見出し画像

【退職録2社目】恋人の手術よりも仕事を選ぶ、ワーカホリック絶頂期

 社会貢献したい気持ちが強かった私は、2社目として大学時代にインターンでとてもお世話になったNPO法人に入社し、3年間ほど勤務した。私には安定的なプライベートな関係性が無かったので、インターン時代もあわせると約5年もの間ここが私のホームだった、と思う。ここには書いてないけど、楽しいこともたくさんあったんです。本当に本当に本当に、お世話になりました。

※注 この記事に書いてある私の感じた事や働き方は、あくまで私のことであって、団体自体や他のメンバーには一切関係ないものとしてお読みください。こんな(ワーカホリックに陥るような)私だからこそ、このように感じたというわけで、別の方にとっては違う世界に映ると思います。

ずっと孤独だった

 このNPOで、私は人と人の対話を促すイベントを運営していた。対話についての研修もたくさん実施していた。しかし、実は対話や人と人とのつながりをのどから手が出るほど欲しかったのは私自身だった。欲しがりながらも、拒否していた私は、ずっとずっと孤独だった。

 2011年夏頃から、いよいよ私は変わらないとやばいと思い始めていた。というのも、何かおかしい、私には人間味が足りなさすぎる、感情の表現が足りなさすぎる。ごはんに誘える友達が少なすぎる。自分の防御が堅すぎる。人との距離が分からなすぎる。生きながら死んでるような、死にながら生きているような、とても刹那的な感覚で、もうなんだか何のために生きているのかぜんぜん分からない。そんな感じだった。

 この記事を読んで「私がいるじゃん!ご飯誘ってくれてよかったのに〜」と言ってくれる人がもしかするといるかもしれない。今なら「だよね〜!ありがとう!ごはん行こ行こ!」って言えるけど、当時は人の好意を受け取ることができなかったんだよね。私が好意を拒否していたから、結果的に好意の無い世界に住んでいた。

自意識過剰のこじらせマックス

 例えば、私は誕生日を祝われることがとても嫌だった。特にサプライズで。私だけ祝い忘れられ、その事で「あ!今日誕生日だったっけ!?ごめんサプライズするの忘れてた!!」と周りのみんなに心の中で思われる事が嫌だった。というか、私が祝ってほしいと思っている、と思われる事が嫌だった。(祝われたいのに祝われたくない!というめんどくささ...笑)

 だから、2011年は自分で幹事をやりそうな若いメンバーに申告したくらいだ。Aさんの誕生日と私の誕生日近いから、一緒に祝ってね(サプライズで)って。で、実際に計画通りAさんと一緒に「サプライズ」で祝ってもらい、そつなくクールに抱負等をコメントして、あ〜良かった、今年も無事に誕生日が終わった。と安心していた。(自意識過剰すぎる。笑)

そうだ!恋愛しよう!人とまともに付き合おう!

 この“なんだかおかしい状態”を何とか改善できるかもしれない方法を、私は、どこからともなく直感的に思いついた。

「彼女を作る!恋愛して、人とまともに付き合うんだ!そうすれば良くなるはずだ!」

恋愛活動の成果というよりは、たなぼたで、めでたく彼女ができました。(私はいわゆるバイセクシャルで、当時は女性のほうが好きだったので、彼氏ではなく彼女を作ろうと思ったのだった)

 その彼女と付き合いだして数ヶ月たつ頃、仕事と彼女との関係とのバランスがもう全くとれなくなり、結果的にそのNPOは辞めることになったのだった。

彼女が手術で入院しているのにお見舞いに行けない自分

 付き合い始めて間もなく、彼女が手術が必要な病気になってしまい、1〜2週間ほど入院する事になった。 (通常の彼女のお世話は彼女のお母さんがしていた)

 その頃私はイベント現場で仕事をしていて、かなり忙しい状態に陥っていた。朝から晩まで、土日も(一部)返上とはこのことで、夜11時すぎに家に帰って、それから持ち帰りの仕事をして、それからご飯を作って食べて、タバコを吸ってから寝る、という生活スタイルだった。彼女と付き合うようになってから休みをとる事が少し多くなった気もするけど、基本的に私は自分のスタイルを変えなかった。

「手術がすごく不安」と彼女はずっと言っていた。全身麻酔までする手術。私もそばにいてあげたいと思ってはいたものの、でもそんなに休めるわけないじゃん。ちょうど大型企画の責任者をやっていて企画日が迫ってきていて業務量は膨大で、手術の日程にあわせて休むなんていうことは私にはとうていできる事じゃない、と思っていた。

