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哲学的ゾンビは逆転クオリアの夢を見るか?―現象判断のパラドックス―

世の中まだ未解明な部分がたくさんある。

世の中様々な神話がたくさんある。

世の中様々な宗教宗派がたくさんある。

果たして人類はこの謎を地球が滅びる前にすべて解明できるのか?

初めてブラックホールを観測したとのことで、案外ひょっこりと結論が出たりするかもしれない可能性は無きにしも非ずと思っているが、しかしながら期待はできなさそうだとも思っている。

で、私の最近の考えなのだが。

世界は果たして本当に一つだけなのか?という話。

このクオリアというものが非常に説明がめんどくさいもので、簡単に言えば”感覚”だ。意識とはまた異なる。そして哲学的ゾンビとはこのクオリアと意識を持たない人間の事。この哲学的ゾンビというのは仮想の存在だ。

だが本当にいないと言い切れるのだろうか。

クオリアと意識を持っているように振る舞っていれば哲学的ゾンビとはバレないがそう振る舞える時点で意識を持っていると言えてしまうので、そういう定義ならいないと言い切れるが、残念ながら現代においても”意識”の定義は不明確なため果たしてどこから哲学的ゾンビなのかという問題が生じる。しかし哲学的ゾンビなる存在が本当にいたとしてそれを本当に理解できるのかと言えば哲学的ゾンビは意識とクオリアがわからないし、こちらは意識とクオリアのない人間がどういったものかわからないのでおそらくいたとしても意識やクオリアの問題解決に近づけるわけではない気がする。

逆転クオリアは名称を知らないだけで考えた事があるという人が結構いると思う。赤いリンゴがあるとする。そのリンゴの赤みは、果たして自分が見ている赤色と他人が見ている赤色と本当に同じなのか?という問題。色彩感覚が鈍い人鋭い人は現実に存在していて、赤・紅・朱は別物だという人と全部赤色じゃないかと差異がわからない人がいる。この時点で逆転クオリアは発生しているのではないだろうか。しかしこのクオリアの差異を証明することはできない。何故なら第三者として完璧に区別できる人間は存在しないからだ。人間であるという時点でその人の持つクオリアによって偏見が生じる。かといってパソコンの色コードで確認すればいいと思われるかもしれないが色コードだって完璧ではない。何故なら人間の視覚を通した時点でクオリアが生じているためこれまた同じ色を見ているにも関わらず感じる質感は異なってしまうからだ。

んでそれが何故世界の話になるのかというと。

世界あるいは次元について今私達が知っているのは、我々人類が観測可能な物は現時点で開発された機械で観測できる範囲のものであり、例えば並行世界があったりしたとしてもそれは現時点で観測不可能つまり存在しているとも言い切れないが存在していないとも言い切れない。同じくよくある異世界というもの。これも観測できない以上存在していないとは言い切れない。次元も同じく。

でここから素っ頓狂な事を言い出すと思われるかもしれないが魂の話に移る。

存在が確認されていない魂を何故人々はさも当然のように知っているのか。死後の世界や輪廻転生など何故宗教や神話で何世紀もの間語り継がれてきたのか。魂はクオリアや意識以上に不明瞭な存在である。宗教や神話ごとに異なるためだ。

けれど私達が住んでいるのは同じ地球であり同じ宇宙であり同じ世界である。

神話は各地域ごとに異なるが似た部分がそれぞれ見受けられる辺り、やはり人間は”繋がっている何か”があるのではないか。心理学でいう集合的無意識の部分のような。けれど全く同じにはなっていない。断片的にしか”見えない世界”を捉えられていないからだ。更に言えばそもそも魂がこの世界この次元”のみ”のものとは言い切れない。私が異世界からの転生体だと言われたように、異世界の存在を否定しきれない以上異世界は存在すると仮定した方が何かと都合がいい。

