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恋人から家族へ、家族から親友へ。同性パートナーとの関係を更新します

「ここから先は別々の道を進みたい。私は一人に戻りたい。」


私たちは生活をともにする女性同士の同性カップルで、付き合いはじめて8年、事実婚のような関係で6年ほど。もう7回も一緒に年を越してきた。

昼下がりの私の一言は、振り返れば無邪気で残酷だった。それでも私の中ではそうするほかないと分かってしまったから、もったいぶるより言うしかなかった。


「彼女の気持ちも、もっとちゃんと考えなければ。」

その夜、彼女が泣きながら寝室から私のいるリビングへ出てくるのを見た時、さすがにそう思った。どうみてもこれは「別れ話」なので、私なりに覚悟を持って話したつもりだったが、それでも配慮不足は否めなかった。

昼間、「わかった」と言った彼女は「やっぱりまだ無理、気持ちが追いつかない」と言った。私の一言は彼女が描いていたはずの私と一緒に暮らす未来を無残に壊してしまっていた。

翌日の「別れる決断をする前に一緒にいられるようにする工夫をしよう」という彼女の提案は短絡的な私に比べてよっぽど聡明で、まずは「彼女は私のnoteを読まないようにフォローを外す」という工夫をした。


その日の夜に書いた「家族や恋人に、noteのあなたを見せられますか。」は多くの方に読んでいただき反応もいただき、ありがとうございます。

いただいたコメントは概ねこんな感じだったように思う。

家族など近しい関係でも(あるいは、だからこそ)なんでもかんでも共有することはできないのではないか

たしかに。そうなのかもしれない。私と彼女はあまりに多くのものを共有しすぎてきた。書いて、そんな意見もいただいて、ずいぶんと気持ちが楽になった自分に気づき、何がなんでも離れなければならないという気持ちが薄らいできた。

では、どうすればいいのだろう。


新しい関係性のかたち

台風19号の直撃する日の午前中、近所の公園に一人で散歩に行った。

流れる水の中に大量に落ちたどんぐりを拾ってみたり、楽しそうに羽づくろいをする鴨たちを眺めたり。私のような不謹慎な子どもたちを「もう帰るよ」となだめる親とすれ違う。サンダルの両足は雨と土にまみれていた。冷静に正解を打ち抜きたい。正解がないというなら”正解だと思えるもの”でいい。本当は傘を放り投げもっと全身に浴びたいくらいだった。


その日の午後、私は彼女に提案をした。

「パートナーシップを解消し、つまりお互いが一蓮托生と思うことをやめて、気の合うシェアメイトの関係になるのはどう? 水溜りボンドやパラスティカみたいな感じ。(どちらも同性2人組Youtuber、カップルではない)いや、どっちも一緒に仕事してるから一蓮托生か...。 じゃあ、一緒にチャンネル運営していないパラスティカみたいなイメージで、どうだろうか」

もはやたとえとして成立していなかったけれど、私の提案を聞いた彼女は、予想に反して、

「うん、それがいいかもしれないね」

と言った。


「別れた後も友達でいて」だなんて、お前に都合の良すぎる話だろうと自分でもツッコミは入れたし、実際に都合が良すぎる。彼女には頭が上がらないとしか言えない。けれどもやっぱり二人のどちらから見ても、この道が一番だろうとお互い思えると思えるまで、話し合うことができた。


夫婦が二人でパートナーシップを継続する理由はなんだろうか。

大事に思い合っている、子どもがいる、価値観が合う...などにより、家計を二人で回している、仕事を一緒にしている、介護をしている、があるだろうか。

私たちは、お互いを大事に思い、価値観が合い、家計を共にし仕事を一緒にし、お互いの体調のサポートをしてきた。

もともと子どもはいないし(猫はいる)さらに最近、彼女の思想レベルがさらに上がったことにより、私はその価値観に追いつけなくなり、その変化で仕事を一緒にすることができなくなり、さらに彼女の健康状態が飛躍的に改善したので体調サポートの必要性もなくなった。

(この「価値観」とか「思想」については、最近彼女のおすすめで読んだ書籍をまた別途紹介しながら説明したいと思っています)

そうなると、あとは「大事に思い合っている」と「家計を二人で回している」の2つしか残らない。


それだけでもいいじゃないかと言われるかもしれない。
でも、私はそれだけでは足りないと思ってしまった。

その理由は2つあった。

まずは、私が彼女に気を使いすぎてやりたいことができなくなるからだった。それでも、価値観の一致やお互いのケアが必要な状態であれば、一緒に暮らすこともできる。でも、それがないとしたら....  自分のやりたいことに正面から向き合ってみようじゃないかと思うようになった。

もう一つは、将来的に授かれるものなら子どもが欲しいかもしれない、男性とも付き合いたいかもしれないからだった。同性カップル的には口が裂けても言ってはいけない、言われたくない話だろう。

私はパートナーシップにおいて相手の性別(セクシャリティ)を問わないような人間ではあるものの、体を辿れば生殖本能がある。私は33歳であり、体が産みたがるということももしかするとあるのかもしれない。