 その中で、私はなんとか幾ばくか時間を作ってお見舞いにいった。その日彼女は「来てくれてありがとう」とは言ってくれていたものの・・・結局、お見舞いにはその1度しか行かず、一番辛い手術後は、ずっと仕事にかかりっきりになっていた。

どうしても迷惑をかけられなかった

 当時は「忙しい中、人に仕事を任せて、こんなに(半日)時間を作って上出来!」くらいの気持ちだったんだけど、今思い返すと本当に冷たい人だよな〜と思う。プライベートで大変な事がおきたとき、勤め先をお休みするのってあまりに普通なことだと思うんだけど・・・・私は「休んで迷惑かけたくない。みんなに嫌われたくない。」という気持ちと、「女性(同性)と付き合っているということをあまり大声で言えない」というLGBT的なクローゼットな気持ちがあり、本当なら1週間休みをとるべきだったところを、言い出せなかった。いや、「迷惑かけたくない」の方が9割で、LGBT云々はほとんど関係なかったように思う。

休んだら迷惑だ、と思っていたのは自分だけで、

迷惑をかけたらだめだ、と思っていたのは自分だけで

休んで迷惑をかけたらみんなに嫌われると思っていたのは自分だけ。

この思い込みは、全部私の妄想だったんだろうな、と思う。

 たぶん、休んでも同僚や先輩や上司が代わりに対応しただろう。そのためにメーリングリストを使っているのであり、そのために組織(チーム)があるのだ。たまに迷惑をかけるくらいのほうが人間らしい。むしろ、(そんな大変な時に)休みませんし、迷惑かけません!と言う私よりも、休んで迷惑かけちゃう私の方がよっぽど愛されたんじゃないのかな。 なんて思ったりする。

またもや、強制終了の合図で退職

 結局、彼女が退院して数ヶ月後にNPOは退職した。このお見舞い行けなかった事件だけじゃなくて、日常的に私は彼女との約束を破り、彼女を軽視して、しょっちゅう喧嘩していた。

 仕事とプライベートのバランスが取れない理由は、私が依存体質で、仕事にものすごく依存していたからだった。仕事に左に引っ張られ、彼女に右に引っ張られる。私に自分の意思がほとんどなかったので、必死で左に行ったり右に行ったりしていて、その往復に疲れてしまった。そもそも一人だったときも仕事を限界までやっていたので、正直時間の問題だったと思う。

 そういうわけで、1社目に引き続き2社目も強制終了パターンの退職だった。「もうだめだ!」という感じで強制的に終わるのは、「この道は何かがちがうよ!」という心の底からのメッセージなんだと思う。

 しかし私は、この2社目でもそのメッセージは正確に受け取る事はできなかった。だから、次の転職先で私はさらにもう一周同じような道のりをたどることになる。

 転職の多くが人間関係で、転職先でもたいてい同じようなトラブルに見舞われるのは、その問題の原因が外部じゃなくて自分の内部にあるから。自分が変わらない限り、何度でも同じことが繰り返される。傘を持たずに歩いていれば何度でも雨に濡れてしまう。傘を持ってはじめて濡れなくなる。

おまけ:私の心の問題に、恋愛は効いたのか?

 私の直感による恋愛活動について。長期的に見ると、彼女と付き合ったことはその後私の精神的課題改善をめちゃくちゃ後押しした。私の直感、さすがだな〜。そこは褒めたい。(笑)

 ただもちろん「人と恋愛すれば(=まともに付き合えば)即座に私の孤独問題が解決する」なんて言うことはなかった。自分が自分に向き合わない限り、何をやっても、人に何をやってもらっても、無駄だ。一時的に和らぐ事はあっても根本解決はしない。彼女とはその後たくさんたくさんたくさんぶつかったり依存しあったり仲良くしたり、しながら、徐々に変化していった。それはもっともっと先のお話。


***私の過去ブログからの加筆&転載おわり***

 最後まで読んでいただきありがとうございました!次は3社目の退職録の予定です。ぜひ次回も読んでいただけたら嬉しいです。また読みたいと思っていただけたら、ぜひフォローお願いします。スキやご感想コメントも励みになりますので、気軽にしていってくださいね。

 フォローまでしたくないけどまとめて情報チェックしたい方へ。月1ペースで発信情報まとめたメルマガ配信しています。→登録ページ


誰でも「スキ(♡)」できます。「読んだよ」って軽い気持ちで押してくれたら嬉しいです^^ サポートはnoteを書くカフェ代に使わせていただきます。ありがとうございます。