対しても。それは何故か、もうわかるよね。

人も人と、太陽と植物と、言ってしまえば全て、すべてに繋がりすべてに属しているのに気が付かない。すべて別世界のものと思っている、そう、ほとんどの人間は人間至上主義だよ、残念ながらそれが当たり前だと思っている。そしてその自身で制限した檻の中で藻掻いているだなんて、滑稽すぎると思いはしないかい?人間以外の生き物はすべてその真理にたどり着いているのに、否、元から、始めから当たり前としてあるのに。

人間も、長い歴史の中で色々あったんだろう。理性や本能なんてちっとも草木の我らにわかりやしないが、それで我々はよかったのかもしれない。しかしそれだけ頭のいい奴らなら、気づいても、おかしくないのにね…

はああ、頭を使うのはいけないね。さあ、またおひさまさんとの語らいに戻ろう。それだけでいいんだ、おひさまさん界隈に我々は属している。そしてまた我々も誰かに属されている。こんな心地のいいことはないのにね。


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