この点においては、彼女もまた考えなかったわけではないということで、むしろ彼女自身も子どもを産めるものなら産みたいと考えているということだった。



以下の3点を変更し、私たちは「親友」になった。

・生計を共にするのをやめる
・一緒に仕事(発信活動)をしない
・他にパートナーを作るのを許す

※今の私は、彼女に限らず”パートナー”になってしまったら気を使いすぎ、自分を見失いそうなので、もう少し修行が必要だろうとは思っている。


よく考えたら、すでに親友だったのかもしれない。お互いすこし寄りかかり過ぎていた部分があったから、一人として独立して、その上で必要に応じて支え合うような関係になっていけたらと思う。なお、住まいについてはしばらく引っ越し不可能なので、親友同士としてルームシェアを継続することになりました。



ここまでの変遷にお付き合いいただき、ありがとうございます。

ここからは、恋人同士の私たち、家族でありビジネスパートナーとして生活した私たちの片鱗をもう少しだけ書き留めさせてください。




-恋人同士になった私たち-

彼女との出会いは8年前のクリスマスイブの深夜だった。完全に出会い目的で繰り出した、女性限定のクラブイベント。いつもは新宿二丁目で開催しているイベントが、クリスマスだからか渋谷に出張したものだった。

私は男性も女性も恋愛対象になるバイセクシャル(パンセクシャル)的な人間で、当時は主に女性を対象にしており、当然のごとく女性限定の出会いを探していた。積極的に声をかけ、話をして、音楽にたゆたってテキーラにたゆたって....

結局、いい出会いなかったな....。日付も変わり、乱痴気騒ぎに疲れ果て、その辺の壁に退却し完全に気が抜けていたときだった。


「だいじょうぶ?」

膝上の黒いタイトなワンピース、絶対領域にはガーターベルトと小銭を入れるだけの極小ポケット、黒いニーハイに、黒いストレートのロングヘア。

最高にエロ可愛い天使のような子が、放心状態の"僕"に声をかけてくれた。それが彼女だった。正直、黒髪ロングはど真ん中でタイプだった。

(当時の私は、ショートカットでボーイッシュな中性キャラだった)

もちろんメアドを逃さず聞いて、彼女のちゃんづけのハンドルネームが記されたメモは、今でも思い出ボックスに保管している。


そんな出会いからメールを重ね、2回目のデートで私は完全に彼女に落ちた。彼女は私のことは単なる友達と思っていたらしい。どこまでも小悪魔的で、僕はわかりやすく翻弄されていた。

年明けすぐ、突然彼女から「入院した」と告げられた。幸い命に別状などはなかったものの、彼女の体が深刻に蝕まれていたことがショックだった。

信じられない。せっかく仲良くなってきたのに...好きになれたのに...。という衝撃は、今振り返るとあまりに身勝手なものだったが、お見舞いにいき、病院で告白して、なんとOK。お付き合いを始めることになった。

手術もして体はひとまず治ったものの、心身ともに健康とは言えない部分のある人だった。それでも、彼女の可愛さの前ではそんなことは気にならなくて。
しょっちゅう手をつなぎ、寄り添い、キスをして、抱き合って、映画をみて、旅行にいって、美味しいものを食べて、笑いあって、喧嘩して、仲直りして、買い物にいって、友達を紹介しあって、家具を買って、一緒に寝た。



家族となりビジネスパートナーになった私たち

同棲にビビる私のために同じ町に違う部屋を借りて住み、その後同じ部屋に住んだ。その後、3回も引越しを重ねて暮らしてきた。そのうちに、猫も飼うようになった。彼女と同じ日に生まれた猫と、彼女の誕生日に出会った猫だ。

最初は二人ともそれぞれの会社に勤務していた。ある時、自由になろうと二人でほとんど同時に会社を辞めて二人で活動を開始した。「ひとを、自由にする」というテーマで、ワークショップやトークイベント、カウンセリングなど様々な活動を展開し、外部要因も味方して"自由になりたい"界隈でほんの一瞬の旋風は起こせたのではないかと自負している。その後法人化するも、私たちの未熟さにより倒産を余儀なくされた。

実は私の公言していた”好きなタイプ"は「頭の良い人」だった。(「黒髪ロング」の方は恥ずかしいので言わないようにしていた)楽しく知的な会話ができる人がいい、頭の弱いやつはつまらんという、8年前の私の低レベルに気取った根性が恐ろしい。何が言いたいかというと、とにかく彼女の頭脳のキレはすばらしく彼女との会話は知的興奮で満ちていた。


私も隣でサポートをし続けていたとはいえ、彼女の思想が、私たちの活動や会社の動力のほとんど全てだった。

個人の生きづらさは、そのまま現代社会の歪みに直結しているということ。意識だけではなく無意識も大事だということ。全ての現実は一人一人が創っているのだということ。社会よりも何よりも、人間が一番大事だということ。やさしさとは知性であり想像力であるということ。

抱えきれないほどの時間、二人で意見交換し、議論し、ブログを書いて、発信して、切磋琢磨して、協力しあって、生きてきました。

たくさんのことを教えてくれて、本当にありがとう。


...私、今回の彼女とのことで、まだ一回も泣いていない。後でとんでもないことをしてしまったと泣くのかな。それでも、やっぱり今回の決断は大事だと思うから。もしかしたら親友として相談させてもらうかもしれません。どこまでも頼りっぱなしで本当に...これからもずっとよろしくお願いします。

「親友として」と書いてはいるけれど。”親友”の枠内におさまる関係とは、本当は思えません。私たちだけの関係の更新をしながら付き合っていけることがとても嬉しいです。


長い文章に最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。




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