何の都合が良いかというと、信仰する宗教や神話、どんどん細分化していって意識やクオリアという個々の差異は魂が繋がっている異世界がそれぞれ異なるからではないか、と言えるからだ。

何を言ってるんだお前はと思われるだろう。でも私はわりと真面目に考えている。

魂は世界や次元を超えた存在であり、且つ人間が持つ魂は一つではない、とする。

量子力学論において、ここでは意識となっているが要するに魂は素粒子より小さい物質で重力・空間・時間に捉われない性質を持っており人間が死亡したときには拡散するという仮説がある。つまり、わかりやすく魂の重さは21グラムとしてこのグラムという単位は我々が普段使うグラムではなく素粒子より小さい物質の単位とした場合、21個の小さな魂が集まって人間1人分の魂となるわけだ。

その21個はどこから集まってくるのか。重力・空間・時間に捉われないとするならば過去でも未来でも異次元でも異世界でもなんでも有り得る。だから文明が発達していない時代に仮説として現代において通じるような論文を発表した科学者や近未来SFを描くクリエイター、視えないものが視える人や霊能力者や超能力者といった超人的な能力を持つ人々は未来や異世界の魂を持っている人なのではないか、という話だ。

異次元や異世界の魂を持つが故にその次元その世界に近いクオリアを持ち、その次元その世界を感じられる宗教や作品を好み、そして各々の考えを持つ。異次元や異世界がいくつあるか不明な以上、人間という個体が持つ個性は遺伝子という古来から受け継がれてきたこの世界での素体となる部分と異次元異世界からやってきた魂とが融合してできあがるものではないだろうか。

集合的魂は八大地獄の夢を見るか?―輪廻転生と異世界転生―

上記で魂は素粒子より小さい物質の集合体であると仮定した。

そもそも私が魂をいくつかの集合体としたい理由を書いてなかった。

地獄に行きたいからである。

何故か。

鬼灯の冷徹好き、更に鬼灯様の夢女子である私は聖地巡礼したいのである。

しかし。鬼灯の冷徹的に考えれば鬼灯の冷徹の地獄はそもそも仏教ベースの輪廻転生方式なので、消滅論だとか異世界転生とかされると地獄に行けない。鬼灯様にお目にかかれない。(天国に行けるとは到底思ってない)

しかし私は自分を間違って人間に生まれてきた異世界転生体だと思いたい。となると日本地獄の輪廻転生に組み込まれていないことになる。それは困る。

というわけで異世界転生且つ地獄に行くことを両立させるためには魂はいくつかの集合体であるとするのが私にとって都合が良い。

しかも地獄の鬼についての生態はよくわかっていないつまり鬼に転生し鬼灯様の元で獄卒となることも可能では。

このように集合的魂論は夢が無限大である。

魂+意識+肉体=人間

昨日の書き方だと魂=意識・クオリアみたいになってたがその辺メモっとこうと思う。

まだ魂と意識とどこを境界にするか考え中なのでそこはおいおい詰めていくが、人間は肉体に魂が宿った後意識を持って完成となる。クオリアは果たして魂のものか意識のものかはおいおい。とりあえず魂≠意識。OK?

ここでの意識は自我。心理学用語でいうともっと細かくいろいろあるけどそれは置いといてここでは一般的にいう自我。自分。

でこの意識(自我)は魂とは結び付かないかというと、輪廻転生体の魂にのみ付随することとする。じゃないと地獄行ったとき自分の罪がわからなくなってしまうので。輪廻転生体というか宗教観に基づく魂かな。自我が魂化すると考えてもよさそう。

魂が21グラム寄せ集まって人間の魂となるとして、その寄せ集まった魂は果たして何らかの必然か否か。多分偶然だと思う。地球ができる過程はいくつかの星々がぶつかりあったことによるという説と似てるからこの世界においては魂は時空を漂う魂の粒子がぶつかってくっついて21グラムに達したとき肉体に宿り人間となる。他の動物はというと多分重さが違うとかそういう設定でいいんじゃないかな。

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