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私って、ほんとうに空っぽなのだろうか

noteで才能の塊がもがいていたり、漂っていたりする姿を見るたびに心が痛む。「おかしいだろう」という叫びが蘇る。これは、その人の才能と現実の処遇の差への叫びであり、私の中にずっと潜んでいる叫びでもあるようだ。

「いつか思い切りやりたいことをやってやるんだ」その無邪気な気持ちは鎖でがんじがらめにされていて、結局いつだって、なんとなくやりたいことをやっている風の世界に引き戻されてしまう私がいる。


書く仕事をしたいな、と思った瞬間はたくさんある。真剣に挑戦したことは一度もない。今もしない。もし仮に挑戦して誰かに連載がもらえたとして、たまに良いことが言えたとしても、私には書き続けられる体力もないし、一貫性や統一感もないし、コンテンツ... 中身もないような気がしていたから。

空っぽなのだったら、どんなチャンスがあろうと何にもならない。

でも。本当に空っぽなのだろうか。

だったら、底でずっと叫んでいる私はいったい何を叫んでいるのだろうか。


蔓延する窮屈さについて

ニューヨークと日本の自由度には決定的な違いがある、というコラムを読んだ。その違いとは、アーティストを見たときにニューヨークでは「何のアートをしているの?」と聞くのに対し、日本では「どうやって生活してるの?(稼いでるの?)」と聞くか。

だから、ニューヨークは超居心地が良いらしい。作者はもちろんニューヨーク派で、人生は楽しむ派なのでどこでどう稼ごうがどうでもいい、という主張だった。

私もいつのまにかニューヨーカーだったらしく、え、日本てそんなんだったっけ?くらいの衝撃しかなかったけど...でも確かにそういう風潮はあるよね。そのアーティスト活動でがっつり飯を食わない限り、しょせんはフリーターであるという考え方...。


いやいや、間違ってるよ。それは、世の中が間違ってる。思わず席を立ちそうになる。

たとえ収入にならなくても「仕事」だよね? 仕事って、給料という意味でもないし儲かるという意味でもなくて「やりたいことをやる」ということだと思うのだけど違うんだろうか。それが、だんだん収入につながったりつながらなかったりするだけで、もともと立派な「仕事」だよね?

感じることを表現している人、何かを生み出している人。それを生活の中で一番優先したい人。その表現方法にその才能が巡り合ったそれ自体が奇跡だで、アーティストだよ、クリエイターだよ。どう見ても。

もし仮に、死ぬまで大量の光を浴びることがなくても。それでも私は一介の主婦だとは思わない、単なるフリーターだなんて思わない。そういう一面があっても、それは世をしのぶ姿でしかない。そうでしょ?



収入、生活、好きなこと、...。現実的に考えれば考えるほど、この社会は、好きなことを好き放題することはできないことになっているようで。

「そんなの誰だってそうしたいけど、できないじゃん。だから君もそんなのは許されないよ。ちゃんと働きなよ、まずは社会の役にたってからやることなんじゃない?」

そんな顔の見えないたくさんの人たちの嫉妬のせいで、やりたいことは思いっきりできないことになっている。だから、すこしは我慢して見せないと。やりたいことをやることを。さもなくば、チクチク、あるいはブスブス攻撃してくる。

.... ような気がしてしまうんだよね。



自分のやりたいことをやりたいし、みんなのやりたいことを応援したい。

大学生の頃、私は塾でAO(アドミッションオフィス)入試の講師をしていた。AO入試とは大学や将来やりたいことを論文に書いて提出し、認められれば合格という入試方法。

私自身はというと、この入試方法に挑戦しなかった。興味があったテーマは塾の先輩がすでに同じ大学向けに書いていて、私の出る幕はないと思ったから。今覚えば一人一人視点は違うのでそれは諦める理由にはならない。

私は、アルバイトで生徒たちの志望理由書を見ながら、結局自分にはやりたいことはなく他人を応援するしか能がないのではないか....。輝くばかりのみんなを見ながら悲しく思っていたこともあった。


が、応援も立派な「やりたいこと」ではないかと思う。



note書いてて書くことを仕事にしたい人たちに、私は自分を投影しているのかもしれない。結局私も書きたいのかもしれない。それでもいい。とにかく、noteで読んでいるみんなの体力、コンテンツ量、表現力、メッセージ性、すごいよ。どうにかしてもっと世に出したい。


生計。

私は先日書いたとおり、倒産したし半分破産したようなものだし、収入のあてもなく生計といわれたらどうすれば良いのか今のところよくわからない。それでもやりたいことをやろうと思う。結局天然石販売店から「履歴書送ってください」という電話はきたけど、迷った挙句アルバイトへの応募はやめた。バイトなんてしたら、1日7時間も埋まっちゃう。

私の貴重な時間と体力、やりたいことに全力を注いでやる。


私の心はこのnoteで書いていることに入っている。詳細部分は私の中でバージョンアップしていたりするけれど、基本はこれ。一人一人がやりたいことをやっている、というやさしい世界にどうしても飛び込みたい。


参考コラム:なぜ「ニューヨーク=自由」「日本=窮屈」なのか

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