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鹿田、春に浮かれる

暖かい日が続き日に日にただでさえ垂れた眉と口角がたるたると垂れている今日この頃である。この異常気象に時折地面まで伝ってはジュワっと蒸発するさまを見て、尚その夏寄りの気候に全身の余分な水分やら脂肪やらをだらだらとだらしなく垂らしては、対価として浮力を得る術を身に着けた。体重の10%を占めるか怪しい元より軽き頭の重さの本領はここぞとばかり発揮され、高く高く熱こもる空気を割いて、空へと浮上していく。ああ太陽よ素顔を良く見せておくれ、わが身に焼き付けておくれ。その頃にはまさしく皮一枚でつながった僕だったものは、初夏の清らかな空気のみを含んで、本能どころか己が何者だったかもきれいさっぱり忘れ、悩みから永遠に解放される仕組みとなっている。完璧!

鹿田です、よろしくね。

恒温生物の恩恵をひしひしと感じる今日この頃。あるいはまた鹿田だけの特異体質なのか、日中体いっぱい受けた太陽光はビタミンDを我が体内に生産させ陽気にさせるとともに、日の去った夜にしてもまだふと全身をくまなく感受すればその表面や内面に陽光の残滓を確かに感じることができる。すると同時に心も再び高鳴る。(素敵な夏が始まる確信)が興りだす。踊りだしたいような正体不明の多幸感に任せては再びふわふわと舞い上がってゆく。これでビールを飲んだらどうなってしまうのだろう!?それくらいの話である。

ま、それもすべて見事にシンプルな心と体と頭を持つ鹿田だから成せる技であるが。単細胞と紙一重だ、すごいだろ。

どうせなら単細胞になり細胞分裂し鹿田を無限に増やしてみてもいいのだが今のところそのメリットが見当たらないのでやめておいてあげているのだ。バイバインで宇宙の果てまで増えた鹿田を想像してみてほしい。無限に増えた滑舌の致命的に悪い鹿田が「なつだなつだなつだなつだなつだ」「なつはどこらどこらどこらあああああ」×無限数と吠え続けているのである。逃げ場はない。何兆億光年先まで鹿田は存在する。どのくらいで網羅するかは知らん。栗まんじゅう問題などという言葉があるくらいなのだから、深くつっこめばさぞ面倒な話題に違いのないことはわかる。察しのいい鹿田はその時点で潔く興味を捨てる。宇宙が栗まんじゅうで埋め尽くされようが、僕は地球に日本に夏が来れば構わない。空想の域を出ないのであればいい。まさか漫画の世界の宇宙を埋め尽くして現実世界にまで及んでくるなどあるはずがない。うんうんと隣でスイカ神もうなずいている。

最近なんとなく言語学が気になっている。未知の領域に好奇心の食指が反応している。きっかけは言わずもがな「まほり」。そこからどんぶらこどんぶらことサーフィンをし、「ゆる言語ラジオ」なるものを見つけた。You Tubeで見つけたのだが、ポッドキャストでも配信しており、それを通勤の行き来に車中で流している。

知識ほど楽に満たせる欲求ってないよね。耳で聞くも良し、読むも良し、見るも良しさほど体力を消費せずに知的欲求とは満たすことができるのだからコスパ最強である。そして今日『ピダハンー「言語本能」を超える文化と世界観』が届いた。久方ぶりの高価な書物の購入にAmazonの梱包を解くときから胸がどきどきと高鳴った。

胸の内と外にぽかぽかとしたものを抱え、満更でもない最近の鹿田である。

ではまた。


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